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セシボン文化「ユン・ヒョンジュの”セシボン、私たちの話”より」① ソン・チャンシク 「鯨狩り」
1975年発売禁止曲になったソン・チャンシク”鯨狩り”。1971年ソン・チャンシクの1集アルバム収録曲です。
今はもう無くなったソウル武橋洞にあった『セシボン(C'est Si Bon)』は、韓国で最初にできた音楽鑑賞室(ライブハウス)です。このセシボンからソン・チャンシク、ユン・ヒョンジュ、キム・セファン、チョ・ヨンナム、イ・ジャンヒなど「フォーク第1世代」のスターが輩出されました。
ソン・チァンシクは朝鮮戦争で父が戦死して, 母も行方不明になり祖父母のもとで不遇な学生時代を過ごしました。ソウル芸術高校を卒業して、1967年ふらりとセシボンに現れて歌曲を歌い喝采を浴びてデビューしました。医大生のユン・ヒョンジュとフォーク・デュオ「ツインフォリオ」を結成して、1968年」「ツインフォリオ1集アルバム」を発売、ナナ・ムスクーリの翻案曲”白いハンカチ”で歌謡界にデビューしました。男性フォークデュオの元祖として大学生から多大な人気を得ます。
人気絶頂の中、1969年にツインフォリオを解散して、翌年の1970年にソロ歌手に転向して大成功します。1974年に”笛を吹く男”で大きな人気を博しました。1975年にもヒット曲を出し歌謡祭でさまざまな賞を受け、しばらく歌謡界を掌握しました。1978年には3年連続で「MBC10代歌手賞」を受賞しました。
鯨狩り
お酒を飲んで歌と踊りを踊ってみても 胸には一ついっぱい悲しみだけだね
何をしようかと 見回しても見えるのは すべて背を向けている
何をしようかと 見回しても見えるのは すべて背を向けている
さあ行こう 東海の海へ 3等3等普通列車 汽車に乗って
昨夜に見た夢の世界は朝に起きたら忘れるが
それでも思い出す夢の一つは 小さくてきれいな一匹の鯨
それでも思い出す夢の一つは 小さくてきれいな一匹の鯨
さあ行こう 東海の海へ 神話のように息をする鯨取りに
私たち愛が終るとしても すべてのものをいっぺんに失うとしても
私たち胸の中には残っている 小さくてきれいな一匹の鯨
私たち胸の中には残っている 小さくてきれいな一匹の鯨
さあ行こう 東海の海へ 神話のように息をする鯨を捕りに
さあ行こう 東海の海へ 神話のように息をする鯨を捕りに

ユン・ヒョンジュ「セシボン、私たちの話」(朝鮮日報コラムより)
「セシボン」は大きくなかった.。ソウル武橋洞に位置した小さな音楽鑑賞室(ライヴハウス)だった。しかしそこで私の若い日が始まった。「セシボン」と一緒にギター文化も始まった。私の中でギター文化元年は 1968年だ。その年,チョ・ヨンナムは”ディライラ”(トム・ジョーンズのカバー曲)を歌って一躍スターになった。ツインフォリオが結成され、継いで、ハン・テスが”水はいくつかの住所”を歌って、韓国情緒がたっぷり込められたフォークソングの時代を開いた。
ギターひとつ抱えてて舞台に上がった私たちは当時としては不慣れな姿だった。舞台なら適当に楽団がなければならない。観客が見るのに私たちはとても身軽だった.。しかし感性をありのまま率直に伝えた私たちの音楽に、多くの人々が呼応し始めた。ギター文化はただ音楽にだけ限定された文化ではなかった。小説家、映画監督、時事マンガ家、画家、前衛芸術家など多くの分野で同じ考えを共有した人々が同時多発的に活動した。
セシボンに引き続き、明洞(ミョンドン)で「オービスキャビン」(コンサートホール)の時代に繋がり、YWCAでの集まりでは、キム・ミンギ、ソ・ユソクなどが集まって意識あるフォークソングを作った。 そして 1970年代「ツーコリンズ」「シェグリン」「4月と 5月」「ツーエース」「エボニス」「トゥルダソッ」などフォーク・デュエットが爆発的に増えた。「オニオンズ」を通してはじめて、ギター文化はただの若者文化から、大衆に受けるヒット歌謡として大きな人気を博した。
しかしそこまでだった。1975年12月の「マリファナ騒動」を経験して、ギター文化は断絶してまった。4年後にギター文化の主役たちの活動禁止が全面解除されたが, すでに時間はたくさん過ぎていた。ギター文化は自ずと忘れられた。
ギター文化に共感した人々も自分の思い出を忘れて行った。思い出を何度もじっくり考えるには忙しすぎる時間だった。私たち世代は熱心に前だけ見て駆けて来た世代だ。政治的激変をくぐって経済成長のために目まぐるしく働いて来た世代だ。たまにギター文化が取り上げられても私たち世代は多くの関心を寄せなかった。
2010年MBCのTV 番組にソン・チャンシク、キム・セファン、チョ・ヨンナムとともに出演した時、初めて忘れられたギター文化が大きい関心を集めた。彼らといっしょに私たち世代は自分の思い出を取り戻した。私はいつもコンサートで言うことがある. ”このコンサートは思い出の宝石箱”と。
セシボンコンサートは長年タンスの奥に閉った「思い出の宝石箱」を開いて、ほこりの積もった宝石を一つ一つ拭きながら、自分の思い出がどんなに大切なものなのかを反芻する席になった。その舞台に私の役目があるということ、今日までその世代の前に立って歌うことができるということ、まだ私の歌が愛されているということは大きい祝福だった。
シェグリン
キム・ミンギ
四月と五月
トゥルダソッ
オニオンズ
1970~80年代の音楽にスポットを当てたKBSTVの歌番組「コンサート7080」が2004年から始まりました。この番組が韓国フォークの再評価に大きな影響を与え、「セシボン」人気に繋がったのかもしれません。
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