今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

95歳になった母

2024年10月03日 | 身内

わが母が本日95歳の誕生日を迎えた。
平日で私が愛知で仕事のため、今週の月曜(9/30)にお祝いをした(例年のごとく松茸パーティ)。

母はここのところずっとめまいが酷くて、食事もほとんど摂らない状況で、その意味ではコンディションは良くないが、それさえなければ、歩行も喋りも問題なく(脳はそれなりに老化しているがいやゆる認知症にはなっていない)、1人で生活できる(町内会活動を楽しんでいる)。

今でこそ、90歳越えは珍しくないが、私の若い頃のイメージだと、90過ぎの老人は、まず滅多にお目にかかることがなく、いたとしても生きているだけで精一杯という状態だった。

東京で生まれ育った母は、それこそ煤煙や排気ガス、カルキの入った水道水、それに様々な食品添加物に晒されてきたが、そういう毒物リスクを上回る医療衛生環境のおかげで、高血圧症や脳梗塞にめげずに生きながらえてこれた(降圧剤は40代から半世紀以上服用)。
両膝に金属を入れる手術をしたことで、痛みなく歩けるようになった。
内臓・血液検査は問題なく、目と耳は私より若い(私の方が白内障と難聴)。

幸いなことに癌体質ではなく、今まで通り血管さえ気をつけていればいいようなので、これからも降圧剤を飲みながら元気に生きていってほしい。

 


健康診断結果2024

2024年10月01日 | 健康

皆さんお待ちかね、
9月13日に実施した職場の健康診断結果が今日届いた!

毎年、この結果のために、2日前から完全断酒、そして体操や筋トレをして、よい数値を期待する。
その日の記事(→健康診断に臨む)で、身長と血圧について報告した。

実は昨年は油断したからか一昨年より軒並み数値が悪くなった。
それをなんとか挽回したい。

今日楽しみなのは、血液検査の結果。
まず総コレステロールが再び200を切り、”基準内”に落ち着いた。
中性脂肪はもともと問題なく、よい意味で高めのHDL、悪い意味で高めのLDLコレステロールいずれも”基準内”。
これらは一昨年から処方された小粒の「アトルバスタチン」のおかげ。

血糖値 HbA1cも昨年より微減し、いい方向に向かっている。

毎年基準越えの尿酸値、昨年は追加した降圧剤(ナトリックス)の副作用で9.7にまで上がった(基準値上限は7.0)。
その降圧剤は処方を取りやめ、なんとか尿酸値を下げたいとTart Cherryのサプリを飲み始めた。
その結果、値が6.3と基準値内に収まった(この20年で最低値)。
追加降圧剤だけをやめてもそれまでの7以上はキープするはずなのに、この下り様はサプリのおかげに違いない。

ついでに酒飲みが気になる肝機能のγ-GTもここ数年は基準値上限の47を超え、昨年は過去最高の71にまで達したが、
今年は基準値上限より1つ多いだけの48にまで下がった。
これは肝機能サプリをL-CysteineからGlutathioneに変えた効果に違いない(値段は後者の方が高い)。
これで安心して酒が飲める
ちなみにいずれのサプリ(海外製)も、毎日1錠だけの服用。


『存在と時間』と再格闘へ

2024年09月29日 | 作品・作家評

我が大学院の後期授業『社会心理学特講』に久しぶりに受講生がついた(公認心理師指定科目でないので、受講が必須でない)
実はその授業は、表向きは社会心理学と称しているが、裏のテーマは心理学批判で(学部の授業では不可能)、科学的と称する現代心理学が無視している人間の”存在”の問題(人が一番気になっている問題)に焦点と当てるものだ(以上をシラバスに明記)。
そしてその問題のアプローチとして、ハイデガーの『存在と時間』の論旨を紹介する。

そもそも現象学派だった私が、フッサール(認識論)からハイデガー(存在論)に宗旨替えをしたのはこの書のインパクトだった。

その後は、ハイデガーの後続する書(日本語訳)を読み進め、後期思想のキーワードである「性起」(しょうき)に関心が映ったが、彼のその後の作業は、未完で終わった『存在と時間』の追補とも言える。

言い換えると、ハイデガーの思惟の展開を知れば知るほど、その原点と言える最初のこの書をもう一度(幾度も)読み直したくなる。
今回の受講生の出現は、その後押しとなった。


このように私にとって『存在と時間』は今後も再格闘する書なのだが、実はそういう書、すなわちまだ読みこなし切れていない(格闘し続けている)書がもう1つある。
道元の『正法眼蔵』、とりわけその中の「現成(げんじょう)公案」と「有時」の巻。

なんと後者「有時」って「存在・時間」ではないか。
実際、『存在と時間』を『有と時』と訳している翻訳書もあり(日本語としてはその方がしっくりくる)、性起は”現成”することと説明される。

奇しくも、20世紀最大の哲学者と日本史上最高の鎌倉時代の仏教哲学者が同じテーマを問題にしているのだ(人間にとって最重要の問題だから当然か)。
古今東西の智を総動員して存在の問題と格闘すること自体が、この世に人間(自分が存在していることに薄々気づいている稀有な存在者)として存在している意味の理解にも繋がり、やり甲斐を感じる。


そして、道元からではなく、ハイデガーから始めたいのは、ハイデガーの人間(現存在)モデルが、本当は”存在(自分が在る)”のことを真剣に考えたいのだが、その先にある「死」の不安に怯えてしまい、日常の忙しさに身を委ねて、結局時間を無駄にして歳だけとってしまった自分に焦る、という実に自分に等身大の姿だから。
このような現存在(私)でありながら、存在を考える、いや存在を噛み締めて生きていくにはどうしたらいいか、そこを一緒に考えてくれそうなのがハイデガーだから。
でもハイデガーの中だけでは回答が見つからず、きっと道元に行かなくてはならない気がするのだ。
※:ハイデガー自身が、西洋(古代ギリシャ)的思考だけでは無理で、その枠を脱して惑星(地球)的思考で取り組むべきだという地点まで達して息絶えた。

☞関連記事:書評『世界はなぜ「ある」のか』


システム3とプルシャ(アートマン)

2024年09月25日 | 心理学

私の「心の多重過程モデル」におけるシステム3を、今まではマインドフルネスの文脈すなわち仏教における観察(ヴィパッサナー)瞑想との関連で説明してきた。

先日、立川武蔵氏の『ヨーガの哲学』(講談社)を読んでいたら、インド(ヒンドゥー)のサーンキャ哲学の基本、プルシャとプラクリティの二元論におけるプルシャが、システム3と関連していることに改めて気づかされた。
※:インドではオの音は長音だけなので、ヨガではなくヨーガが正しい。

「改めて」というのは、元々、システム3はシステム2のような自我機能や思考作用あるいは行為意思のような多彩が機能がなく、ひたすら”観照”のみの単機能として説明してきたのだが、実はこの「観照」という語は、私が学生の時にインド哲学の授業でプルシャの説明として使われた語だった。
すなわちシステム3は元々プルシャ的機能を含意していた(ただしそれを意識したわけではなかった)。

プルシャは、後のウパニシャッド哲学ではアートマン(真我)という概念に置き換わるので、以後アートマンと同一視して扱うが、表層的自我であるシステム2が活動中すなわち覚醒時には作動しないというアートマン(プルシャ)とは、システム2(自我意識)の作動中は抑制されるシステム3と共通性があるのは確かだ。

もちろんシステム3は心理学概念であるから、宗教用語のプルシャ・アートマンとの関連を学術的に論じることはしないが、いわゆる自我意識の奥に控えているさらに奥の心、自我意識とは別個に作動するよりハイレベルの心としてのシステム3を作動させることは、マインドフルネス的説明以上の深い意味があるのだ。

システム3の発動によって、さらに奥の超個的なシステム4の可能性が開かれる。
それらを視野に入れると、科学的心理学の枠を超えてトランスパーソナル・スピリチュアルレベルの現象として心を論じざるを得ないのだ。
※:システム2の知性を使って、主に心の無自覚過程(システム1)を探求している。


すなわち、経験科学が把握できていない(心理)現象への扉がシステム3に達して開かれる。
それは既存のレベル(システム1・2)のみで生きる在り方から脱することを意味する。
通常の人は、科学的心理学のフィールドであるシステム1・2のみで生きている。
悩み・苦しみもその内部で発生し、その内部で解決しようと苦心する。
その中でシステム3の発動に成功する一部の人たちには、ハイレベルの心の目標が生まれ流ため、低次元のトラブルはトラブルとしての価値がなくなる。

まさにこのシステム2とシステム3の境界が、プルシャ・アートマンという概念が意味をなすか否かの境界になる。


「昔の人の平均寿命は50歳」に関する2つの誤解

2024年09月24日 | 雑感

日本を含む近代以前の社会では、「平均寿命がおよそ50歳だった」という言説は、医学的な研究(現代での未開社会での平均寿命データ)などから、妥当といえる。

ところがこの言説に対して基本的な誤解をしている人がいることを、ネットの書き込みでわかった。
実は、基本的な誤解はこの問題以外にも、例えばエアコンの温度設定をすると、その設定した温度の風が吹き出し口から出る、という基本的な誤解をしている人もいる。


では「昔の人の平均寿命がおよそ50歳だった」(正しい命題)に対する基本的な誤解とは何か。

それは昔の人は50歳前後になるとバタバタ死んで、それを越える年齢の人は激減する、という誤解。
簡単にいうと「ほとんどの人は平均年齢を越えては生きられない」という統計学的に誤った理解だ。

この誤解の元になっているのは、人々の寿命分布(もちろん個人差があるので幅がある)は明確な正規分布(左右対称の釣鐘状の分布形)をして、平均値=最頻値(最も度数が多い)である、という統計分布に対する勘違い。
これが勘違いであることは医学的に明確で、昔(医療水準の低い自然状態)は乳児死亡率がとても高かったことが判明しており、生まれてすぐの死者数が高い分布となっているため、正規分布にならないのだ。

そもそも平均値は正規分布を前提としない。
例えば30歳の死亡率がとても高い集団の平均寿命が50歳だとする。
するとこの集団の寿命分布はどうなるかというと、(単純化すると)70歳にとても高い死亡率が必要になる。
ということから、乳児(1歳未満)死亡率がとても高い集団での平均寿命が50歳ということは、極端にいうと100歳で死ぬ(それまで生きる)人がかなりいてもおかしくないことがわかる。
より正しくは、乳児の死亡率が高い平均寿命50歳の集団での50歳以上の死亡率の分布は、高い乳児死亡率とバランスをとる状態(50歳から離れるほど有効)でなくてはならないということ
※:更には幼児の麻疹、若者の労咳(肺結核)、若い女性の出産による死亡率も高かったので、平均寿命が50歳に達するにはそれだけ多くの老人が必要となる。
これが平均値に対する正しい理解だ。


ただ「昔の人は50歳で死ぬ」という誤解は、統計学の無理解だけでなく、「50歳」という単語の一人歩き(絶対化)によるものともいえる。
エアコンのリモコンでの設定温度の絶対化も同じ。
なぜそうなったか。


織田信長のせいだ。
彼が悪いのではない。
彼の言説を誤解した後世の人による。

信長は、絶対不利と思える桶狭間の合戦に赴く時、清洲城で『敦盛』の一節を舞った。
「人間五十年。下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」というあの一節。

この「人間五十年」こそが、その後の「人は50歳で死ぬ」という命題の典拠になったともいえる。
実際、信長がその後の本能寺の変で死んだ時は49歳だったので、
まさに信長本人がこの命題を立証した感じだ。

ところが信長自身は「人は50歳で死ぬ」などとは断じて謡っていない。

当時の日本語での「人間」は「にんげん」ではなく「じんかん」と発音する。
なので正しい時代考証のドラマなら、信長に「じんかん五十年」と謳わせるはず。

今でこそ、「人間」は「人」(個体)と同一の意味となっているが、当時は「人」ではなく、文字通り「人の間」すなわち”世間”を意味していた。
なので「人間五十年。下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」という一節の意味は、「人の世の50年は、(人にとって長いが)、天地ではあっという間の短さだ」という時間軸の相対的比較であって、人間スケールの50年は、地球スケールでは瞬間的出来事だ、という現代にも通じる普遍的真理を言っているのだ。

ということで、平均値についての統計的分布の勘違いと、信長の謡(うたい)の意味の誤解が合わさった二重の誤解によって、「昔の人は50歳で死んだ」という思い込みが形成されといえる。


ご開帳の岩槻慈恩寺

2024年09月23日 | 東京周辺

秋の彼岸中日の翌日である今日、東京も愛知も露点温度が20℃を大きく下回った。
これは気象予報士たる私の基準で”秋の空気”になったことを意味する。
実に「暑さ寒さも彼岸まで」という天気俚言の信ぴょう性は揺るぎない。

ということは、外を歩いても暑さに苦しむことはない。
9月の3連休最後の日にして実質的な”秋の初日”の今日、満を持して歩きに出かけたい。


行き先は、岩槻(さいたま市)の慈恩寺(天台宗)。
実はこの寺のことは知らなかったが、地下鉄南北線の車内広告で見つけたもの。
それによると慈恩寺で本尊開帳をやっており、なんと今日が最終日(それまでは暑くて行く気がしなかった)。
私の寺巡りは”秘仏開帳”が重要な選択基準となっているので、これを見逃せない。

アクセスを確認すると、慈恩寺は岩槻を通る東武野田線の駅から2km離れており、しかも路線バスがない(平日のみコミュニティバスがある)。

だが空気は秋なので、往復4km歩いても問題なかろう。
ハイキングだと思えば4kmは短い。


というわけで、岩槻の1つ先の最寄駅、東岩槻駅に降り立った。

ここからGoogleマップの徒歩用ナビで最短路を選んでもらい、それに従って進む。
Googleのナビは、車だと恐ろしい隘路を案内されたりするが、徒歩だとそれがよく、車が通れない細い路も選んでくれる。

のどかな田園風景の中を歩く。
寺に達する手前に、寺が建てた玄奘三蔵の分骨を納めた霊骨塔があるので立ち寄る。
戦時中に中国から分骨されたという。
入り口は中国式寺院の山門で、層塔の霊骨塔の前には、三蔵法師の天竺求法姿の像がある(写真)。
敷地隣の和風の民家はピザ店になっている。
また塔の背後をまわると、何やら由来ある地蔵像があった。

ここから慈恩寺に行くには、Googleマップでは途切れてる道(当然ナビで案内されない)が国土地理院の地図(一番正確)では近道として通れる(ただし人のみ)のがわかる。
すなわち、Googleマップの徒歩ナビは完璧ではないのだ(ただし地理院のマップアプリはナビをしてくれない)。

開けた境内の慈恩寺に達する。
改めて慈恩寺を説明すると、開山(824年)は慈覚大師(円仁)で、大師が学んだ唐・長安の大慈恩寺に因んでるという。
大慈恩寺こそ、玄奘三蔵がインドより持ち帰った経典の訳出作業をした寺である。

そして今年は開山1200年記念ということで、本尊とその眷属・二十八部衆の特別展示が開催されたというわけ。


本堂内に靴を脱いで入ると(堂内は撮影禁止)、
目の前に等身大よりやや小さい二十八部衆が居並ぶ。
いずれも江戸時代後期の作で、造形は整っているが顔・肌が一様に黒く塗られ、衣装の彩色はごく新しそう。
今まで、二十八部衆といっても奈良興福寺のそれが有名なこともあって阿修羅と迦楼羅くらいしか着目しなかったが、ここでは配布パンフに28体の説明が載っているので全員丁寧に見てまわる。
それによると梵天・帝釈天のバラモン教最高神の二天、阿吽の仁王二体、四天王らも混じっており、結構有名な天部たちが揃っている。
中でも朗報は、私が大好きな吉祥天が「大弁功徳天」として加わっていたこと。
ここで吉祥天にお目にかかれるとは思ってもみなかった。
吉祥天の母である鬼子母神(訶梨帝母)も「魔和羅女」として加わっており、夫の毘沙門天(多聞天)もいるのでファミリーで加わっていることになる。

これら二十八部衆は本尊千手観音の眷属という位置づけなので、まずは中央奥に開帳されている本尊千手観音(天海が叡山よりもって来たという)を拝み、
本尊の左右に配置されている毘沙門天と不動明王も拝む。
そして、目の前の大弁功徳天すなわち吉祥天に向かってその印を組んで真言を唱えて拝む。
大弁功徳天は髪も顔も真っ黒だが、他の威嚇的な像と違って、優しい顔立ちが美しく仕上がっている(右写真は絵ハガキより)。
この像、吉祥天としてみると右手に剣を持っているのが珍しい(普通は手を下げた与願印)。
私の美仏リストに加えたいが、撮影禁止でしかも普段は見れないらしい。

本堂下の寺務所に行くと、二十八部衆の個別の絵ハガキが売られていた。
本来なら本尊の御影を買いたいところだが、それがないので(あっても)、「大弁功徳天」の絵ハガキを買った(100円)。
これで満足
吉祥天が単独で祀られている所は少ないため、今後は二十八部衆を探すことにしよう。

駅までの復路は、往路とは別ルートを選び、近くの常源寺(曹洞宗、本堂前に木造仁王が立ちはだかっているのが面白い)、東西寺(天台宗、秩父の山がよく見える。天神と庚申の石塔がある)に立ち寄った。

そして自宅での夜は、10歳になる姪とその父=弟の誕生会(私が買って帰った松坂肉を皆で賞味)。


地震・大雨の双方に弱い場所

2024年09月22日 | 防災・安全

元日の地震被害の復興がままならない能登半島に大雨が襲いかかり、死者を出し、復興住宅が浸水した。
※:元日であって元旦(元日の朝)ではない。
まさに”泣きっ面に蜂”状態で、追い討ちとしてつらすぎる。

地震はプレート境界だけでなく、活断層あるいはひずみ帯でも発生する。
大雨をもたらすのは台風の他に停滞前線(梅雨・秋雨)もある。
言ってみれば、地震も気象災害も日本のどこでも起こりうると思っておいた方がいい。
ただ、災害発生の程度は、その地の地質・地形要因で決まり、被害の程度は防災体制で決まる。

すなわち、まず自然要因としての地質・地形によって災害が発生しやすい場所が異なる、言い換えれば”分かる”のだ。
以下、冷酷な記述となるが、客観的にも明白な事実であることを心してほしい。


地質は地盤の硬さを決めるので、地震の揺れの大きさを決定する。
柔らかく・水分が多い地盤ほど揺れやすい。
以上の基準での揺れやすさの順は、河川沿い・三角州>沖積平野>台地>山地となる。
日本の国土の7割を占める山地は地盤は硬いが、急斜面で人は住めない。
なので残り3割の平らな所に人は集まるわけで、
国土において過疎地と人口密集地とに分かれるのは仕方ない。
人が集まる都市は全て河川が持ってきた土砂で作られた沖積平野にある。
すなわち、都市は地盤が弱いので、地震の揺れが大きい。

ただ細かく見ると、例えば日本最大の関東平野にも地盤が比較的硬い”台地”が点在している。
東京区部でいえば、京浜東北線の線路が地盤(台地と平野)の境界で、その東側(千葉県境まで)が弱い。
愛知・名古屋でいえば、市内の堀川が地盤(台地と平野)の境界で、その西側(三重県境まで)が弱い。


地形は、重力に従う水害に関係し、傾斜・標高がポイント(実は上の区分は地形による)。
大雨については、斜面の上(台地)が最も安全で、ついで傾斜面、最悪なのが四方から水が集まる低地・窪地。
その低地の標高が海抜に近いと、あふれた水が引かず、逆に海から海水(津波、高潮)がやってくる。
なので河川の河口付近、海沿いの平野部は危険。

上の東京東部・愛知の堀川以西は、地形の境界でもあり(両地とも海抜以下の0メートル地帯が広がる)、この危険にも該当するダブルで危険な地域
※:東京東部はこれらに加えて、首都直下地震の震源予想地に近く、荒川が破堤した場合の水没地帯でもある。愛知の堀川以西は日本最大の0メートル地帯が広がり、仮に木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の洪水は免れても、ここに南海トラフ地震による高さ5mの津波がやってくる。


では山地は安全かというと、まず山の斜面は居住できない。
その斜面の下の川沿いに集落があるが、実は山の斜面には固有の危険がある。
土砂災害(崖崩れ、地滑り、土石流)だ。

しかも土砂災害は、地震によっても大雨によっても発生する。
すなわち発生確率がそれだけ高いのだ。
大都市でも、丘陵を削って宅地が広がる横浜市や広島市にはこういう危険地帯が多い。


能登半島は、日本海沿いに複数の活断層が走っていて、海沿いは山が迫って平坦部が狭い(そこは津波・高潮の危険地帯)。
すなわち、地震でも大雨でも土砂災害が発生しやすい。
輪島などの小さい平野部は窪地状態なので周囲の山からの雨水が集まって、あっという間に水が溢れる。
これは半島という地形のせいで、房総半島も紀伊半島も同じ
※:微妙な違いとして、房総半島は東方沖や相模湾の震源に近い。紀伊半島は元々の多雨地帯で内陸山間部で土砂災害が多く、南海トラフ地震では三重・和歌山の海岸に高さ10mの津波が襲来する。


仮に地震・大雨の発生確率は全国均一だとしても、上述した理由で災害の危険度は地域によって差があり、比較的安全な地域と危険な地域にあらかじめ分かれている。
この冷徹な事実を受け入れた上で、居住地を考え(直し)た方がいい。

現在の自宅がどちらに属するかは、居住自治体発行の(地震、洪水、土砂災害)ハザードマップを見ればわかる。

以上の記述の裏を返すと、ズバリ・一番安全なのは、地盤が比較的硬く、しかも津波・氾濫・土砂災害の危険のない”台地”ということになる。
それは京浜東北線の西側(山手線側の本郷台地・荏原台地)、堀川の東側(熱田台地)に広がっている(台地は水供給に難があって水田には不向きだが、水道の普及で居住地としては問題ない)。


大全集を持つ意味:追記

2024年09月20日 | 作品・作家評

しつこくで恐縮だが、読破した『大菩薩峠』を紙の本で所有していたら、1冊の厚さ1cmと少なめに見積もっても全巻41cmの分量になる。
小説は大作ほど二度とは読まないので、揃えて所有することに意味がない。
なので無料の青空文庫の電子書籍だから読破する気になれた次第。

こういう大全集を実際に持っているかというと、例えば雄山閣の『新編武蔵風土記稿』は索引冊含めて箱入り全13巻でこれも厚さ40cm近い。
ただこちらの本は旧武蔵国内の訪れた寺社の歴史を知る上でよく参照するので、持っていて損はない。

専門の心理学に関する本では、人文書院の『フロイト著作集』もほぼ全巻持っているが、重要なもの以外は読んでいない。
学術書の全集は、頭脳で格闘する必要があるので小説と違って暇つぶしで読み通すことはできない。
その著者自身を研究対象とするのでない限り、どうしても上のような状態になる。
なので『ハイデッガー全集』などは図書館に通って読もうとも思わない。


ちなみにコミック(漫画)は、繰り返し読めるので全巻揃えて損はない。
理由は、マクルーハンの表現で情報が”ホット”(高精細)であるため、一回の読書で全ての情報を認識できないためだ(読むたびに発見がある)。
といっても一般的に巻数が多いので、特に『ゴルゴ13』や『こち亀』を揃える気はしないし、コミックこそ電子書籍の方が読みやすい(持ち歩きもしやすい)。

それに今年は国会図書館でコミックを閲覧する機会を得て、これは今後も続けたい。


コミック以上に揃える価値があるのは音楽家の全集CDだ。
音楽こそ幾度も繰り返し聴けるので全く無駄にならない。

私は、『モーツァルト全集』CD170枚のボックス、『バッハ全集』もCD170枚のボックスを持っている(ともにドイツ製)。
この二つの全集を聴き通すだけで膨大な時間を要し、実際に自宅で聴くのはこの二人の全集ばかりとなっている。
むしろ、残りの人生も、この二人の全集を繰り返し聴くことで足りそうに思っている。

実際、『モーツァルト全集』はすでに聴き通し2巡目を終え、3巡目に入っている。
ただ少年時代のオペラ群(「イドメネオ」以前)は、音楽がたいして劇的でなく、素のセリフが多いので、セリフの内容がわからないと辛い。
一方『バッハ全集』は、170枚のうち70枚以上が同工異曲のカンタータなので、2巡目以降はカンタータ以外(「コーヒーカンタータ」を除く)の主に器楽曲を中心に聞いている(もちろん「マタイ受難曲」も含む)。


追記:記事のアップ後、思い出したことには、かつてアメリカテレビドラマのDVDにハマって連続して箱買いしていた(『ER』『Frends』)。
レンタルで借りる時間のズレさえ我慢できなかったため。
考えてみれば散財的にはこのDVD全集が一番大きい。
これは一種の熱病症状で、今は発症しない。


SHOGUNのエミー賞受賞を慶ぶ

2024年09月17日 | 時事

日本人が歴史的に構築した究極的な人間モデルの1つである「武士(サムライ)」。
明治以降、日本社会自体が、その実現を不可能にしたものの、すなわち社会階級としての武士は歴史的に絶滅したものの、いまだに時空を超えた人間モデルに値することが証明された。

その証明に尽力したのが真田広之である。
「たそがれ清兵衛」、「ラストサムライ」などで武士を演じてきた彼は、かつての三船敏郎を継いで、現代世界で武士を表現してきた。
その努力が実ったことを心から慶びたい。
彼のおかげで武士の心を世界で共有できるから。

ちなみに、小笠原流礼法という武家礼法を嗜んでいる私は、刀を持たず(人を斬らず、切腹をせず)とも、日常の起居進退において武士であることを実現できると思っている。
むしろそれこそが、廃刀令以降の日本人が現実に実現できる武士の在り方だと思っている。
階級や職能、あるいは身なり(ファッション)としての武士は過去の遺物だが、人間モデルとしての武士を、リアルに生きることは可能だ。

ただ、武士は特定他者(主君)との関係性を前提とする相対的存在である点で、究極の存在ではない。
すなわち、私が日常でそれ的に生きても、それが生きる目標であるわけではない。
話が逸れてしまった。
改めて、『SHOGUN』のエミー賞受賞を心から慶ぶ。
おめでとう。そして、ありがとう。


『大菩薩峠』を薦めるか

2024年09月16日 | 作品・作家評

昨日読了した中里介山の『大菩薩峠』の最後の記事。
その名は知っていても(昔は演劇や映画にもなったが今ではそれもないので知る人も少ないかも)、全巻読み通す人は稀だと思うので、その数少ない経験者の一人として、読書選択の一助となればと思い、読書案内で締めくくる(もちろんウィキペディアも参考に)。


まず、皆さんに読むことを薦めるか。
この本は今ではネットの「青空文庫」で無料で読めるので、仮に1巻500円とすると、41巻分20500円浮くし、1巻の厚さ1cmとすると41cmのスペースを使わずに済む。
即ちコスパは青空文庫の中でも群を抜いた最高レベル。
まずコスパ基準で”読まないと損”、と思う人は読むといい。
文体は口語で読みやすく、それでいて語彙の勉強にもなる。


次に、中身の吟味に入ろう。

⚫︎まず情報的価値として、歴史や地誌などの知識になるかというと、登場人物の皆さんが日本各地(北は青森の恐山から、南(西)は京都山科・大原、奈良の十津川まで)を転々とするものの、私にとっては情報として得たのは前の記事で示した愛知・名古屋についてのみ。
むしろ時代考証については、三田村鳶魚の批判(「中里介山の『大菩薩峠』」昭和7年:同じ青空文庫に所収)もある通り、はっきり言ってである。
なのでいわゆる”歴史小説”には属さない。
また各人物にゆかりのある地の中で、表題の大菩薩峠以外に、登場地として今でも名を馳せている(現地がこの小説と因縁付けている)のは、東京青梅の海禅寺(作中では海蔵寺)、同じく青梅の御嶽神社、山梨上野原の保福寺(作中では月見寺)、信州白骨温泉(この小説がこの温泉を一躍有名にした)などがある。
また青梅の裏宿にある七兵衛公園は、裏宿の七兵衛という実在した義民の地だが、小説にその名のまま登場して、大菩薩峠でお松を助け、多摩川沿いで竜之介の太刀をかわす。

⚫︎文学的価値として、感動があるかというと、ないことはない。
ただし最後の41巻まで待つ必要がある。

⚫︎娯楽的価値として、笑えるかというと、介山の解説に冗談・駄洒落はあるが、声を出して笑うほどではない。
またスリル・サスペンス、あるいはミステリーなどの要素もない。
机竜之介はいつの間にか人を切っているし、彼を仇として追う宇津木兵馬は、一向に追い付けない。
藤沢周平が得意とするような躍動的剣劇シーンはない。


人間描写については、時が幕末だけに、変革せざるを得ない人間が表現されている。

一番印象に残ったのは、自立した女性がきっちり描かれていること。
例えば、冒頭から登場するお松は、当初は周囲の言いなりだったが、次第に精神的に自立し、明治女性のように開明的に成長していく。
唯一の身寄りだった祖父が竜之介に惨殺されるシーンから始まるこの小説では、一人残された少女お松のその後の人生こそ本作の最も重要なストーリーともいえる。
あるいは、男たちを使いこなす経営手腕を誇るやり手興行師のお角。
登場人物のうちで誰よりも自我が強く(ただし屈折したメンタリティ)、実家の財をベースに理想郷を建設しようとする覆面のお銀様(作者はこの人だけ「様」付けで呼称)
いずれの女性も、経済的にも精神的にも男に依存しない(むしろ男の上に立つ)自立した女性たち。

一方、最初の数巻での主人公、血に飢えた剣豪・机竜之介は、次第に幽霊のように影が薄くなっていく(記述も幻想世界と混沌化していく)。
洋学を研究した駒井甚三郎は、ひと足さきに近代人となり、自作の蒸気船で日本を脱出するが、西洋人に西洋文明の限界と大乗仏教の空(くう)の哲学を教わり、茫然となる。
※:介山自身は、この大著を大衆小説ではなく「大乗小説」と性格づけている。私がこの大著を読みたくなったもう1つの理由(記事「『大菩薩峠』を読み始める」で言及)が、この大乗仏教的部分。

即ち、江戸から明治への変革期に相応しい、新しい日本人が描かれている。
といっても、みんなあちこち旅をしながら一筋縄では行かない人生を送る。
むしろ、それこそ、予定調和的物語とは異なる、リアリティある人間描写(あるいは大乗小説の主題)なのではないか。
介山にとって彼らは、作者から独立して、それぞれの人生(物語)を送る存在になっていく(だから収拾がつかなくなった)。
それを読む私にとっても、半年間を共にした愛すべき人たちだ。

かくも、『大菩薩峠』はこれほど私を語らしめる作品だった。