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昭和博覧会⑦ 筒井と手塚

2023-10-15 21:23:15 | 中産階級ハーレム
NHK放送センターの中にジャニーズ事務所関係者以外は立ち入れないヤリ部屋があると報じられている。テレビ朝日もか。私が想起したのは筒井康隆の、放送局内の普通は目に触れない下層階へ行くと既に姿を消した多数のタレントが飼い殺しにされていた~というドタバタ短篇「公共伏魔殿」なのだが、これは別に筒井に先見の明があったわけでなく、大方の日本人が彼の小説、というよりはコント内の人物のように役割分担して不都合な部分を消し去った「キャラ」としてしか生きられなくなってしまった現状を表しているに他ならない。

たとえば小池都知事というのも、関東大震災時の虐殺被害者に対してあの石原ですら毎年出していた追悼文を出さなくなった。テレビ出身で、財界から雇われた広告キャラとして、日本新党であれ自民党であれ都民ファーストであれ「保守」「改革」の広告イメージさえ守れればよい。石原が作家として政治家としての自我から前例踏襲の判断するのに対し、小池はキャラに徹し、人の心は捨てている。虚無。

橋下・百田・西村・三浦るり・小林よしのりや太田光や東浩紀や古市や高須、新顔でたぬかなとか成田とか? 何度恥をかいてもへっちゃらでメディア上に出しゃばり続けるのも、メディア上で他とつながって衆目を集めているのが本当の自分で、そう認知されている属性や文脈に不都合なことは無視してしまえる。葛藤や自省のない、虫のように集団的にメディアとマーケットに寄生して生きる。


虫プロの経営難に悩まされ、週刊漫画誌が出そろって劇画の影響を受けた作品の人気に押され低迷した1968~73年を手塚治虫自身も「冬の時代」と回想している。しかし小6のとき強烈な読書体験となった↑の『火の鳥・復活編』はじめ『きりひと讃歌』『人間昆虫記』『ザ・クレーター』などこの時期のグロテスクかつ倒錯した作品群こそ私にとって手塚の真髄だ。

中で『奇子』の解説(ヘッダー画像とは別の文庫版)で橋本治が「手塚は田舎の人間を書かせると圧倒的に上手い。彼の漫画には『心理』が存在しないから。近代的知性と無縁の人たちだけで物語を成立させたこの漫画の前半は奇跡」と述べていると聞き、未読のままだったのを手に取ってみると、致命的につまらない。たとえばブラックジャックは読み切り連載なので、短いページ数で人の運命をゆさぶって結末までもっていかねばならず、あまりに無理の多いご都合主義。とても今は読めない。同じように彼の青年向け作品のグロテスクも倒錯も子どもだから新鮮だったので、農地改革に翻弄される東北の旧家と占領軍G2の謀略という奇子の題材もそれらと同じ単なるドラマの部品として扱われ、天外家の5きょうだいも筋立てに好都合なよう極端に役割分担している。心理がないのも当然、ヒゲオヤジやアセチレンランプのようなスターシステムのキャラに過ぎないのだから。

「おこがましいとは思わないか」。物語世界の神であることは。そしてロボットが人間のように喋ったり、将来人類が宇宙に移民できるかのように描くことは。



私には母を見殺しにすることで今の経済的文化的自由を得ることができたという負い目があり、この「サイボーグ」の悲痛な結末には衝撃を受けた。と同時に、手塚や筒井のみならず大方の〝SF〟のロボット観・宇宙観は根本的に間違っている、子どもだましのオカルトであり自意識肥大させるポルノだと確信するに至った。水木しげるのお母さんはたとえ片腕を失っても息子が生きて帰ってくれたことを心から喜んだ筈。一部分にしても「おれはてんかん持ちでないしなあ」などどいう文章を教科書に載せるのはどうかしている。

「ちなみに一般国民も結構他の一般国民を国が助けるの嫌う傾向あるんだよな。例えばこれ韓国が一緒に乗せてくれたって情報がなくて日本の便の情報だけだったら税金で助けるんだから金取るのは当たり前!ドバイまで退避させてもらえるだけありがたいと思え!って論調になるよ」5ch嫌儲10月15日

水木しげるも売れてからは手抜きの乱作が目立つように。出版社がそう仕向ける。NHKやテレビ朝日、講談社や小学館や文春、日本のメディアはオリンピックの件であれジャニーズ事務所の件であれまったく国民の方を向いていない、軍事独裁に寄生する広報機関として愚民化に寄与していることが明らかになった。メディアだけでない、連合のおばさんは小池の亜種だし、企業も各種団体もすべてそうだ。人間しか資源のないわが国はこれから戦争をせずに戦争に負けたような状態に陥っていくだろう。
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