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韓国時代劇 朝鮮王朝 「イサン 正祖大王」(2007年~2008年MBC)

 張嬉嬪(チャン・ヒビン)の子「景宗王」(第20代王 キョンジョン)が在位4年で逝去した後、チャンヒビンの仇敵チェ氏(後の淑嬪)の子が第21代王「英祖」(ヨンジョ)(1724~1776)として即位します。英祖は朝鮮王朝歴代最も長生きし、在位期間も52年と最も長い王でした。

 英祖は母が宮女の下女で卑しい身分であったため、劣等感もあり、賢い王となるよう非常に努力した王でした。政局は小論派(景宗派)と老論派(英祖派)に分かれており、老論派を徴用しましたが常に党派争いはありました。
 英祖の子、「荘献世子」は第2王后「貞純」(ジョンスン)と老論派の陰謀により、謀反の罪で父英祖の怒りを買い、廃世子になり1762年に米びつの中で餓死してしまうという痛ましい出来事があります。
 この時代のドラマには「大王の道」(1998年MBC)があります。
 
 ドラマ「イサン正祖(チョンジョ)大王」は無念の死を遂げた荘献世子の子イサンが、第22代王になりその治世までを描いたドラマです。
 イサンは10歳のときに、祖父の英祖王によって米びつに閉じ込められた餓死寸前の父を助けようと、父の蒔絵を祖父に渡します。しかし祖父は取り合ってくれず、父の最期を迎えることになります。父の死はイサンの生き方にも大きく影響します。
 
 英祖王は孫のイサンを世孫として認めますが、無理難題を押し付けて厳しく接します。その裏にはイサンを王世孫と認めない貞純王后と老論派の画策がまたしてもあり、イサンは一つ一つ無理難題を解決して行きます。今で言う広報にあたる図画署のソンヨンとの愛、固い友情で結ばれたテスの活躍、王族の陰謀、暗殺未遂と王になるまで波乱万丈な半生を送ります。
 
 英祖王の逝去後、イサンは第22代王「正祖王」(チョンジョ)(1776~1800年)となり、晴れて父親の無念を晴らし、地位を回復します。老論派を牽制し、数々の改革、例えば「身分制度が強い朝鮮で優れた庶子を登用する」、「人民の声を直接聞き入れ政策に反映する」など、大幅な政治改革を行いました。
  重臣たちの反抗もあり、朝廷内部ではかなり不満も溜まっており、改革の先方を担うホングギョンとの行き違い、盟友を流刑にするしかない正祖、老論派との権力争いで王になっても心穏やかな日がありません。唯一やさしい王妃と側室のソンヨンがイサンの安らぎでした。遷都の計画もあり、予定地水原に着々と建設していきます。
 歴代王の中で、民衆の声も聞き、優れた政治経済改革をすすめた王「正祖」でしたが、1800年夏に突然倒れてしまい亡くなってしまいます。その原因は重臣による毒殺とも噂されましたが、近年学者の研究により胃の病気でなくなったとの説が有力になりました。
 この時代を背景としたドラマには、図画署と絵師キムホンドとシンユンボクを描いた「風の絵師」(2007年SBS)があります。
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