今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

陰陽論☯の再構成へ向けて

2019年03月26日 | 雑感

究極の存在である”太極”が、陰または陽という排反的性質を帯びて動的に作動しているのがこの世界(人体〜宇宙)である、という陰陽論☯は、
素粒子にかかる4つの力の1つ電磁気力に対応できるくらいの普遍性をもっている。

たとえば、量子論の泰斗N.ボーアは陰陽論が大好きだったという。
この陰陽論は、現代の科学的思考で再構成することによって、古代的前科学思想から脱却すべきであるし、脱却できる可能性をもっている。

ちなみに陰陽論を補完するために漢代あたりにくっつけられた五行思想は、
ギリシャやインドにも共通する古代の素朴な(肉眼レベルの)”元素論”の1つだが、
近代科学以降の分子論・原子論そして素粒子論の前では元素論としての生命は絶たれているので、
陰陽論の価値を低めないためにも分離し捨て去るべきである。

実際、たまたま5つある物以外については”牽強付会”でしかない五行思想は、近世的合理思想に達した江戸時代の儒学者たちに忌避され、
また心身二元でなく気(陰陽)一元論を基礎におく現代中国医学においても、五行的作用は臨床的証拠に合わないとして採用されていない
(五臓論において辛うじて伝統的位置をたもっているが、実質的な作用、たとえば相生・相克は認められていない)。

科学をはじめとする学問は、理論的あるいは実証的批判によって、誤った過去に執着することなく理論を改訂していくべきものである。
陰陽論は、過去の教典に無批判に準拠する宗教(信仰)ではなく、この世(宇宙)の原理を説明するとして、人間の知性・知見とともに進歩すべきものである。

これが私の陰陽論に対するスタンスだ。

このスタンスに立って、陰陽論の再構成を試みていく。
陰陽論(気一元論)こそ、近代心理学が乗り越えられない”心身二元論”を超克できるものと期待している。

陰陽論の原理は次の2つに集約される。
1つは、陰と陽との相互性・相対性である。
陰と陽とは単純な対立関係ではなく、相互作用をし、和合し、互いに転化する(陰と陽は性質の違いであって、組成はともに太極である)。
陰陽どちらかが勝つのではなく、均衡(調和)が志向される。
すなわち動的平衡作用をもつ。
これは陽の”動”と陰の”静”とが高次で均衡している状態である。

2つは、陰陽の2進法的重層性である。
陰陽論は世界を2分割しておしまいの素朴な2元論ではない。
世界は陰陽のペアで重層的に構成されているとみなす。
逆にいえば、複雑な組成を陰陽のビット(bit)で分解できる。
古典的な説明をすれば、太極がまずは陰陽の二気に分化し(1bit)、二気にさらに1bit追加して四象(2bit)となり、さらに1bit追加して八卦(3bit)となる。
すなわち3bit(陰陽3層)で、世界を2の3乗=8(乾兌離震巽坎艮坤)で説明できる。
さらにこの八卦を二重化して、6bit(64通り:乾為天〜坤為地)で世界を動的に説明するのが「易」(変化の書)である。
この原理でいけば、bit数をn個に増やせば、2のn乗の要素で世界を説明できる。
現行のノイマン型コンピュータと同じ原理である。
これが陰陽論の論理構造だ。
この論理構造に1つめのダイナミズムが加わることで、事物の生成・変容を重層的に説明できる。

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空気微粒子の計測開始

2019年03月25日 | 計測

私こと”計測マン”の進歩は留まるところを知らない。

計測マンの計測対象に、今春から、空気微粒子が加わった。
すなわち、PM2.5,PM10,PM1それにホルムアルデヒド(HCHO),さらにHCHOを含む総揮発性有機化合物(TVOC)である。
PM系は大気中のエアロゾルで、2.5 は硫酸塩、10は花粉が含まれる。

計器は日本製のairmon と中国製のAir Detecotr。

前者は、スマホ連動で、PM2.5とPM10を計測しスマホ画面上で評価してくれる。
データはスマホに蓄積される。
定点観測的な用途だが、防水でないので、屋外に置きっぱなしにはできない。 

後者は、上に挙げた5項目を計測する。
シックハウス症候群の原因物質・ホルムアルデヒドなどが中心で、屋内のあちこちを測るもの。
HCHOもTVOCの値が一定値を越ええるとアラームが鳴る。
屋外だとHCHOもTVOCも値が正しく0になる。
30分で自動的に電源が切れる。

両者が共通するPM2.5とPM10を同じ場所において同時に測ってみると、微妙に計測値が異なる(桁までは違わない)。
いずれも2,3千円台程の安物なので、 数値にこだわるより、おおざっぱな判断の参考にする程度だ。

一番気になるPM2.5もPM10も、屋外でもともに1桁のμg/m3なので空気は清浄といえる(25-50μg/m3以上だと問題)。

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横浜都筑区の歴史散歩:茅ヶ崎城趾

2019年03月24日 | 城巡り

春分も過ぎ、春めいてきた24日の日曜。
山城巡りとして、神奈川県の茅ヶ崎城趾に行くことにした(ホントは山に行きたかったが、この歳でも早起きが苦手)。
茅ヶ崎城といっても、所在地は湘南茅ヶ崎でなく横浜市都筑(つづき)区。

私自身、横浜は桜木町や関内(中華街・山下公園)くらいしか知らず、横浜市の内陸側はどこがどうなっているのか全くわからない。
茅ヶ崎城は、名前は聞き覚えのある「港北ニュータウン」の近くらしい。
その地はおおざっぱにいうと、横浜市の北側で川崎市寄り。
そこへは東横線の日吉(慶応大キャンパスがある)から、横浜市営地下鉄で行けることがわかった。 
日吉へは(渋谷で乗り換えなくても)家の最寄地下鉄駅から直通で行ける(実際には急行に乗り換えて早く着く)。 

横浜市営地下鉄(名古屋市営のと同じく狭めの車両)の「センター北」という駅で降りると、
いかにも新興のニュータウンという感じの賑わいで、駅の隣りに巨大ショッピングモールがある。
その中のフードコートのリンガーハットでチャンポンを食べようと館内に入ると(ラーメンは選択肢から外しているが、野菜が豊富なチャンポンはOK)、
館内には食料品はもちろん、ユニクロもブックオフもダイソーもあり、子どもの遊び場もあって、日曜など家族連れで買物ついでに館内だけで一日すごせそう。
ただ古い商店街が好きな私は、消費生活を1つのモールに依存したくはない。

さて最初に行くのは、モールの南にある横浜市歴史博物館(入館料400円)。
史跡巡りをするなら、その前に地元の博物館で基礎知識を得てからの方がいいので、まさに好都合。

展示は広い1フロアに展開されており、展示物は多くはないが、時代順にすべての説明ボタンを押して丁寧に見てまわる。
この地に博物館ができた理由の1つでもある、道路向いの大塚・歳勝土遺跡(弥生時代の住居跡)のジオラマも、そこに行く前に見ておいた方がいい。

古代(律令時代)の展示を見ていたら、暇だったボランティア解説のおじさんがやってきて、発掘された都筑郡衙跡の説明を始める。
そう、ここ都筑の地は、吸収元の横浜よりも古く、古代から郡名としてその名があり、さらに弥生時代に100名を越す大きな集落があった。
もちろん、縄文遺跡もあれば、古墳もある。
郡衙があったということは、同じ武蔵国の国衙(東京の府中)への幹線道が通っていたわけだ。
そして中世の城もある。

駅から降り立った第一印象では、この地は歴史をまったく感じさせない建物も道路もすべて新しい人工的な街にしか映らなかったが、
実は数千年の歴史が重なっている地であることがわかった。

ついでに、都筑は武蔵国として、その南の久良(くらき:横浜中枢部)とともに西側で相模の国と境を接している。
武蔵の国がこんな南にまで伸びているのが前から疑問だったが、解説のおじさんによると、本来、武蔵の国は多摩川が南限だったが、
この地は武蔵の行田(埼玉県行田市:武蔵最大のサキタマ古墳群がある)にいた一族の支配地で、一族間の争いに敗れたため、武蔵を支配していた一族に譲られたのだという。
さらに横浜の現在の繁華街は近世初期になって新田として埋め立てられた入海の跡だということも知った。
かくも情報量が多かったため、博物館の1フロアだけで2時間も費やした。

さて実物の遺跡巡りとして、道路向い(東側)の高台にある遺跡公園に行く。
弥生時代の住居跡地である大塚遺跡には竪穴式住居が幾棟も復元されている(写真)。

住居外の墓地跡は歳勝土(さいかちど)遺跡になっている(いずれも国指定史跡)。
あと江戸時代の古民家(長沢家住宅)も公園内の都築民家園に移築されている。

これらを一通り見て、南に進み、交差点の大きなゴリラ像(地元のシンボルという)を見上げて、向側の丘陵にある茅ヶ崎城趾に達する。

ここは文献史料に乏しく、城主も不明だが、4つの郭(くるわ)がほぼ完全な形で残っていて、 横浜市指定遺跡になっている。
そのうちの中郭には建物跡が発掘されている(住居ではなく倉庫であったよう)。
また関東管領の上杉氏にゆかりのある渦巻文様のかわらけが多数出土されているという。

この後、地下鉄に乗って、3キロほど先の小机城にも足を延ばそうと計画していたのだが、博物館で思いのほか時間を使ってしまい、
夜は、甥と姪の卒業祝いを兼ねた姪の誕生会を予定しているので、ここらで切り上げて降りた駅の1つ先の「センター南」駅から帰途につくことにした。 

小机城は、鶴見川沿いにあるので、計画している「鶴見川歩き」の折りに立ち寄るとするか。 

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3大地図アプリ比較:Appleマップの使い道

2019年03月23日 | パソコン・メディア

スマホやタブレットで使う地図アプリを複数インストールしている。
山歩きに使う地形や標高などが詳細な有料アプリではなく、無料の汎用アプリの間での使い勝手を比較してみた。

比較したのはこの3つ:Google Maps,Yahoo Map,そしてApple マップ(以下、Google、Yahoo、Apple)。

私は、これらの汎用地図は街歩きに使うので、その視点でチェックした。
チェックした地域は実際の状況がわかる自宅(実家)周辺。 

まず地図の詳しさ(情報量)と正確さはGoogle※に軍配が上がる。
不正確さで評判となったAppleだが、Yahooにも同じ場所の誤りがあった。

※ ゼンリンと決別した最近のGoogle Mapsに不具合が指摘されているようだが、今回のチェック地域では不具合といえるものは確認できなかった。 

特にGoogleが優れているのは、名所・文化財の表記で、これは独壇場といってよく(他の2は無し)、街歩きの必須情報としておおいに使える。
更に、神社境内や公園内の抜け道は、Google○(きちんと表記)、Yahoo△(部分的に表記)、Apple×(表記なし) の評価順。
この表記がないと不必要に大回りしてしまう。 
Googleも100%正確ではないが、実用には支障がない。

寺社ではなく道沿いにある小さな祠や地蔵尊も、Google○、Yahoo△、Apple× の評価順。
これもブラブラ街歩きにとってありがたい。
さらに街中のATMについてもGoogle○、Yahoo○(メニューで表示)、Apple×の評価順。

このままではAppleの立つ瀬がないが、実はApple固有の強みがあった。

街歩き中にどうしても立ち寄りたくなる公衆トイレはApple○、Google△、Yahoo×の評価順となった。
Googleは多機能トイレの表記があるが、見落とし箇所があり、公衆トイレの精度ではAppleに負ける。

また歩き疲れた時に探したいバス停についてもApple○、Yahoo△、Google×の評価順。
つまりAppleの表記が最も正確で、Yahooは新しい(といっても数年前)バス停の表記がなかった。
Googleはバス停表記そのものがない。

以上から、街歩きに使うなら、基本はGoogleがいいが、公衆トイレとバス停を探す時はAppleを使うことになる。
Yahooは街歩き用としては中途半端だ(カーナビではお世話になっている)。 

徒歩ナビとしてルート選択機能を比べると、Googleはちゃんと抜け道が使われ、しかも第二候補も出るので一番いい。
YahooとAppleは抜け道が使われず第一候補しかでない。
ちなみにGoogleと同じ裏道(≠抜け道)ルートが選定されたのはAppleで、Yahooはそれよりやや遠回りの大通り沿いのルートだった。
また同じルートでもYahooよりAppleの方が所要時間が多めに出る傾向にある。
歩行中のナビゲーション機能はたいして差がない(私は地図を見ながら歩くので音声案内は不要。というより裏道の細かい右左折にナビが追いつかない)。

街ではなく、郊外の丘陵ハイクなどでの使い勝手を比較すると、
画面を拡大すれば等高線が表示されるのはYahoo。
ただし歩道などは表記されないので、実際には地形専用アプリを使うべき。
Googleは設定を「地形」に変更すれば陰影の立体感は出せるが、地形情報としては等高線(Yahoo)に及ばない。
これらの表示機能がないAppleは、道路と建物施設がないアウトドアでは情報量が0に近く、地図として使えない(道路沿いの公衆トイレとバス停専用)。 

ちなみに山歩きに使う有料の地形アプリは、精度が国土地理院の地形図レベルなので、平地での道以外の人工物の情報密度が低く、街歩きでは汎用アプリに劣る。

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イチローという平成が終る

2019年03月22日 | 時事

マリナーズのイチローがとうとう引退を表明した。

昨年から引退は秒読み段階に入っていたものの、日本での公式試合まで延期されていたようだ。
そしてこの最後の2試合、打球が内野を越せなくなった打者イチローをファンとしては観るのが辛かった。
ただ、試合の場で”限りを尽くした”のはアスリートとして立派な”最期”だ(アスリートをサムライになぞえるなら、サムライは戦さで討死するのが理想だから)。

結果はともかく、打席の一球一球を固唾を呑んで観たのは、イチローの打席だけだ(WBCの決勝戦を思い出す)。 

昨晩は、試合後に会見があるというのに試合が延長で延びてしまい、帰れない観客とテレビ局はたいへんだったろうが、幸い実家のBSで会見まで観れた。

記者会見での質問は相変わらず凡庸なものだったが、それに対する答えがイチローならではの非凡(凡庸な質問者の想定外)なものだったので、
答える側が非凡であれば、質問は凡庸でもかまわないかと思った(質問者が非凡を気取る必要はない)。

結局、イチローの引退を受けて、なるほど、やっぱり平成が終るんだと実感した。
平成3年にプロ入りしたイチローは、平成そのものを生きたスーパースターだった。
将来、”平成”を思い出すには、”現役時代のイチローの頃”を思い出せばいい。 

われわれは彼の活躍をリアルタイムに経験できた。
自己に直接かかわらない無関係の他者の行ないを観るという経験も、自分の人生を構成する要素となる。
他者(同種他個体)は、自己に外在しているだけの単なる物ではなく、”他なる自己”すなわち自己の延長としての外在的自己(自己性と他性が混合している存在)だからだ。
逆に言えば、個我は、社会という大きな”自己”の一部といえる。
だから体験を共有できるのだ。

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江戸下町=日本橋の寺巡り

2019年03月17日 | 東京

東京ではなく江戸の下町といえば、それはもう日本橋(にほんばし)界隈に限定される。
今でも中央区日本橋一帯は、「日本橋」の後に昔ながらの町名がついて、細かく区切られている。
その一画、日本橋人形町(にんぎょうちょう、以下「日本橋」を略)にある大観音寺は毎月17日が本尊大観音の開帳日。

地下鉄日比谷線の人形町駅から地上に出ると、昔を偲ばせる横丁の一画(写真:道の左側が寺の階下。右側に芸者の置屋があったという)、ビルの片隅の階段の上に大観音寺がある。

寺の前では、地元のキャラ?のぬいぐるみたちが人形町のスタンプラリーを宣伝している。

まずは、腹ごしらえに立ち食い蕎麦の店を探す。
実は、出発前に評判の店を調べてきたのだが、ビジネス街と化しているため、食べたかった店はいずれも日曜休業だった。
仕方なしに目の前にあったチェーン店の「富士そば」に入る(チェーンだが店ごとにオリジナルメニューがある)。ただ、食べ終ってよく見たら、大観音寺の道路を挟んだ向い側に地元らしき蕎麦店を見つけたが後の祭り。

さて、大観音寺の小さな本堂では法要が終ったばかりで、出てくる人たちと入れ替わりに本堂に上って、前立ちの観音立像とその背後の鉄製の大観音の頭部を拝観。 
この大観音、もともと北条政子が鎌倉に建てた新清水寺の本尊だったが、紆余曲折を経てこの寺に祀られるようになったという。

今日の開帳日を目指してなのか、着物姿のお姉さんたちが団体でお参りに来た(着物を着た外国の観光客ではない)。
おかげで境内が一挙に江戸下町にふさわしい雰囲気になる。 

若い親子連れが参拝に来て、若いお父さんが、小さな子どもに神社式の参拝の仕方を教えている。
実に残念な光景だが、まぁキャップを被った若いお父さんにしては心懸けは殊勝なので、誤りを正すおせっかいはしないでおいた。 

さて、次は北に進んで、江戸時代の富くじの地であった富塚がある堀留町(ほりどめちょう)の椙森神社に立ち寄って、
広い交差点の小伝馬町(こでんまちょう)に達する。
「こでんまちょう」っていい響きだ。
イナセなお兄さんが、「てやんでぇ」とか言いながら肩で風切って歩いていそう。

ここには大安楽寺という、目の前の牢屋敷跡とセットの寺がある。
狭い境内では屋外の地蔵と、屋内に祀られた八臂の弁財天(写真)が拝めるものの、それらに接近すると防犯ブザーが鳴るしくみになっているので(しばらくすると止む)、ブザーをききながらの拝観を強いられる。
隣りには日蓮宗の身延別院があり、油かけ大黒などがある。
これらの寺の向い側が十思(じっし)公園となっていて、そこは牢屋敷跡(八百屋お七や吉田松陰が入れられた)と時の鐘の跡地でもある。

ここから東に向きを変え、馬喰町(ばくろちょう)を抜けて、薬研堀(やげんぼり)の不動院に行く。
この不動院もビルに囲まれた一画にあって、階段を上った2階に狭い本堂がある。 
紀州の根来寺から来たという本尊の不動像は小さく、その廻りに弘法大師像などがある。
この寺、今では川崎大師の東京別院になっている。
本堂下の屋外には講談発祥の碑と順天堂発祥の碑がある。

かように日本橋界隈は江戸の歴史が詰っている。 
以上の寺巡りの種本は、宮澤やすみ著『東京仏像さんぽ』(明治書院)。

さて、帰路につく。
薬研堀に一番近い駅は、都営地下鉄の「東日本橋」だが、都営地下鉄は乗り継ぎが割高なので、北に向ってJRの浅草橋に向う。
途中渡る神田川にかかる橋が「浅草橋」だから、その近くにできた駅が「浅草橋」となった(浅草からは遠い)。
神田川は隅田川(大川)に合流する河口近くになっていて、大川で遊ぶ屋形船がずらりと繋留されている。
これも江戸情緒といえる。

しかしなんで浅草から遠いこの橋が浅草橋なのか。
江戸下町にしてすべての道の起点である「日本橋」側から見ると、この橋から蔵前を通って浅草へ向う道が始まるということか。 

その浅草橋駅に着いたが、まだ歩き足りないので、ここからさらに北上して御徒町(おかちまち)まで歩いた。
江戸下町である日本橋や神田は「〜町(ちょう)」なのだが、その外では「〜町(まち)」となる。
前者は都市部の一画を示し、後者は道沿いの密集地を差すのか(もっと外側の荒川区に「町屋(まちや)」があり、その先から街道の「宿」が始まる)。 

結局、人形町(チョウ)から御徒町(マチ)まで歩き、いいウォーキングになった。 

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富士駅近くの寺に墓参

2019年03月16日 | メモリアル

卒業式も終えたので、春休みとして、18切符で帰京の途につく。
ただし、今回は、静岡県の富士駅で途中下車。

この駅近くの寺に墓参のため。
学生時代の友人がその寺の住職だったのだが、亡くなったのだ。

友人といっても私が名古屋の大学に就職する時に、祝いの席に来てくれたのが生前会った最後なので、かれこれ四半世紀は会っていなかった。 
一昨年に訃報を間接的に知り、18切符で富士駅を通るたびに寺を見ていたので、いつか途中下車して墓参に立ち寄ろうと思ってたが、なかなかその一歩が踏み出せなかった。
今回、別の友人の半強制的な誘いによって、やっと墓参が実現した。

その友人と富士駅で落ち合い、献花用の花束を買って、寺に向った。
奥さんに案内されて、まず墓参をした。
歴代住職の墓をまとめた新しい卵塔を造った彼は、自分も入る墓を造ったことになり、その新しい墓の唯一の墓誌に彼の名が彫ってあった。
寺の内部を案内され、あとは3人で故人を偲ぶ話をした。

その寺は、生前の彼によって、屋根の上にチベット仏教風の搭を作り、またビルマの涅槃像が講堂に本尊として据えられている。
寺の宗旨は曹洞宗だが、そのたたずまいは町中の禅宗寺院としては、はっきり言って異様だ。
それは、彼の視野が、彼にとっての寺の在り方が、一宗派や日本の慣習的仏教に限定されない、仏教全域を包含しているためだ。
本来の仏教の在り方を彼なりに追求し、形として実現したことになる(資金的な苦労もあったろう)。 

型にはまらない行動力は学生の頃からあった。

ただ、彼なりに強いストレスを受けていたようで、永平寺での修行時に大病を患って手術をし、
それが結果的に、最期を早めてしまった。

早すぎる死ではあるが、彼が形として実現した寺を見れば、彼自身の人生を全うしたといっていい。
実際、彼は病を従容と受け入れ、治療に専念することをよしとしなかったという。
奥さんからすれば、彼は生き急ぎすぎたような印象だという。
彼からすれば、やりたいことを先延ばしせず、”今”を懸命に生きたのだろう。
そういえば、かの日本曹洞宗の開祖・道元も50代で亡くなった。
なしとげられた業(わざ)は、寿命の長さに比例するものではない。 

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卒業・修了式に出席

2019年03月15日 | お仕事

勤務先の大学の卒業・修了式(大学院は卒業ではなく「修了」という)に出席。
私は今年度から役付き(研究科長)になったので、それなりの役割がある。
まずは舞台上の最前列、学長・理事長の並びに着席することになった。
もちろん礼服着用。
緞帳が上ると、1階の座席は晴れ着姿の卒業生で満席。
なにしろ我が校は女子大では日本最大規模なのだ。
この壮観を見渡したいが、彼女たちから逆に視線を浴びている側なので、壇上最前列でキョロキョロするわけにもいかない。 

最初に全員で校歌を歌い(歌詞カードが手元にある)、次は学長が大学院と各学部の代表に学位記(卒業証書)を渡す。
学長や学生代表が壇上を行き来するたびに我々側にお辞儀するので、そのたびにこちらも座ったままお辞儀を返す。
そう、私はお辞儀要員。

学長、理事長が”送る言葉”を話し、修了生と卒業生の代表がそれぞれ”お礼の言葉”を述べる。

最後は、また全員で「蛍の光」を歌う(歌詞カードなし)。
歌ってみると確かにこの歌詞は卒業式にふさわしい(だだし、勉強は明るい照明の元で)。 

ホールでの式典は終わりだが、本日の式はまだ後半がある。
この後は、研究科・学部学科ごとに部屋に移動して、そこで個別に学位記を渡す。

私は研究科長として、当該の修了生一人一人に学位記を渡し、最後に餞(はなむけ)の言葉を述べる。
これは私単独の役目なので、本日は休むわけにはいかないのだ(一般の教員は出席の義務はない)。
研究科の修了式は人数が少ないのですぐ終わった。 

だがこれで終了でない。
学科の部屋に行って、100人以上いる学科の授与式に1教員として参列し、授与される学生一人一人に拍手を送る。
そして最後に教員一人づつ餞の言葉を送る。
最後の最後まで、教え子を訓導したがるのが教師の性(さが)だ。

私は何を語ったかというと、
大学院生の修了式では、18年もの学歴の最後なので、これからは自分が自分の指導教員になるようにと述べ(実はこれ涅槃経の受け売り)、学科の卒業式では、学生時代に得た友こそが宝であると述べた。

実際、父の葬儀の時、父の学友の方から、われわれ家族(妻や子)が知らない青年期の父の話を聞いて、家族以上に人生を長くつきあう学友とは、実に貴重な人たちだと痛感した(家族にとっても)。
本日卒業・修了する学生たちも、その友を得て巣立っていくことを願う。 

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片足立ちで鍛えられるのは

2019年03月13日 | 健康

中国医学の本を読んでいると、陰陽のバランスの重要性が基本であると説かれている。
また食物摂取1つみても、栄養バランスが大事だと痛感する。
そう、必要なのはバランスだ。 

膝関節症、腸脛靱帯炎、それに腰痛もちである自分は、体のバランスが悪いのではないか。
無自覚なバランスの悪さが原因で、姿勢や歩行を悪くし、関節や靭帯、筋肉を痛めるのではないか。

そこで、バランス能力を高めるため、片足立ちのトレーニングを始めた。

まず、普通に立って、片足を上げる。
そのままの姿勢を5分維持する。
たった5分だが、臀筋から足底筋までが疲労する。
もちろん、足を替えてもう5分続ける。

最初はふらついたが、今ではふらつくことなく片足で難なく5分立ち続けることができる(本当はもっとできるが筋肉が痛くなる)。

普段は両足で10分立ってもなんともないのに、片足で5分立つだけでこれほど筋肉が使われるのは、バランスを取るために、足〜臀筋までのあちこちの筋肉が、ある種ランダムにオンオフを繰り返すためだ。
すなわち、運動効率が非常にいい(踵を上げるともっといい)。

というわけで、開眼しての片足立ちは、下半身の筋力を鍛えることになって、バランス保持能力を獲得する訓練になる。

ところが、同じ片足立ちを、閉眼してやると、10秒ももたないことがわかった。
目を閉じるだけで、急に重心がグラグラしてしまう。
私の能力は標準以下なようで、ショック。 

調べてみると、閉眼による片足立ちは、脳とりわけ小脳の性能に依存するという。
となると自分の小脳に問題があるのか。
小脳は意識と無関係の場所だから、”脳トレ” がやりにくい。

開眼での片足立ちはもう問題ないので、次は閉眼での片足立ちにトライすることにした。

幸いなことに、訓練効果によって、軸足である左足なら閉眼で1分は立てるようになった(ただし1分では筋トレにはならない)。
閉眼片足立ちを5分もできれば、脳と筋肉両方のトレーニングになれる。 
そうなれば、小脳の性能がアップして無自覚レベルのバランス能力が増し、姿勢や歩行の改善につながるだろう。 

人間の大脳(意識)は残念がらバランス能力に欠けている(一方向に走りやすい)。 
バランス力をまずは小脳で鍛えることにしよう。

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震災を忘れたくない理由

2019年03月11日 | 東日本大震災関連

震災8年目の今日、私は明日の仕事のため、18きっぷで6時間かけて帰名(名古屋に帰ること)の途についた。 
帰宅したら、一昨日岐阜を震源とする地震(名古屋で震度3)があったので、飾っていた円空彫りの不安定な仏像が倒れていた。 

ここ数年、被災地との接点をまったくもっていない。
仕事が忙しくなり、遠出もままならないし。
これを”風化”というのだろう。
時間の法則だから致し方ない。 
むしろ、被災地の地元では「忘れたい」という人たちもいる。 

それでも、私にとって人生でもっともショックな出来事であったのは確か。
せめて今日3月11日くらいは、勝手ながら、あの日を思い出し、被害に遭った方々に思いを馳せたい。

東日本大震災を題材にした本はたくさんあるが、映画(自主映画的なドキュメンタリーではなく、商業ベースに乗った作品)は意外と少ない。
レンタルショップで借りられるのは、 津波被害では『遺体』、原発事故では『太陽の蓋』くらいか(原発事故の被害としては完全なフィクションだが『希望の国』)。
『遺体』は被災地以外の人に観てほしい(被災地の人は辛い過去が再現されてしまう)。 
→関連記事「わすれたい映画」 

東日本の太平洋沖では相変わらず地震が多いが(エネルギーは小さいので内陸への影響はほとんどなし)、最近は南海トラフ内側(中央構造線の南側)の地震も多くなっているのが不気味だ。

「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の格言に頼って、「忘れない」ことで次の天災を防ぎたい。 

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