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清越坊の女たち~当家主母⑥

 

   偏見

 実際、沈翠喜も偏見を持つ女性でした。夫の雪堂の妾、曽宝琴を「行院の楽戸上がり(妓楼)の卑しい女」と罵ったこともあります。

 行方不明だった夫の代わりに任家を守る実業家になったことで、女性蔑視の偏見を身をもって体験したこと。魏良弓を愛した過程で、男性は再婚もできるし、妾をもつことも許されるが、女性は再婚も出来ず、後家として一生を送る。まして恋愛はご法度。魏良弓を命がけで愛した短い時間に多くのことを悟りました。貧しさのない世の中を目指し、悪と闘う勇気も持ちました。魏良弓が亡くなってからは背水の陣のような生き方を進んでいきます。

 行院送りになった、仇敵曹文彬の娘幺嬢を気にかけるのも翠喜の生き方の一つだといえるでしょう。

 

 曹夫婦が恩赦になるも娘の幺嬢は行院から出られず。父親の曹は娘に近付くためにあの手この手を使い娘に危害を加えようとします。女子の名節、美徳、貞操を守る為、家、自身のメンツのためにです。これらの行為は男性が優位な社会の弊害ともいえます。

 沈翠喜は幺嬢の様子を探るため行院に着物の採寸で赴きます。お嬢様だった幺嬢は翠喜の前ではしたたかに生きている女を演じます。

「母は元気なの?」「お嬢様の身を案じています」「私は元気だしここでの前途は明るいの」必死さが逆に翠喜の心を揺さぶってしまいます。翠喜は曹夫人と会い「賢いです。行院でもうまく立ち回るでしょう」夫人「染まっていたのね」

 しっかり生きていると様子を伝えると夫人は手紙を託し、夫と無理心中して娘を夫の魔の手から守るのでした。

 父親の不祥事で娘は賤民の身分に落とされて行院へ。泣くのはやはり女子。翠喜は仇敵の娘幺嬢を救う手立てをあれこれ考えますが、身分制度が強固な社会では不可能に近いことでした。

 行院で辛酸を味わった曾宝琴は「勅旨があれば賤民から平民に戻れるけれど。なおかつ江南は保守的な地域。影に日向に避難される。救い出すのは容易ではない」 翠喜は「それは承知。あの子は哀れ。仇敵は父親、娘ではない」曾宝琴「姉さんに合えた幺嬢は果報者。でもそれは難題、御上だけでなく偏見とも戦う必要がある。姉さんは一度決めたことは絶対負けない人」

 

 翠喜が離れた任家の清越坊は翠喜が技術を開放したので、清越坊の独占がなくなり売り上げが減る一方で、職人から給料未払い騒ぎも起きました。

 曾宝琴は翠喜の残したデザイン画を使用せずオリジナルのデザイン開発に励みます。自分の特技と持ち味を考え、気を照らず技術で勝負しよう。

 北京で国中の織子を集めて天下一を決める競技会が開かれることに。天下一の称号を得たら皇太后が喜び、褒美が出る可能性があるとのこと。

 翠喜は曹夫人の”娘を頼む”と書いてある遺書を持って再び幺嬢に会いに行きます。幺嬢は客揚げの機会を邪魔され「じゃあ私をここから連れ出してよ!行院から出してよ!」と翠喜をなじります。

 翠喜は「生きてほしいの。あなたを守るため夫婦で心中し身を挺して守ってくれた母君の御苦労に報いるのよ。軽はずみな行動ははやめて。私を信じて。必ずあなたを助けだす。待っていて」

 固い決意をした翠喜は競技会に臨みます。

 全国屈指の工房の織女たち。各地の秀逸な刺繍、織物を真剣に作品を織る織女たち。

 競技会の最中に曾宝琴の織機が壊れてしまいます。交換しようにも時間がない!。翠喜は「同門であり、作品は漢字で同じ」自分と一緒に織らせて欲しいと頼み、ひとつの織機で二人の合同作品を織っていきます。

 出来上がった作品はそれぞれが素晴らしいもの。

 皇太后が選抜された織女の作品を高覧し、曾宝琴と沈翠喜合同作品、中心に「寿(字体の違うそれぞれの寿)」の図、周りを「福の字を百」描いた図を一位に決定します。

 二人は皇太后に褒美は何がほしいかと聞かれます。翠喜は迷わず、行院にいる幺嬢のらくせきを願いました。しかしそれは官僚制度の罰則に反するもの。

 皇太后は「官吏一家を罰するには理由がある。官吏は民に奉仕し、ないがしろにするべきではない。戒めるため。救うべきではない。救うべき女子は他にたくさんいる。願いを変えなさい」

 翠喜「私は生死や栄誉が男次第である女子が哀れでならないと思うだけです。悪事を尽くした男が一旦名声を失えば女子の末路は死のみ。だから私は前例を破り、女子を救いたいのです。家族のせいで蔑まされる幺嬢のような女子を。幺嬢の活路が開けば不本意に生きる世の女子も望みがもてます」と陳情。

 願いが叶えられて幺嬢は解放されます。

 曾宝琴は皇太后直筆の”清越坊”の書を願います。

 皇太后の書いた”清越坊”の看板で再び客が清越坊に戻り繫盛。任家当主の雪堂は石碑を建てて翠喜を称えます。

 曾宝琴との会話、弟子たちへの言葉、翠喜は「皇太后も女子。女子であれば他人事ではないはず。罪を犯したのは父親だけよ。我ら女子には自らの定めはない。父親、夫、子供の定めに家族や妻、そして母親として従っているだけ。でも父や夫、息子の罪にまきこまれるのは女子が悪いせい?では何故女子を罰するの?他人の罪なのに」

 

 翠喜の工房に幺嬢を迎え入れます。

 世の女子に手に職をつけてほしいから、技能を伝授することだけが私にできる唯一のこと。女子たちが緙絲(こくし)、刺繍を覚えれば家族の金銭的な支えになる。

 酒浸りの父親や冷酷で薄情な姑、賭博好きな夫にもうないがしろにはされない、いつかその日がくる。女子であっても何も恐れなくていい。自らが望む暮らしや居場所を持てる自分の家を。

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 素晴らしい翠喜の活躍、考え方。今現代にも通用する考え方です。泣くのは女という考えはもう開放しても良いでしょう。

 

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