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天変地異と日本人─保立道久氏のブックガイド

2011-05-30 22:35:07 | Bibliomania
【1】地震列島の歴史
東日本の太平洋岸を襲った大地震を歴史から考えるために、つまり根本的に考えるために参考となる本を紹介したい。
21世紀前半にも発生が予想される東海・東南海トラフ大地震の過去の諸事例については、矢田俊文『中世の巨大地震』(吉川弘文館)がある。中世では1096年、1360年、1498年に3回の東南海大地震が起きており、以降、だいたい100年から150年ごとに発生しているという。本書は徹底的な史料蒐集によって、これまで不明瞭であった中世の地震、特に1498年の明応地震の実像を明らかにしており、中世史研究は本書によって初めて歴史地震についての詳細な叙述を提供することができた。
歴史学は、100年、200年を越える時間を実感するためにあるという私の持論からすると、矢田は、この地震列島の歴史を読むという歴史学の責務をほぼ一人で果たしたことになる。本人はそう考えないかもしれないが「大地と海原」の歴史分析を強調した網野善彦を継ぐ仕事であると思う。
矢田の共同研究者の一人、地震学の石橋克彦『大地動乱の時代』(岩波新書)も必読。地震とは何か、東海大地震とは何かを、その最初の予知者として臨場感をもって述べる。日本の地震学においてプレートテクトニクスの導入は世界水準から10年遅れたといわれるが、予知される地震への恐れと自分の従事する学問の現状への焦慮が重なっている叙述は独特の緊迫感がある。ほぼ半分が江戸時代の地震に充てられているから、矢田の本とあわせれば地震史のほぼ全容が分かる。
もう1点、通史の体裁をとった寒川旭『地震の日本史』(中公新書)も分かりやすく有益だ。寒川は全国の発掘現場を歩いて、地下に残された地震による液状化遺構の発見の方法を伝授し、その中で「地震考古学」という分野をつくり出した。今回の東日本大地震の原型といわれる9世紀の大地震、「貞観地震」の津波痕跡にもふれている。本書の出版は4年前の2007年。それ以降「貞観地震」の研究がさらに進み、昨年には原発との関係を含めて研究者が強い警告を発していたことは、よく知られている。

【2】津波史を生きる
中世の津波については、初回にも挙げた矢田俊文『中世の巨大地震』がある。紹介したように、本書は室町時代、1498年の地震の全体像をはじめて明らかにした仕事であるが、その被害の中心は津波であった。おのおの数千を超える死者を出したという伊勢・駿河・遠江・紀伊の津波被害の分析は臨場感にあふれている。断片的な史料をもとにして、遺跡の情報や江戸時代の伝承を組み合わせて推理をしていく矢田の仕事に歴史学の醍醐味を感じる人も多いだろう。本書には平安時代の津波の分析もあり、海村や海運の歴史の本としても、興味深いものである。
江戸時代の津波についてまとまった歴史書はないが、災害史研究において画期をつくった北原糸子『日本災害史』(吉川弘文館)に、東大地震研究所の郡司嘉宣が、コラム「日本における歴史津波」を書いている。郡司は江戸時代の崩し字の古文書を読みこなす力をもつ地震学者として有名である。
山下文男『津波てんでんこ』(新日本出版社)は近代日本の津波史である。山下は祖母を1896年の三陸大津波で失い、自身も9歳の時に1933年の三陸大津波を経験し、定年後に津波研究を究めたという異能の人物である。今回の津波の時、岩手県陸前高田市の病院の4階に入院していて2度目の津波に襲われたが、カーテンレールにつかまって体を支え、かろうじて流されずにすんだという。
津波について歴史学は後れをとっている。すでに「[古代・中世]地震・噴火史料データベース」(石橋克彦代表の科学研究費グループ作成)があるが、この充実に協力するのが急務だろう。
このデータベースを引いてみると、1454年に奥州の津波という史料があるのを知った。「山の奥百里入って、返りに人多く取る」という。同時に千葉も襲ったようだ。今回の津波は千年に一度の大地震・津波ではなく、ほぼ600年周期ということになる。
つまり最近よく聞く「千年に一度だから想定外」という言い方は正しくないのである。日本の大地が動乱の時代に入った、と地震学が警告していたことの意味は実に大きい。

【3】神としての火山
著名な日本文学研究者である益田勝実の机には、1952年に噴火した伊豆の海底火山、明神礁から噴き出した軽石が置かれていた。その著『火山列島の思想』(ちくま学芸文庫)は、たしかに私たちの持つべき思想を示している。
この列島に棲(す)むものは、日本の火山活動が活発であった紀元前後の時代に「マグマが教えた思想」を心のどこかに覚えている。折口信夫のいう「忌み」の思想、「神道」の思想の実体はそこにあった、というのが益田の主張である。日本の神は火山の神である。霧島新燃岳の噴火は、私たちに必要なのは「安全神話」ではなく、本当の神話への理解かもしれないと思わせる。
私は昨年、益田の火山神論に導かれて火山神について考え『かぐや姫と王権神話─「竹取物語」・天皇・火山神話』(洋泉社歴史新書y)を執筆したが、その中で、噴火こそが網野善彦が強調した「大地と海原」の実体であることを確知した。益田の仕事は、文化の問題として地震・津波・噴火を受けとめるために必須のものである。もし幸運に「原発」を抑え込むことができれば、日本社会は、この問題をめぐって内省を深めざるをえないはずである。
そのために有益な本として、永原慶二『富士山宝永大爆発』(集英社新書)と、小山真人『富士山大爆発が迫っている!』(技術評論社)の2冊を推しておきたい。永原は歴史学の立場から、1707(宝永4)年の富士の噴火と膨大な積砂による荒廃、そして河床上昇による大洪水という二次災害を描いて間然するところがない。その復興には実に70年以上もかかったという。
後者の小山の著書は富士の噴火の歴史と構造についての火山学の側からの説明である。宝永噴火と864(貞観6)年の噴火の比較が面白い。小山は富士山の噴火のハザードマップを作成した人だが、逆に日本の国土は火山なしには盆地・平野もありえない貧困なものとなったろうと火山の恩恵を強調している。そういえば、日本における黄金の産出は火山列島であることによるという。
なお、前回も触れたが「[古代・中世]地震・噴火史料データベース」が、小山が勤める静岡大学防災総合センターから公開されている。 ─(以上3つの記事は、保立道久氏が執筆して東京新聞5月8・15・22日読書面に掲載された「テーマを読み解く~地震・津波・噴火」より。ご本人のブログにも全文が掲載されています)



保立道久(ほたてみちひさ)=1948年生まれ。東京大学史料編纂所長を経て、同教授・日本中世史。著書に『中世の女の一生』『平安王朝』『歴史学をみつめ直す』『義経の登場─王権論の視座から』など。


◆震災面・取材メモから─経験を伝える
4月初旬。宮城県気仙沼市の避難所を訪ねると、70歳ぐらいの女性から「報道の人か」と声を掛けられ、手の大きさほどの1枚の厚紙を渡された。
裏表に赤いペンで字がびっしり。震災では津波で多くの船が流されたが、女性の故郷の同県南三陸町石浜地区では、「サトウトシオ」さんら漁師の知恵で多くの船が助かったという。「こん後のためにも是ひ取材お願いしたく思います」とも書かれていた。記者の誰かに渡そうと準備していたらしい。
女性は名前も教えてくれない。車で1時間半かけて石浜地区の避難所を訪ねると、地区会長の佐藤登志夫さん(63)がいた。先祖の教えに従い、地震直後、19隻で津波被害を受けにくい沖合に逃げ、難を逃れたという。
「女性に心当たりはないが、経験を後世に伝えたいのはみんな同じだよ」と佐藤さん。何度も津波被害に遭い、そのたびに再起を果たしてきた東北の人の「つなぐ心」を強く感じた。 ─(鷲野史彦・東京新聞5月30日)
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