今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

自室の霊的浄化を確認

2019年06月30日 | パワー・スピリチュアル

東京宅の我が部屋には、イスムの如意輪観音像(観心寺の模像)をはじめ、たくさんの仏像を飾っている。
形の上では、如意輪観音をご本尊にし、その周囲に四天王や金剛力士などの天部を配置している。
ただ、フィギュア・コレクションとして飾っているだけで、宗教的行為はしていなかった。

その下にばけたん霊石※を置いていたら、幾度か赤く点滅した。

※過去「お化け探知器」として開発された製品の最新版。私は初期モデルから全て購入済みで、自分の霊感はこれで鍛えられた。いわば私の”師匠”。

ばけたん霊石は、スイッチを入れなくても自動的に霊を探知し続けており(それなりの論理アルゴリズムによる)、たとえば悪い霊の接近を探知すると、勝手に赤く点滅して、警告を発するのだ。

仏像を飾っている空間にそんな反応が出たことにいささかショックを受けた。

それで心を入れ替え、毎朝、線香を焚き、灯明をかかげ、般若心経を唱えることにした(これらの仏具類は備えていた)。
ご本尊としている如意輪観音は、灯明に照らされて妖艶な雰囲気を醸し出している(写真)。
読経の前後に、愛知万博のネパール館で買った(チベット仏教用の)大きなガンモモを鳴らす(ものすごくいい響き)。
読経の後は、五鈷杵(密教の法具)で、周囲の邪気を振り払う儀式をする。 
このようにして、密教的法力による霊的浄化を期待した。

そしてこれを繰り返した結果、ばけたん霊石 から青い光が点滅するようになった。
これは「良い霊を探知した」という知らせ。

室内の霊的浄化に成功したようだ。

後日;これ以降、ばけたん霊石は毎日自発的に青く光るようになった。
ちなみに唱えるお経はより呪力の強い大悲心陀羅尼に変更。 


代々木公園と代々木八幡

2019年06月23日 | 東京周辺

梅雨まっただ中の日曜でいつ雨が降ってもおかしくない重い曇天なので、山には行かず、都内の近場で気の交流でもしよう。
起床前の寝床で頭に浮かんだのが代々木八幡なので、迷わずそこに行く。

地下鉄千代田線の「代々木公園」で降りる。
こういう外出時は、まずは現地で腹ごしらえをしたい。
地下鉄の中でネットで調べたら、本日は代々木公園で「ワールドグルメ&ミュージックフェスタ」 が開催される。
代々木公園のイベント広場は、毎週末なんらかのイベントが開催されているようだ。
イベント広場には、世界各地(といっても中南米と東南アジアと日本、それに別イベントでエジプト)の屋台料理とビールが売られている。
ビールに触手が動くが、参拝前なので ベトナムの焼そば(500円)を食べて、代々木八幡に向う。

途中、代々木公園内を突き抜けて行くのだが、 代々木公園って私の若い頃はカップルが夜訪れる場という位置づけだったので、
昼に訪れるのは初めてかも(来る用事がないし)。
きれいに下草が刈られて、木々が伸び伸び育ち、通路以外も自由に通れて(ここが明治神宮の森と違う)、すごしやすい。
新宿と渋谷に挟まれ、原宿の真横にある広大な緑の公園は、さしずめ東京版セントラルパークといえよう(本家に行ったことないけど)。

疎林の中のジョギングも気持ちよさそうだし(皇居の外周は排気ガスを吸いながら走るのでお勧めしない)、
若者グループがダンスの練習にいそしんでいる。
ただし音を出す楽器の練習はダメ。
公園内にも軽食とビールを含む飲料が売られており、ゆっくりすごせる。
木もおしなべて育ちがいいので、気の交流にもよさそうだ。

 さて、公園の西門を出て、小田急線の線路を渡り、住宅地の中の細い道を進むと、代々木八幡の入口に出る。
神社は丘の上にあり、参道を上ると、左に竪穴式住居がある。
この地は縄文中期の住居跡が発掘された遺跡でもあるのだ。
拝殿の前には、茅の輪が作られているので(6月末の大祓にちなんでいる)、左廻り、右回り、左廻りと3回くぐって(神道儀礼は中国式の左尊思想に準拠)、参拝する。 
拝殿の右奥には、出世稲荷と富士講の石碑がある。
また縄文人の生活を展示した建物もあり、さらにこの地オリジナルの代々木囃子や代々木もちつき唄も伝わっているという(渋谷区指定無形文化財)。

左側に、二股に分れた神木とされる木があるので〔写真)、木の前で両手をかざして気の交流を試みたが、
気は感じられず、”ばけたん”で探知すると「何もない」と出た。

神社に隣接する福泉寺(天台宗)はここの元別当寺で(参道に面して門がある)、維新以前は堂々と神仏混交だったようだ。
神社と寺の間の道に、庚申塔が複数建っている。
庚申信仰は道教由来なので、今では神社からも寺からも外されているわけだ。

さきほどの竪穴式住居を見る。
縄文人の生活の展示を見ると、薄着の縄文人の服ではいくら海進期の温暖な気候といえ、冬はさぞかし辛かろうと思ったが、
竪穴式住居を見ると、屋根を覆う分厚い萱が外気を遮断することがわかる。
説明板によると、住居内は夏は外より10℃低く、冬は10℃高いという。
中で火を焚けば、もっと暖かくなるから、寒さに凍えることはなかったのかな。 

八幡神社からまた代々木公園のイベント広場に戻る。
途中、街中で、若い女性たちの行列している小さな店があったが、今や行列だけでタピオカの店だとわかる。

あと、こんな曇天の日なのに日傘をさしている女性もいる。
紫外線は絶対悪で、しかも曇りの日にも紫外線は出ているという悉無律(0か1か)的発想に洗脳された結果、骨粗鬆症への道を進んでいる。 
白い肌を手に入れる代わりに、背中が丸くなって背が縮み、膝が変形して、転んだだけで骨折するようになってもいいのかな。
こういう日こそ、四肢を露わにジョギングにいそしむ女性の方がよほど健康的。

イベント広場にもどって、ビールを解禁。
もっともイベントの屋台ではなく、それより安く売っている常設の売店でフランクフルトとともに賞味
(ケチと思うなかれ。お金が貯まる人間の行動様式と思ってほしい)。

今日の収穫は、代々木公園を見直したこと。
広くて、人の密度が低く、各自が自由にふるまえる雰囲気がいい。
暇な休日はここで過してみたい。
散歩、木陰で読書、元気な木との気の交流、あるいはシートを敷いて瞑想にひたってもいい。
イベント会場に行けば気分転換になるし。 


『現代オカルトの根源』が私の必読書である理由

2019年06月22日 | 作品・作家評

自分の心理学探究において、スピリチュアルの方向を解禁し、トランスパーソナル心理学に接近している(≠入り込む)今、
その方角で口を開けている暗黒面に落ちないために、読んでおこうと思ったのが、
大田俊寛著 『現代オカルトの根源—霊的進化論の光と闇』 2013年 筑摩書房 

著者は宗教学者で、グノーシス主義(キリスト教の”異端”とされた)が専門なので、オカルトが専門ではないというが、
現代オカルトが共通する問題点を客観的視点で論じている。

まずオカルトとは「この世は不可視の存在によって支配されている」という発想をさす。
そもそも人間を動かしている”心”は不可視だし、霊魂も神も不可視だ。

そして著者のいう「現代オカルト」とは、霊的進化論(人間の霊のステージが上る)をベース理論とする空想的言説で、
有名どころではルドルフ・シュタイナーやエドガー・ケイシー、それにUFOで有名なジョージ・アダムスキーなどが名を連ねる
(そして「オウム真理教」や「幸福の科学」に至る)。
実際、私が読もうとする本をアマゾンで検索すると、これらの人の著作が一緒に紹介される。
私が積極的に読んでいる本山博氏も現代オカルトの系譜に連ねられていた(私は氏の科学的態度に一目おいているのだが)。

彼らの言説が、古代宗教(古代に創作された物語)と異なるのは、宇宙人(金星人!)などが登場し、人類史を数億年単位に拡張するSF(空想科学)的要素が入っていること。
また発祥はヨーロッパ、そしてアメリカながら、インドのヨーガやチベットのラマ教が共通ベースになっている点も特徴的か。 

著者は、霊的進化論が単純な二元論思考(精神と物質、善と悪)に基づいていることを指摘する。
そしてこの二元論が、悪が暗躍する「陰謀論」と善と悪の最終戦争という「終末論」へと導くことを、同工異曲のあちこちのオカルト言説から示す。
これを私の「心の多重過程モデル」〔既存の二重過程モデルを包含)で表現すれば、心のサブシステムの1つであるシステム2(運用論理)のバイアス(=二元論的思考)にもとずく、自己正当化のための脱現実的空想化である。
素材は多彩でも、構造はシンプルなおとぎ話。
だからこそ、多くの人が受容してしまうわけだが。
そういえば、映画「スター・ウォーズ」の物語世界(これも二元論的)をあえて”宗教”として信じようとする人たちがいるらしい。
言い換えれば、多くの人が信じている宗教的神話も、実は作者不明のSF的創作話に等しいことを意味している。  

言語論理に拘束されるシステム2は、空想的理論(空論)でもかまわず現実を解釈しようとし、辻褄さえ合えば、証拠も再現性も無視して信じてしまう。
このシステム2の限界(欠点)を乗り越えようとする方向、すなわちシステム3以降を志向することが本来進むべき方向といえるのだが(私がスピリチュアルを志向するのもそのため)、
その方向での解釈図式(論理)がシステム2の空想で成り立ってしまうというパラドックスこそ、”教祖様”や導師(グル)を含む多くの人が陥っている暗黒面なのである(このあたりの心理学的説明は別の機会で)。

この本はその暗黒面(闇)を詳しく紹介しているので、私と同じくスピリチュアル方向に関心がある人は、オカルト面に陥らないために読んでおくとよい。
代わりに、(すでに数冊持っている)シュタイナーやアダムスキーはまじめに読む必要はないことがわかった。

また、暗黒目に陥った事例研究として、著者の『オウム真理教の精神史』 も読んでみたい。


小机城と”道潅以後”の戦国騒乱展

2019年06月16日 | 城巡り

昨日とはうってかわった晴天の日曜、ふらりと出かけたいのだが、気のスポットのあても尽きたので、
3月に鶴見川歩きで河口から新横浜まで歩いた時(→その記事)に次回のお楽しみとしてとっておいた、小机城趾(横浜市港北区)に行くことにした。

言い換えると、新横浜から鶴川までの間の鶴見川中流域は、今後歩く予定はない(退屈そうだから)。
ということで、本日の外出目的は「城巡り」。 

もっとも小机城だけではもの足りないので、少し離れた横浜歴史博物館(横浜市都筑区)で開催中の「”道潅”以後の戦国騒乱」展(7/31まで)も観に行く。

東京メトロと東急東横線を乗り継いで菊名に行き、JR横浜線に乗り換えて、新横浜の1つ先のその名も「小机」で降りる。
駅前から古いまばらな商店街を抜け、ついでに中華料理店で横浜訪問記念に「サンマー麺」を食べる。
サンマー麺は、もやし麺よりはもやしの他に肉やら何やら入って充実し、とろみがあるのが特徴(だから熱くて、舌をヤケドどした)。
ただ、神奈川はなぜか外税方式の店があり、しかもそれを明記していないので注意が必要。 

そこから北に折れて、住宅地の中の道標を見逃さないように注意して、小机城趾麓のその名も「根古屋」という入口に達し、
そこから竹林の中の道を登って、空堀を過ぎ、本丸跡に出る。
あとは土塁や空堀を適当に見て回る。
縄張り内はすべて竹林が育成中で、竹が育てばそれはそれで風情のある散歩道となりそう(写真)。

残ったのは第三京浜で分断された向こうにある櫓台跡でもある小机富士という富士塚。
道標に従って、第三京浜の下をくぐり、急な石段を登って、左に折れて、ベンチのある広場を道なりに通り抜けると、高台の上の駐車場に出てしまった。
これは違うと思ってUターンし、ベンチのある広場から左の斜面に沿って登る道があったので、それを進むと、富士塚の頂上に出た(樹林の中に富士浅間の石碑と三角点標石がある)。
よく見ると、この富士塚は富士山型に盛ってあって、先ほどの”左に折れ”た道脇からも確認できた。
GPSでスマホ地図とにらめっこしながら歩いたので、大きく迷わずにすんだ。

さて駅の方に戻り、途中南の高台にある聖徳太子堂を抜けて山道を歩くと白山神社に下り立ち、
その前が雲松院という曹洞宗の寺で、ここに小机城の城代を勤めていた笠原氏の墓所がある。
小机城趾とセットで訪れるべき所。 
境内の墓地の最奥に笠原氏歴代の墓(宝篋印塔や石仏)が並んでいる〔写真)
寺正面の道を北に進むと小机駅に出る。

そこからJR,横浜市営地下鉄と乗り継いで、「センター北」で降りて、3ヶ月ぶりに横浜歴史博物館に入る(前回→茅ヶ崎城趾訪問の記事
今回は特別展だけを観る。
戦国前期の関東一の名将(勝率は上杉謙信を上回る全戦全勝!)にして、江戸城の生みの親である太田道灌その人については、書籍その他でいろいろ情報があるが、この企画展は、その子孫たちをまとめたもの。
道潅の子孫で戦国末期に活躍した太田三楽斎資正についても知りたかった。
展示は、太田氏を軸にした戦国期(秀吉の小田原征伐まで)の南関東の情勢変化が理解できる流れになっている。 

ちなみに、太田道灌は、横浜にも足跡を残しており、いやそれどころか、横浜市中区日ノ出町付近は昔は”太田郷”という地で、そこが太田氏名字の地であるという。
そしてあの小机城も、文明10年(1478)、長尾景春の乱平定に奔走した道潅に攻め落されたことがある。
ということで、小机城は道潅の戦跡訪問の地でもあった。 

もっとも、道潅の子孫たちは江戸と岩付(さいたま市)に住んだので、横浜とは縁がない。
それでもこの企画展が横浜歴史博物館で開催されたのは、地元横浜の上原家(元太田氏家臣でその後小田原北条氏につく)文書が展示の主たる部分だからということだった。

期間中、講演会や見学ツアーもあるのだが、残念ながら今の私では参加できない。
今晩は、購入したカタログ(1500円)をじっくり読むことにする。


蕎麦の限界と可能性

2019年06月15日 | 生活

もともと麺類が好きな私だが、健康を第一義とするようになってからは、選択肢から外れる麺類が出てきた。
まずは国民食であるラーメン。
ラーメンは汁(つゆ)こそ命であるはずだが、その汁の塩分が健康に悪い(実際、ラーメンマニアは短命)。
したがって不健康食のレッテルを貼らざるをえない。

ついで、うどん。
精製された小麦でしかない白いうどんは、カロリーこそ蕎麦より低いが、栄養に乏しく、グルテンの塊にしかみえない。

パスタはその点、うどんよりまし(全粒粉ならなおさら)。

麺類の中で栄養的に豊富なの(タンパク質など)は蕎麦である。

麺だけをみると、かくして蕎麦が一番となる。

ところが、

蕎麦を蕎麦として賞味するには、どうしても「もり」に限られる

(もり/かけ、がそばの2大分類。ざる・せいろは、もりの器の名称)。

蕎麦はそれ自体で完成されすぎてしまった(麺そのものの個性が強すぎる)ため、バリエーション化の道が断たれてしまった。 
そして蕎麦単品では、たとえ蕎麦湯を飲んだとしても、一回の”食事”としては栄養バランスは悪い。 

そもそも蕎麦は、もともと小腹が空いた時の軽食(たとえば寝る前の夜食)であって、2もしくは3回の”食事”の対象ではなかった(うどんや素麺も同じで昔は’点心’に分類)。
中華麺もパスタも、本来はコースの中の1つのディッシュであって、それ自体が食事の主役ではないのだが、
これらは、多彩な具と一体になることで、食事として栄養豊かな完全食化が可能である。

私にとっては「五目焼そば」がその最たるもので、中華料理店で注文するのは、もっぱらこれ(具が同じ五目麺は汁=塩分がある分栄養評価に劣る)。 →関連記事「勝利の五目焼そば」
パスタなら、ボロネーゼでもボンゴレでも、サラダを付ければ完全食化できる。

うどんは、丼ものの領域で蕎麦に対してバリエーションの差をつけているし、なんなら「焼きうどん」という手もある
(通常の”焼そば”系は栄養バランスとして五目焼そばに劣るので、”五目焼きうどん”が理想)。

なので、江戸っ子の一人として、外出時には蕎麦を嗜みたいのだが、栄養バランスの悪い食事をしたくないし、
蕎麦通が店で実行する、まず日本酒でちびちびやりながら肴を数点食べて、最後に蕎麦を賞味するという流れは、昼間から飲酒をしない私には栄養以外の点でも不健康に見えてマネできない。

実は蕎麦にも、江戸の昔から「おかめ」や「卵とじ」のような具を重視したものはあった。
冷し中華の蕎麦バージョンのような、いろいろトッピングされた”冷やしぶっかけ蕎麦”のたぐいが、「もり」のバリエーションとして増えてくれればありがたい。 


隣の運転手が運転中に突っ伏したら

2019年06月10日 | 防災・安全

福岡の多重事故(2名死亡)の原因は、画像解析によると、どうやら運転手が運転中にアクセル踏んだまま人事不省に陥ったことらしい(本当の状態は解明できないだろう)。
そして助手席にいた妻が必死の覚悟でハンドル操作をしようとしていたが、その甲斐もなく、運転手の体を動かせなかったようだ。

そこで、このような事態に陥った場合、助手席の人間がとるべき危機回避行動を考えたい。
冷静な時に(システム2で)シミュレーションをやって、対処パターンを頭(システム1)に入れておくのだ。
なのでこのシミュレーション(下の①〜④)を諳(そら)んじておけるように(地震時の対処を諳んじているように)。 

ただし、そのためには運転の基本操作は、誰でも(免許がなくても)知識として知っている必要がある。

まず優先すべき制御対象は走行路ではなく速度(強い運動エネルギー)の方であり、それは踏み続けているアクセルペダルを無効にすることだ。
AT車のギアはクラッチを踏む必要がないので、シフトレバーの操作(手)だけで切り替えれる( MT車でもNにするにはたいていクラッチ不要)。
そこで、①ギアをN(ニュートラル)にする。
これで車は、大きいエンジン音のまま、タイヤの駆動がエンジンから切り離され、自然な減速に入る。
 
次には、シフトレバーの後ろにあるサイドブレーキを思いきり引く
そうすれば、減速が促進される。
ただし、車種によってはサイドブレーキを足(一番左のペダル)で操作する場合もあるので、その場合は助手席からだと足が届かない可能性がある。
 
そして周囲に異常事態であることを知らせるために、③ハザードランプをつける。
これは前面パネルにわかりやすい△印のボタンがあるはず。
ハザードランプは、ブレーキランプの代わりとして後続車からの追突防止にもなるし、周囲の車は異常事態を察知して遠のいてくれる。
 
以上の3操作は助手席側から右手一本ででき、高速のまま壁に激突という最悪の事態から免れる。
可能ならクラクションも押しっぱなしにするといい(ライトの点灯までは無理かな)。   

あとは(走行路は制御できないので)、④衝突時の衝撃に対処する。
くれぐれもシートベルトから外れてはならない。 
 
突っ伏した運転手を動かすのは停止してからでよいのだ。
 
逆に言えば、こういう車が突進してくる可能性があることを、横断中の歩行者も心しておくべきだ。

京都・東山を散策

2019年06月09日 | 

京都の長楽寺にある秘仏・准胝観音像は、天皇の代替わりの時だけ公開されるという。
今回、その機会に巡りあえたので、公開が終わる16日の前に、名古屋から日帰りで京都に行く事にした。
そう、名古屋からだと京都は日帰り圏。
新幹線(のぞみ)だと30分も乗っていると京都に着く。 

といっても訪れるのは久々。
市内の移動はバスが主だが、本数が多いのでたいして待たない。
ただ運賃は市内230円で、都バス(200円)より高い。 

駅構内からバスの中まで外国人でごった返している。
やはり中国人が多い。
「祇園」でバスを降りて、八坂神社内を通り抜け、東山山陵の懐ろにある長楽寺へのゆるい登りの道を進む。
拝観料を払って石段を登ると本堂がある(写真)。
緑に囲まれた素朴なたたずまいで、むしろ鎌倉的風情。
私の前にいた中年女性が本堂前で神社式の参拝をしていたので、 いくらなんでも座視できず、
「お寺では手を合わせるだけです」と仏式参拝の作法を教えた。

さて、堂内の中央に、秘仏准胝観音が開帳されている。
さすが、日頃公開されている前立の准胝観音像と見比べると、造りの精度が違う。
そもそも、准胝観音ってあまりお目にかからない観音様だ。
手が片側で9本ずつあるので、略式の千手観音を彷彿させるが、面は一面だけ。
天皇の代替わりに公開されるので、京都御所にいた頃の天皇はその機会にこの准胝観音を拝んだそうだ。
明治以降の天皇は、国家神道に束縛され、仏詣すらできない。

この寺の収蔵庫には一遍上人を始めとする遊行上人像などがあり、もともと平氏の建礼門院ゆかりの寺なのだが、時宗(じしゅう)ゆかりの寺にもなっている。
この他建礼門院の寺宝(安徳天皇着用の衣で造った幟が痛々しい)や庭園もあり、結構充実した拝観だった。

山門を下って左側に入ると、大谷祖廟で親鸞上人の廟所。
一応参拝した。
さらに下って円山公園を北に脱けると、浄土宗の本山・知恩院に達する。
どでかい山門をくぐり、石段を登るとこれまたどでかい御影堂、さらに奥にはこれまたどでかい鐘もある。
いかにも京都の本山っていう威厳。

鐘楼から外に出ると、法然と親鸞が出会ったという吉水の安養寺(時宗)。
かように、このあたりは法然、親鸞、一遍と続く浄土門ゆかりの密集地。

この先に「吉水弁天堂」があるので、立寄ると、入口に鳥居があり、堂内中央には、神鏡が飾ってある。
ところが、祈りには弁財天の真言(オン・サラスバティ・ソワカ)を唱えよと書いてある。
まさに神仏混交だが、弁財天は仏教に組み込まれたヒンズーの神。
少なくとも、神道の神ではない(神道も、本来はなんでもありだから)。

長楽寺からの道と合流して再び円山公園にもどって、ここから南に折れて高台寺に向う「ねねの道」を歩く。
そういえば、高校三年の修学旅行で、祇園から円山公園を抜けて清水寺まで歩き、その道の風情が気に入ったのを思い出した。
周囲は観光客でごった返し、レンタルの浴衣を着た若い女性(ときたま男性も)が目につくが、
話す言葉は中国語(他の外国人は会話の音が耳まで届かない)。 
和服ってシンプルながら、それなりの服装美を実現できているから、外国人もあこがれるのだろう。

今回は清水寺まで行かず、途中で西に下って、八坂の塔に向う。
五重の塔の向いの八坂庚申堂には若い女の子が密集しており、「くくり猿」を願掛けに奉納している。
庚申堂は願い事が書かれたくくり猿(布製の球にしかみえない)でカラフルに飾られている(写真)。

そういう私も庚申様は好きなので、三猿像(庚申のつかい)の焼物を買った。 

バスの通る東大路に出ると、通りの向こうは建仁寺なので、その塔頭である禅居庵に向うため、通りを横断。
禅居庵は建仁寺の塔頭の中でも庶民に公開された所で、摩利支天を祀っているのだが、
ここにわれらが小笠原流礼法の開祖・小笠原貞宗公の墓所があるのだ。
ただし今回は長楽寺のついでにたまたま足を伸ばしたので、墓参の用意をしていない。
摩利支天参拝用の線香を拝借して(もちろん賽銭投入)、火のついた線香二本を墓前に置いた。

ここから宮川町の茶屋街を脱けて(舞子さんにはお目にかかれず)、鴨川を渡り(さすが京の町は川に背を向けていない) 、河原町松原からバスで京都駅に戻った。

京都は密度が高いから、かような日帰り散策でも充分楽しめた。
そういえば、まだ訪れていない所がたくさんある。
これからも時機を選んで訪れるようにしたい。 


鬼子母神の大イチョウで不思議な体験

2019年06月02日 | パワー・スピリチュアル

雑司ヶ谷の鬼子母神は都内でも有名な寺だが、池袋にはしょっちゅう行くものの、今になるまで行きそびれていた。

そこには、樹齢700年になる大イチョウがあり、今も元気だと言うので、気の交流を求めて初めて行くことにした。

池袋から明治通りを南下し、左にハスに入ると、境内裏手の妙見堂に達する。
付近は、繁華街から指呼の先という立地とは思えない落ち着いた寺町の風情。

本堂に参拝し、大黒堂でここにちなんだ「おせんだんご」を食べる(製造は根岸の羽二重団子)。

境内には、木の密度は低いながら大樹が散見する。
東京の繁華街から少し入っただけで大樹が居並ぶ空間があるのは貴重だ。

さて、その中でもひときわ存在感を示す大イチョウと対面。
この巨樹には周囲に柵が作られ、触れることができない。

それでも、両手をかざして、気の交流を試みる。
視野に広がる樹肌(写真)を凝視していると、樹肌の模様がゲシュタルト崩壊をし始め、樹皮の模様が一様に細分化されてまったく別の模様になる。
そしてついにはこれらの模様がいっせいに上方向に動き出していく。

このような仮現運動(実際には静止している視覚対象が動いて見える錯覚現象)は、暗闇で線香の火を凝視していると発生するように、視野に空間的手がかりが見えないと発生しやすいが、

今は視野の端に、歩行者も見えるので、視野における上下の空間的枠組みは保たれている。
だから木が(歩行者が歩く)地面から上にせり上がっていく動きに見える。
このような不思議な視覚体験が起きるのは、この木固有の力かもしれない。

かように、初めて視覚で交流を楽しめた。

他の接近できる木で両手をかざして気の交流をすると、こちらの気が発射される左手は冷風を感じ、気を受け取る右手は木からの温風を感じる。
だが、木肌が近すぎるためか、あるいは肌理が異なるためか、大イチョウとのような視覚的交流はできなかった。 

この後、鬼子母神堂を管理する法明寺、威光稲荷堂に立ち寄って、途中「老眼めがね博物館」という面白い店にも立ち寄って、池袋に戻った。

ちなみに、動いて見える大イチョウの樹肌を写真に撮って、家のパソコンのデスクトップ画面(27インチ)にして見たら、やはり、ゲシュタルト崩壊と仮現運動が発生した。
体験してみたい人には、この写真をお送りします
(希望の旨とメアドを記してコメントとして送り下さい。写真希望のみのコメントは表示しません)。