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角を矯めて牛を殺す

2011-05-01 23:38:12 | マンガ
「火の鳥・羽衣編(COM版)」 手塚治虫 (COM1971年10月号)
羽衣伝説に基づき、古典芸能を客席から見るような形式で描かれている。望郷編(COM版)のプロローグになっており、火の鳥全編中でも際立って短い作品。
三保浜の漁師の村に生まれながら、臆病で殺生ができず、「びゃーら」を商って暮らしているづくなしは、浜の松の木にかけられた、透き通って美しい羽衣を見つけ、自分のものにする。
羽衣は、美しい女性のおときが海へ入るためにかけておいたもので、彼女はそれがなければ故郷へ帰れず、づくなしに返してくれるよう哀願するが、次第に情にほだされ、づくなしの妻になって、しばらく滞在することになった。
やがて二人の間には子どもができるが、2200年後の世界で大きな戦争に巻き込まれ、被爆して逃げてきたおときが生んだのは、障害があって普通ではない赤ん坊であるらしい。
そんなところへ、源義朝の配下の武士2名が徴兵に訪れ、人を殺めることなどできないといやがるづくなしを、「頭数さえそろえば」と無理やり連れて行こうとする。おときは、命より大事にしていたはずの羽衣を賄賂として渡し、づくなしは連れて行かれずに済んだのだが、それではづくなしの気が収まらず、おときのために羽衣を取り返そうと行ってしまう。
残されたおときは将来を悲観し、一度は赤ん坊を手にかけようとするが思い直し、赤ん坊を連れて2200年後の世界へ旅立つ。彼女が去った後に、羽衣を取り戻したづくなしが、傷だらけになって帰ってくる─。



『火の鳥・望郷編(COM版)』 手塚治虫 (COM1971年12月号・72年1月号)
木々に囲まれた屋敷。一人暮らしらしい白髪の老人が、朝のシャワーを浴び、動物たちに挨拶し、絵を描き、ピアノをかき鳴らす。警報が鳴って、ライフルを持った異様な風体の者たちが近づいてくる様子がモニターに映し出されるが、要塞のような屋敷に侵入できず、備えられた装置で皆殺しにされてしまう。
場面はガレキだらけの荒れ果てた土地に変わる。そびえたつピラミッド様の建物の中に、老人の屋敷と木々や動物たちが収められているらしい。そこへ宇宙船で降り立った来客。
その男はジョシュア・オーヴァードという名の宇宙開発土木請負業者で、かつて老人=城之内博士が造物主としてすべてを作り上げる手伝いをし、ささいなミスで追い出されたその惑星を、10年ぶりに訪れたのだ。
博士が作り上げた、クローン人間やクローンの動植物、博士はそれらをナポレオンのごとく支配し、地球のような文明の堕落への道を歩ませまいと管理していたのだが、オーヴァードの去った後に大きな核戦争が起こったのだという。
博士にはクローンではない時子という名の一人娘がいたのだが、戦争の際に放射能を浴びたことで、死にもの狂いになって、博士が発明したばかりの四次元世界へ行く機械スワープを操作して、どこへともなく姿を消してしまう。
惑星を去ってからも時子と交信していたオーヴァードは、その事実やスワープの存在をつかんでいたのだった。
言い争ってもみ合う2人の耳に、どこからか時子の声が聞こえ始め、やがて空間がゆがんで、スワープに乗った時子が姿を現す。彼女は次元移動の衝撃からか記憶喪失になっていた。
博士はオーヴァードを殺そうとして銃の暴発で死んでしまい、オーヴァードはスワープの中に、時子が連れてきた赤ん坊を見つける。それは戦争の影響か、普通ではない姿(マンガ少年版『望郷編』のコムと同じ外見)をした奇形児だった。
オーヴァードは「かわいそうだが─」と赤ん坊を池に投げ込むと、時子を連れスワープを積み込んで、宇宙船で飛び立つ。
赤ん坊を助けたのは、クローンの動物たちだった。歳月は流れ、ミュータントの赤ん坊は目は見えないが頭部の触覚で周囲を知覚して動物たちと意思疎通ができ、コムと名付けられて成長していた。
そして、人工的に作られたその惑星を快く思っていなかった火の鳥が訪れると、たくさんの質問を浴びせかけ、その中には彼の心に刻まれていた言葉「おとき」もあった─(未完)。



菅直人って人は、どうして自分が人気がないのかさえ分かっていなさそうな。
そもそもの「ボタンの掛け違え」は、首相に就任した際、「最少不幸社会」でしたっけか、提唱したの。
その際も、否定語を2つ重ねるセンスはいかがなものか─と指摘されていたが、不幸を最少にするという理想はいいものの、言葉づかいなどから、国民の気持ちをつかめない人であることが如実に。
いまも、国難ともいえる状況にあって、政権に就いていたことは、人気を挽回するチャンスでもあったのに、見当違いを繰り返している。
先日も、わざわざ内閣官房参与に任命した人が「学校の20ミリシーベルト」をめぐって抗議の辞任。
いくらなんでも世襲の麻生や鳩山よりはマシだろうと思ってきたが、人の気持ちが分からないということでは、似たようなものかも。
で、弊ブログの前回のマンガ評で、ひんぱんに大地震に襲われる惑星を舞台とする『火の鳥・望郷編』を採りあげた後、その全面的に描き直されたエピソードの、元々の版が掲載されたCOM誌を古書市で発見して。
買ってじっくり見てみると、なるほど手塚先生の時代に先駆けるすごさ、そして不幸な事情で長く中断した『火の鳥』が、再開後にすっかりつまらなくなってしまったわけもいくらか理解できたような。
このたびの風評被害の問題にもつながるが、放射能という匂いもなく目にも見えないものに対して、どう表現するべきかというのは難しい。核戦争の後に時空を移って、づくなしの子を懐妊したにもかかわらず、ミュータントの子どもが生まれるというのは、おかしいといえばおかしい。
しかし、それでもなお、手塚先生が描きたいように描きとおしてほしかったという気持ちが勝る。
描き直された版よりも、圧倒的に面白いのである。
この時期、何度も述べてきたとおり、手塚治虫という名前は本来の子ども向けマンガの世界では古いものになっていた。それでも手塚先生は、人気のある売れっ子たちにライバル意識を燃やし、彼らの要素を取り入れてでも、挑戦することをやめなかった。
そこには、戦争を知っている世代の、医師という知識人でもある自分が、子どもたちを導くマンガの世界の第一人者であらねばならない─という使命感もあったろう。
青年誌やマニア誌に描かれた作品では、読者が子どもであるという制約から解き放されて、劇画や怪奇ものや本格SFの要素を借りて、さまざまな実験を試みているが、根本にはそうした思いが息づいている。
オリジナルの「羽衣編」も「望郷編」も、放射能・被爆についての表現はいくらか不用意でも、戦争への怒り、そして残念ながら戦争によって科学技術を発展させてきた人類が、それによって何度でもあやまちを繰り返すことへのやり切れない思いがあふれている。
過去・日本を描く「羽衣編」と未来・宇宙を描く「望郷編」の設定が連続することにより、『火の鳥』本来の雄大な構想が効果を挙げていることも見逃せない。
この後、COMは休刊し、虫プロも倒産するが、青年誌やマニア誌で培った技術を基に、『三つ目がとおる』と『ブラックジャック』によって、ついに手塚先生は少年マンガ誌の人気作家として返り咲くのだ。
再開された『火の鳥』こそ、全盛期の面白さには遠く及ばなかったものの、やや短い「生命編」と「異形編」では、往年の妖しさ・まがまがしさ・実験精神もよみがえっている。
やがて、昭和が終わるとともに亡くなった手塚先生が、いま、天上から何を思っているか分からないけれども、人に媚びるということではなく、決して理想を忘れずに自分を貫き、それでいて読者の、特に子どもの気持ちをつかむことに心を砕いた手塚先生の御遺志を大切に、毎日をベストを尽くして生きてゆきたい。

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