今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

北区飛鳥山博物館再訪

2023年03月30日 | 東京周辺

すでに散り始めている今年の桜を見逃すまいと、江戸時代からの桜の名所である北区王子にある飛鳥山(あすかやま)公園に行った。
王子には飛鳥山公園の北を流れる音無川も桜の名所で、いわば山と谷の両方の桜を鑑賞できる。

王子に行った時は、音無川沿いの中華飯点で五目焼きそばを食べるのだが、
あいにく定休日のため、チェーン店でない駅そば「王子そば」でゲソ天そばを食べる。

飛鳥山に登る無料パークレール「アスカルゴ」は乗りたい人たちの長蛇の行列なので、徒歩で登る。
山上の桜は葉桜になりかけているが、コロナ禍から解放された人々が、桜の木の下にゴザを敷いて飲み食いを楽しんでいる(写真)。
こういう規制なく花見の宴を楽しめる情景はいいものだ。
さらにここには子供用の広場もあるので、若い家族連れも多い。

この公園内に博物館が3棟あり、その1つが郷土博物館である北区飛鳥山博物館(他は紙の博物館と渋沢史料館)。

以前にも訪れたが、”郷土博物館巡り”の目線で改めて見学する(高齢者割で150円)。
ここは建物が新しく、また設計も洗練されていて、例えば階下に降りる階段も微妙に湾曲して、歩くにつれて視界が異なる。

北区では旧石器時代の展示は3万年前からで、昨日の松戸より5000年古い。
南関東の海岸線の遷移がきちんと説明されていて、北区に限定されない背景的知識をもとに展示を見ることができる。
北区は武蔵野台地と古東京湾だった東部低地の境界(京浜東北線)を跨いでいるため、原始時代から人が住んでいて、厚さ4mにもなる日本最大級の中里貝塚があり、その剥ぎ取り標本が展示されている(写真右上)。
説明によると、貝塚は単なる食べ残した貝殻などのゴミ捨て場ではなく、命あったものたちの埋葬の場でもあったらしい。

その貝塚で発掘された縄文人の全身骨格が展示されており(写真中央上。縄文人は上の前歯が前に出ずに、下の前歯とぶつかっているのが特徴)、説明によると同じ場所から胎児の骨も埋葬されていたという(昨日の松戸は幼児だったが、こっちは胎児)。
また地元で発掘された全身の土偶が展示されているのも、豊かな縄文文化が広がる関東ならではか。

続く弥生時代は、東日本のたいていの博物館では、縄文時代と古墳時代の”つなぎ”のサラッとした展示で終わるが、ここは縄文時代に匹敵するくらいに充実していて、弥生時代では集落ごとの争いがあったとして、その争いの再現映像が弥生時代の住居の中から覗ける仕組みになっている。

古墳時代の地元発掘の埴輪も展示され、律令時代には北区は武蔵国豊島郡の郡衙が置かれたため、米倉である”正倉”の復元など、郡衙についての展示がある(国衙や郡衙でない所はこの時代の展示が乏しい)。
そこに掲示されていた律令時代の武蔵国内の郡の分布図を見ると、当時の郡境が現在の東京都境になっていることがわかる。
すなわち明治の廃藩置県は、試行錯誤の結果、結局は古代の郡境を復活させたわけだ。

平安末になると秩父平氏系の豊島氏がこの地を支配し、室町末に太田道灌によって滅ぼされるまで、ずっとこの地の主人であったので、中世の展示は豊島氏が中心となる。
かように歴史的に見て、北区こそ本来は「豊島区」を名乗るべきなのだ(北区内に豊島という地名も残っている。そもそも東京23区で単なる方位の区名は北区だけ)。

江戸時代になると、将軍吉宗がこの地を気に入り、桜の名所とさせた(なので、ここは江戸時代から桜の花見のメッカ)。
その様子を示す映像が復元された御座所に腰掛けて見ることができる。
さらに区の北辺を流れる荒川の生態や洪水を前提とした生活形態の展示もある。

別の階では、この地に暮らしていたドナルド・キーンの企画展をやっていた。

かように、ここは周囲の区立博物館より設備も展示も充実している。
また、今でこそ北区一の繁華街は赤羽だが、訪れる先が多いのはむしろ王子だ。


松戸市立博物館を見学

2023年03月29日 | 東京周辺

春休みも押し詰まった3月29日、昨日の雨天で延期した、千葉の松戸に行く。

東京から川を渡った先にある松戸は、意外に名所旧跡が多いことを痛感したので(→松戸の名所巡り)、ここの市立博物館も期待したい。

まず馬橋にある萬満寺の重要文化財の仁王の股潜りができる期間というので行ってみたら、
その様子は微塵もなかった。
虚しく松戸に引き返して、新京成に乗り換えて、霊園※で有名な「八柱」で降りる。
※:母方の祖父母の墓がここにあった頃(その後移転),数回墓参に行ったことがある。

ここからバスに乗って2つ目の「森のホール21」で降りると、緑豊かな公園内の博物館が目の前。
新しい建物に入り、入館料310円払って、スロープ伝いに2階の総合展示フロアに行く。
平日ながら春休み中なのだが、客は私一人。
その一人の見学客のために、館内の複数箇所に係員が着席する。

展示は、2万年以上昔の旧石器時代から始まる。
松戸は古東京湾に面した台地末端なので、原始の大昔から人が住んでいたわけだ。

そして縄文時代も各期ごとに土器類が展示され、集落のジオラマでは竪穴式住居の設置過程などさまざまな暮らしぶりがビデオ解説される。
石器の材料が関東一円(さらに島嶼、信越)から渡ってきて、幅広い交流が伺われる。

縄文に続く弥生・古墳時代の遺跡も多く、河原塚1号墳の埋葬者(50代男性とその孫らしき3歳男児)のリアルな復元模型は、埋葬時を蘇らせるようで心に刺さる。

ここまでの考古学展示はそれなりに豊かなのだが、次の律令制以降〜平安時代となると、
途端に情報が少なくなるのは、関東の郷土博物館共通の傾向。
それすなわち、古代の”都”中心主義は今の東京中心主義の比ではなく、
平安京にとっては、関東などの地方は公私にわたる植民地でしかなかったためだ。
都に住む為政者・貴族は植民地からの上がりを頼りに権謀術数と宮廷恋愛にうつつを抜かしていた。
それに風穴を開けたのが関東の鎌倉幕府。
武家政権になって、関東だけでなく、日本各地の開発が進む。
松戸も幕府を支えた御家人・千葉氏によって開発が進み、また同じ千葉出身の日蓮も新しい教えを広げていく。
以前訪れた小金城の復元模型もある。

江戸時代は、水戸街道の宿場(松戸、小金)となり、また周囲に小金牧という馬の牧場が広がり、
将軍臨席の大規模な鹿(しし)狩(勢子の動員10万人)が行なわれた。

明治以降の展示は簡単にまとめられているが、昭和30年代にできた常盤平団地の一世帯の実物展示が、
当時の”新しさ”を思い出される(ノスタルジックな昭和30年代とは異なる雰囲気)。

別棟の「主題展示」スペースに行くと、虚無僧寺一月寺の展示があり、
虚無僧の像や尺八の展示がある(右図はそこに展示されていた江戸時代の一月寺門前の絵。中央の二人が虚無僧(『風俗画報』より))。
私は大学時代、ずっと尺八をやっていて学園祭などに演奏していた(余興で虚無僧の格好をしたこともある)。
その頃の知識では虚無僧が所属していた普化宗の本山は京都の明暗寺だと思っていが、
実はここ松戸の一月寺と東京青梅の鈴法寺が二大本山だと知った。
展示には一月寺の虚無僧についての文書や普化禅師の木像もある。
これらを見ている間、頭の中で久々に尺八の音が響く。

普化宗は明治政府によって廃止させられ、上の両寺とも廃寺となったが、
一月寺は日蓮正宗になって現存しているようだ。

隣の展示室は、二十世紀梨について。
なんでもあの二十世紀梨は松戸で誕生したとのこと。
しかも今でも千葉は梨の第一の産地だという。

以上で1時間半。
至極ローカルな市立博物館だが、それなりに充実した展示で、
ビデオ解説などを使って情報量を増やす工夫が良かった(文字や静止画よりわかりやすい)。
帰りは八柱まで、桜並木を歩いた。


ファッションのジェンダーレス化を歓迎

2023年03月28日 | 時事

あちこちで制服がジェンダーレスになりつつある。
それはLGBTQに対する配慮からだろうが、もとも世界中の文化はジェンダー(社会的性別)を過剰に峻別してきたきらいがある。

男である私(自称詞にジェンダーは不要で、”僕”を使わない)も、
生物学的な性別はそのまま受容するも、過剰なジェンダー化には辟易してきた。

それを一番感じるのはファッション。
若い頃、同世代の女性たちの夏の7部丈パンツが涼しそうで見た目もスッキリして羨ましかった
(男物は長ズボンか膝上の半ズボンしかなかった)。
冬は、彼女(他称詞も本来は”彼”一択でいいと思う)たちのレッグ・ウォーマーが暖かそうで羨ましかった
(男物はモモヒキきしかなく、下腿だけの物がなかった)。
服の本来の機能は、身体気候の調整である。
ところが男の服装は、固定的で種類が少なく、
このように身体気候の微妙な調整ができない(特に暑さに対して)。
もちろん機能以外に、デザインとしての楽しさがない。

時計や靴も同様。
男物の腕時計は、腕の細い私には、デカすぎで不恰好にしか見えないので、
より小柄のユニセックスタイブしかつける気がしない。
革靴も、定番を買うとあとは買うものがない。
デザイン的に惹かれるのは、いずれもレディース。
ファッション(服装)に関して、ほんと男は選択肢が乏しくつまらない。
服装のデザインにジェンダーを外して、サイズだけで選べるようにしてほしい。

面白いことに、日本の伝統的な着物は、世界的に珍しく男女で同じ作り。
なので、今でも旅館の浴衣はジェンダーレスで、サイズの違いだけで選べる。
着物の柄や帯にはジェンダーがあったが、
室町時代の”バサラ”といわれたぶっ飛んだ男たちは、女物の着物を着て街を闊歩していたという。
※:女性の着物は丈が身長以上に長かった(裾を地面に広げていた)ため、男が着ても短くならない。江戸時代になると、おはしょりをして裾を上げるようになった。
一方、江戸時代の男子の正装を構成する袴は、幕末に日本に来た欧米人にはスカートに見え、
スカートをはいた男たちとして奇異の目で見られたという。
でも袴の末広がりのシルエットは、見た目に安定感があって悪くない
(私は着物で外出する時は必ず袴を着ける)。
なのでジェンダー意識をはずせば、男のスカート姿も見た目に悪くないはず
(すね毛の関係でミニはちょっと…)。


幼児の転落事故を防ぐ方法

2023年03月27日 | 防災・安全

2歳の双子がマンションの高層階の窓から転落死した事故。
2歳という所にポイントがある。
そして母がごく短時間だが不在であったことも(別室で家事中だったとのこと)。

この時期の幼児は、母親に対して異常ともいえる愛着を示す
(再接近期といって、内面の不安が原因)。
具体的には、家の中で母親が見当たらないと、泣き叫んで探し回る。
母親以外の家族がいてもこれはおさまらない。

パニック的な状態になるので、日常行動外の挙に出る。
たとえ窓の鍵を開けたことがなくても(知っていたらしい)、
観察学習で鍵を回して窓を開ける仕組みを知っていれば、
家にいない母を求めて、外につながる窓を開けることを試みるだろう。
すなわち、気持ちは母に向かっているので、その母が室内にいなければ、
気持ちは外に向かう。
すると体もそれについてくる(あとは重力に支配される)。

現実問題として、母親が子を置いて(玄関の)外に出することを無しにはできまい(この時期の子の異常な愛着は、母親にとってストレスともなる)。
その場合は、他の人が残って、少なくとも、母を探して泣きわめく子が危険な挙に出ないように監視することが必要。
最悪、誰もいない瞬間となっても、窓やベランダの手すりを乗り越えられないように、
その下に踏み台となるものは置かない措置は必須。
この最後の措置だけでも、転落事故は免れる。

逆に言えば、この措置をしなかったことが転落事故を招き、
実際にそうなってしまった。
なぜしなかったのかというと、
我が子の”日常行動”内では危険がないと判断したためだろう。
日常行動ではなく、可能な行動で判断しなくてはならないのだ。

歩ける幼児がいる場合、家の窓・ベランダだけでなく、
駐車場においても同様な注意が必要。


教え子の結婚式に出席

2023年03月26日 | お仕事

久しぶりに大学の元教え子の結婚式に出席した。
実は式の招待状が届いたのは昨年の6月で、秋口に式を予定していたが、コロナがぶり返したので、半年延期になったのだ。

言い換えれば、大切な人生の通過儀礼がやっと通常通り執り行なえるようになったわけだ。
すなわち、大勢での密集や会食(談笑)が抵抗なくできる状態に戻った。

結婚式は、人生の通過儀礼の中で、当事者が主体的に開催し、享受できる唯一の儀式である。
そして主催者と縁のあった人々が集って、つかぬまの出会い・再会を楽しめる。

実は、この日のために礼服を新調し(手持ちの礼服はウエストが閉まらなくなった)、靴も礼服用のストレートチップを購入し(今では革靴は儀礼にしか履かない)、二日前に散髪して初めて白髪を染め、すっかり新鮮な状態で臨む。

披露宴だけの出席と思っていたら、当日になって招待状をよく見たら、挙式からの出席だった。
キリスト教会での挙式出席はよくあるが、神(道)式での挙式に参列するのは初めて。

実は、日本の伝統的結婚式では、いわゆる挙式は、結婚する当事者2人と、三々九度の儀式を執り行なう雄蝶・雌蝶役の2人の女性と花嫁を介添する女性の計3人と合わせて5人だけで行なった※1
※1:雛人形の男雛・女雛と三人官女の組み合わせがこれを示す。言い換えれば五人囃子以下の雛壇は人形屋さんの追加分。
すなわち結婚は本来は当事者2人だけの儀式で、親兄弟すら同席しないものなのだ。
ただし、その後の宴会は大勢参加して夜通し(3日間)続いた。

キリスト教式の結婚式※2を模して大正時代から始まった神式の挙式は、伝統的三々九度や神道的儀式(修祓、祝詞、玉串奉奠、鈴の儀など)も含まれるが、キリスト教式に指輪の交換などもする(キスはしない)。
※2:キリスト教式結婚式は、逆に開放的で、たまたま教会に居合わせた部外者も参列できる。
今回の神式は、出雲系なので、拝礼は二拝拍手一拝。
さすが神官の拝礼姿勢は直角で見事だった。
ちなみに、参列者は指示されなくても全員マスク。

続く披露宴での私の席は”新婦友人”テーブルの一角で、大学の教え子がいるかと思ったらおらず、同じ丸テーブルを囲むのは高校時代の友人たち(♀)と、卒業後の友人たちの2グループに挟まれた状態。
すなわち、私にとっての縁者がおらず、しかも双方とも新婦の年齢帯なのでまず私とかなりの年齢(世代)差がある。
さらに私には「大学教授」の肩書きが各人に配られた座席表に記されている。
大学教授って話しかけづらい相手の上位にくることは知っている※3
これでは彼女たちから私に話しかける気力も起こらないだろう。
※3:大学教授に話しかけるには、専門領域は何かを尋ねればよい。ただし、その話題に下手に興味を示すと、話が止まらなくなる危険性に注意。

2グループに分かれた円卓で一人黙然としているのも居心地が悪いので、私から左右に話しかける。
切り出しとして、共通の知人である新婦との間柄について尋ねればよい(上のグループ情報がその結果)。

考えてみれば、初対面の(学生以外の)若い人と会話(雑談)するって久しぶり。
もちろん、新郎・新婦、それに双方の親御さんにも祝福の挨拶をしたが、つかぬまの出会いを楽しむのもこうした宴席ならでは。
ついでに、新郎・新婦が用意してくれた、航空会社ファーストクラス採用のワインを数種類飲めたのもいい思い出になった。
もちろん、縁ある二人の人生の門出に参加できたことこそ、一番の意義であることは言うまでもない。


自分の超能力を確認する方法

2023年03月26日 | 心理学

スピリチュアルではなく、科学的研究としての「超心理学」の話題。

超能力(超感覚、念力)は、実は多くの人が微弱ながら持っていることが超心理学の客観的な研究で確認されている。

微弱なのでパワーとしてはたいしたことないが、それを確認することで、超能力が身近なものとなる。

では自身の超感覚(ESP)の中の”透視/予知”能力を確認してみよう。

トランプのカードを用意する(ジョーカーを外す)※1
※1;トランプカードを使うのは略式で、正式には 5種類の図形からなる ESPカードを使う。
トランプのマークには好き嫌いがあり(は好まれる)、それが透視・予知判断に影響するためだ。
ESPカードは好き嫌いの差がない図形となっている。

52枚のカードをシャッフルして、重ねて置き、上から1枚ずつカードをめくるのだが、
めくる前にそのカードをじっと見つめて、赤(♥、🔸)か黒(♠︎、♣︎)かのどちらかを予想する。
じっと見つめて判断するので、一応”透視”のつもりである。
ただ実際には「見えて」来ないだろうから、そこはヤマカンでいい
(そうなると”予知”になる)。
とにかく赤が黒かどちらかに決める。

そしてカードをめくって、当たっていたらたとえば左、外れたら右に置く。

カード全てについて上の試行をして、終わったら、左(当たり)と右(はずれ)の量(枚数)を比較する(これを1試行とする)。
この試行をできるだけ多く繰り返す(頻度は1日1試行でもよい)※2
※2:試行回数を多くすることで統計的信頼性が高まる。ただし連続してやりすぎると、
(他の心理作用と同じく)超能力”疲れ”が出て成績が下がるという。

少なくとも5試行以上はやって、それを集計すると、
多くの人は、正解率が統計的期待値である50%にはならない結果になる
(厳密な判断には統計学的検定が必要)。
もっとも、50%から大きくずれる(たとえば±15以上)こともないだろうが、
この統計的結果は、微弱ながら超能力の証明になる。

たとえば、私が若い頃にこれをやった時は、必ず毎回、外れが6割以上になり、
およそ半々(50%)になることも、ましてや当たりが1枚でも多くなることも一度たりともなかった。
私のような現象は、実は当たりが6割になるのと同じことで、
ただ本人が自分の超能力を信じていない場合や、
超能力があるのにうまく使いこなせていない場合だという。

確かに、USBを差し込む時、大抵上下が逆で、ほぼ毎回差し込み直していた
(それを見越して、あえて上下を逆向きにして差し込むと、今度はそれが間違っていた)。

ちなみにUSBは最近はタイプCになって上下の向きは問題なくなったので、
私のような”逆超能力者”にとってはこの上なくありがたい。

ところが最近は、当たりが6割以上になってきた。
これは自分がスピリチュアルに目覚めて、そういう世界を受け入れ、
またパワー開発にいそしんでいるためかもしれない。


祝、 WBC優勝!

2023年03月22日 | 時事

春休みなもんで、朝から洗濯物を干しながら、 WBCの決勝(アメリカ)戦をテレビ観戦できた。

村上のスタンド中段に飛んだホームランはすごかったし、9回の大谷vsトラウトの最強勝負で、三振に打ち取ってゲームセットなんて、昨日に続いての出来すぎのシナリオ。
相変わらず試合時間が長かったが、結果オーライ。
なんだかんだ言われても”世界一”の称号にケチをつける理由はない※、まずは選手たちに祝福を!
※:武家礼法(非暴力的武士道)に携わる者としては、たかがスポーツのチームに”侍”呼称をしてほしくないという気持ちがずっとあったが、彼らが世界に示した礼(=敬:リスペクト)に則ったプレースタイル+抜群の強さは”侍”と呼んでいい(片方だけではダメ。両方必要)。

昨日、アメリカに勝ったメキシコに勝ったから、そのメキシコに負けたアメリカにも勝てると思っていた(実際、昨日の方が危なかった)。
ちなみに、この図式でいくと、この日本代表チームが唯一敗北を喫したのは中日ドラゴンズなので、真の”世界一”は、昨年セリーグ最下位のこのチームなのかも。

かように、試合時間の長い野球は、短期決戦ならば観戦に耐える。
なので、これからもじきに開幕するペナントレースは長い予選期間として遠くから眺め、クライマックスシリーズ以降を楽しみにする。


なんちゅー試合だ!

2023年03月21日 | 時事

休日の朝、 もちろんWBCの日本・メキシコ戦のテレビ観戦。
といっても長い試合時間になるのはわかっている。
日本が3点取られて旗色悪くなっている間、気分転換に近所に買い物に出かけた。

諦めたわけではない。
ただあと一本が出なくてもどかしい展開が続く。
それでも7回裏に吉田の起死回生の3ランで試合が振り出しに戻った。

ところが、また8回表で山本が連打を浴びて2点のビハインドとなり、
その裏に山川の犠牲フライで1点は返したものの、1点のビハインドで最後の9回裏を迎えた。
幸い、打順は三番大谷からのクリーンアップ。
大谷は気迫溢れる初球2塁打。
そして試合時間が4時間近くなる、正午前。
なんと本日3三振だった五番村上が2者を返す2塁打を打って、サヨナラ勝利。
これまで打てなかったあの村上だ。
ここで打たなきゃどうする!という究極の場面でのサヨナラ打。

このサヨナラ劇を見ていて、「なんちゅー試合だ!」と半笑いするしかない感想。
もちろん守備にも見所があった。
これ、マンガやドラマだったら、あまりに出来すぎの展開で逆に文句が出る。

それが現実に起きるのだから、やはり最高水準の選手たちの試合は面白い(両チームエラー0)。

この面白さで明日の決勝に進めたのだから、明日のアメリカ戦も楽しみだ(春休みなのでテレビ観戦できる)。
※アメリカは日本に負けたメキシコに負けている。


TFCCを損傷していた

2023年03月20日 | 健康

昨年末に高水三山に行った時(→年末の高水三山)、左脚の腸脛靭帯を庇うために、ずっとストックを右手に持って(左足が前に出る時、右手でストックを突くように)歩いた。

おかげで、左脚の腸脛靭帯は無事だったが、ストックを握っていた右手の手首が痛くなってしまった。
どうせ使い過ぎによる筋肉痛だろうと、数日すれば痛みが引くものと楽観していた。

ところが右手首の痛みは一向に引かず、痛いまま、とうとう3ヶ月を過ぎようとしている。
すなわち、この3ヶ月間のあちこちの温泉旅行や鎌倉や水戸の日帰り旅行中もずっと右手首が痛かった。
これはあまりに長すぎる。
単なる筋肉痛でないことは確かだ。
ただ手首を打ったり、捻ったりはしていないので(腫脹はなく)、思い当たる節がない。

私は左利きなので、書字や食事には支障ないが、世間は右利きを前提としたシステムになっているため、ドアの開閉等、生活動作として右手を使わないわけにはいかない(大事な物は左手で持ってるためでもある)。
そのたびに痛みを感じるため、もちろん手をこまねいておらず、湿布薬やマッサージ器、さらには手首用のサポーターもつけるが、一向に改善しない。

この春休み、眼科・循環器科・歯科・皮膚科と通って、身体を整えてきた。
残りはこの右手首。

というわけで、早速整形外科に行こうと思ったら、実家近所の整形外科は評判が芳しくない。
家族によれば、医師の応対に問題があり、患者を不快にするという。
そういえば名古屋宅近くの整形外科もそのような印象だった。
整形外科医の性格特性って、眼科・循環器科・歯科・皮膚科医などとは異なるのだろうか。
なので、医院選びは慎重にと、少々遠くても(家族とネットで)評判のいい医院にネット予約を入れた。

マスク着用が自己判断になっても、日本的常識として、医院に行くときはマスクをしていく。
実際、院内ではマスク着用が求められていた。

さて、そこでの超音波検査画像(真っ先にレントゲンを撮られるかと思ったら違った)を見ながらの診断は、TFCCの損傷という。
初めて聞く名前。
このTFCCとは、手元資料※によれば、三角繊維軟骨複合体(trianblar fibrocartirage complexs)という軟骨・靭帯・手根骨・尺骨を結合して安定化する組織のことで、症例は意外に多いという(捻挫だと思っていたら、数週間たっても全然痛みが引かない場合)。
ただしこの組織の存在は最近の知見のようで、古い頭の医師は知らない可能性があるという。
※:井尻慎一郎『痛いところが分かる 骨・関節・神経の逆引診断事典』創元社  この本を早く読んでおけばよかった。

ちゃんとした医院を選んでよかった。
痛みが早く治まるための注射を受け、(市販のサポータにはない) 「TFCC固定バンド」という添木のある専用サポーターを装着され、他にロキソプロフェンの湿布薬が処方された。
注射と湿布薬は抗炎症の対処療法なので、固定バンドで損傷部に力学的負荷を与えない(局部的安静)ようにして、自然治癒に任せるしかないわけだ。

ついでに昨日経験した、山の下りでの右膝痛について医師に質問すると、それは大腿四頭筋が硬くなっているためなので、下りに入る前すなわち山頂で、大腿四頭筋を伸展するストレッチをするといいとのこと(もちろん日頃のストレッチも)。
確かに、左脚の腸脛靭帯が山の下りで痛まなくなったのも、筋膜をほぐすマッサージ器を使ってからだ。

これからはきちんとストレッチを組み入れよう。


色々な目的で高尾山に行く

2023年03月19日 | 山歩き

晴天の日曜、高尾山(東京都八王子市,599m)に行った。
高尾山は、大した準備も早起きも不要で、思い立ったらふらりをいける山。
山といっても、都民が小学校の遠足で最初に登る超初心者向けの山で、
ケーブルカーもあるので、山の装備がなくても行ける山上の行楽地でもある。
ところが、私にとっては”霊山”としての価値が爆上がりで、
今回も霊山としてのとある目的の下見とその他の目的を兼ねて、改めて訪れた。

高尾駅から小仏(こぼとけ)行きのバスに乗り、途中下車して蛇(じゃ)滝に向かう。
蛇滝は高尾山北面の谷にかかる滝で、滝行の設備(濡れた行衣を着替える建物)がある。
行者以外は立ち入り禁止になっているので、滝そのものは登山道からは見えない。
立ち入り禁止の入り口に、ハングルの表示があるものの、英語や中国語はなかった。

斜面を登って主稜線に出る手前で、2号路に入る。
高尾山には1〜6号路の道があるが、中途半端な2号路は今回初めて通る
(主要1号路の迂回路としての価値しかない)。
すなわち、歩き残した2号路を歩くことで、高尾山内の全て道を踏破したことになる。

2号路の終点からケーブル駅からの人で混在する1号路に合流し、
そのまま薬王院に達して、あちこちの堂を参拝する。
今回は、日光の中禅寺(立木観音)で買った錫杖のミニチュアを持参し、
参拝の時にそれを振る。
やはりここでも、仏様に神社式の参拝(2拝2拍手1拝)をしている若者がいたので、隣に立って、それは神社式でお寺では合掌だけだと教えた。

薬王院の売店で、お清めの塩が袋に入って売っている(100円)。
これを買うのが今回の目的の1つ。
自宅の風呂にお清めの塩を入れるためだ(除霊効果があるという)。

飯縄(いいづな)権現堂とその脇の福徳稲荷社を参拝するとき、
持参した吒枳尼天の念持仏をかざして祈り、自分の吒枳尼天像に魂を招いた。
※携帯できる蓋付きの木彫りの像。アマゾンで購入でき、多種あってありがたい。
これも目的の1つ。
飯縄権現は山そのものの化身で、吒枳尼天と同じく狐を眷属にしている。

奥の院の不動堂では錫杖を振りながら不動明王の真言を唱え、
さらに最奥の富士浅間社では、「南無あさま大菩薩」と唱えた。
普通はそこは「せんげん」と唱えるが、薬王院の売店で見た『薬王院信者勤行集』に、山内の諸尊の宝号にそう仮名が振ってあったから
※:つまるところ富士山と浅間山は同名なのだ。

混雑している山頂を通り抜けて、奥高尾にちょっと入った所にある茶屋・細田屋に行く。
ここはいわゆる観光地としての高尾山から外れた山の中なので、
観光客がいない分空いていて、また富士方向の眺めもいい。
高尾山域は茶屋に恵まれていて、昼食を持参しなくてもいいのがありがたい。
ただし昨今の時勢を反映して、値上がりしていた(おでん700円)。

ここが本日の折り返し点で、高尾山頂は迂回して、1号路を薬王院に向かう。
途中、スマホを自撮り状態にして録画しながら歩く、派手な服装の YouTuberギャル数人に遭遇。
かように1号路なら、行楽地気分で山頂まで行ける。

ケーブル駅手前の”かすみ台展望台”から、1号路を外れて琵琶滝コースの山道を下る。
下っているうち、右膝の上部が痛くなってきた。
長年患っていた腸脛靭帯炎は左膝で、そっちはなんともない。
この右膝の部位は腸脛靭帯(外側面)ではない。
といっても歩行不能になるほどではなく、ごまかしごまかし降りて、琵琶滝に達した。

琵琶滝も行者以外は立ち入り禁止だが、滝そのものは外から眺められる。
ちょうど行衣を纏った行者が滝に向かっていくところ。
こちらの立ち入り禁止の入り口にもハングルがしたためてあり、
英語や中国語はない
※:ミシュランガイドにも載っている高尾山は、さまざまな外国人が大勢訪れる。
日本語で「川に供物を投げないこと」とある。
言い換えば、ハングルだけの注意書きがあるのは、蛇滝とここ琵琶滝の滝行の場。
かの国の人たちは、滝に対して何か固有の振る舞いをするのか?

日曜の午後だからか、琵琶滝周囲の岩屋大師や地蔵仏に灯明が灯されて、
霊山にふさわしい敬虔な雰囲気が漂っている。
ここから高尾山の登山口(下山口)までは緩い下りで、登山口に着いて、高尾山に振り返って合掌した。
登山口にも清滝という細い滝があって一応行場になっているが着替える場所はない。

これにて、複数の目的(全ルート踏破、清めの塩購入、吒枳尼天の入魂)を果たした。
ただし余計な課題(右膝痛)も背負い込んだが…
そして「とある目的の下見」というのは、滝に関することで、
目的に関わるのはまだ先の話。

また、今回の蛇滝→薬王院→琵琶滝→清滝というルートは、
行楽地としてのn号路を極力通らず(スマホ片手の行楽客と一緒に歩かずに済み)、行場巡りであり、”霊山”としての高尾山を味わうのに最適。

ちなみに、マスクは、山中ではもちろん、電車内でもしなかった。