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『浪華悲歌(エレジー)』 『西鶴一代女』

2009-08-20 22:07:21 | 映画(映画館)
@高田馬場・早稲田松竹(早稲田松竹クラシックスVol. 36 溝口健二監督特集)
『浪華悲歌(エレジー)』溝口健二監督(1936年・日本)
大阪の製薬会社で電話交換手として働いているアヤ子(山田五十鈴)は、勤め先で金を使い込んだ父を救うため、社長・麻居(志賀廼家弁慶)の妾となる。
ある日、麻居とアヤ子は人形浄瑠璃見物に行って妻と出くわしてしまう。危うくその場を切り抜けるものの、後日、友人である医者の勘違いから妻の知るところとなる。パトロンを失ったアヤ子だったが、麻居の友人・藤野(進藤英太郎)から300円の大金を巻き上げて兄の学費として送るいっぽう、交換手時代の恋人、西村(原健作)との結婚の夢を追う。ところが、藤野が金を取り返しに来たのを西村をごろつきに仕立てて追い返そうとして失敗し、留置所に入れられてしまう。西村に裏切られたアヤ子は実家に帰るが、彼女の金に支えられていたはずの家族は誰もアヤ子を温かく迎えようとしない…。
脚本家・依田義賢と溝口が初めてコンビを組み、不振期を脱してリアリズムの大家となる節目の傑作。近代都市大阪を舞台に、山田五十鈴が1920年頃から社会現象として流行した「モガ」に扮する。アヤ子が囲われるアパートは大阪モダニズムの最先端「大阪パンション」がモデルとなっており、そこかしこにモダニズムの匂いが漂っている。



『西鶴一代女』溝口健二監督(1952年・日本)
時は元禄。奈良の荒れ寺へ客にあぶれた娼婦たちが集まり、愚痴を言い合っている。その中に、厚化粧でも歳は隠せないお春という女(田中絹代)がいた。その夜、巡礼帰りの百姓たちの前に引き出され、“こんな化け猫をお前たちは買いたいのか”とさらし者になったお春は、我知らず羅漢堂に入っていく。羅漢堂に居並ぶ五百羅漢を眺めるうちに、お春には羅漢像のひとつひとつが過去の男たちに見えてくるのだった。
さまざまな男たちと出会い、別れていくたびに不幸になっていくお春の、流転の生涯が遡って綴られていく。身分違いの恋で御所勤めから追われ、田舎大名の側室となって世継ぎを産むものの里に返され、親の借金から遊郭へ売られ、ついには門付けから夜鷹にまで身を落とすお春。
原作は井原西鶴の『好色一代女』で、好色なヒロインがここでは徹頭徹尾、非誘惑者、被害者として描かれる。1952年のヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞し、西欧で評価された最初の溝口映画となった。



どうでもいいけどさあ、新聞、雑誌、テレビ、マスコミのみなさんは、酒井法子の話題をいつまで引っぱるつもりなのかね。自分の仕事がいやにならないのかね。(注釈)これ書いてるの酒井法子の事件の2週間後(衆院選の10日前)のことなんです。いや自分も最初は乗っかったけどね。飽き飽き。
芸能事務所とマスコミがでっちあげた虚像を、自分たちで寄ってたかって壊してるんでしょ。くだらな過ぎ。本誌だけはつかんでいた!!彼女の別の顔を!!ってさ、つかんでたんなら事件の前に報道しやがれ卑怯者。
そうしたら未然に防げたかもしんねえだろ。他人の不幸で商売繁盛の卑しいやつら。すべて他人事。決して反省しないマスコミ。
彼女の父親がヤクザだったことすら、初めて知らされた人が多いのでわ。知っていても報じないマスコミ。そういや田中角栄の金脈問題のときも。
ほんとうのことを言わない。記事の結びの文、ニュースキャスターの結びの台詞はいつも同じ紋切り型。未必の共犯。われわれを愚弄するそれらは、体制側や背後でうごめく者たちにとって便利なことでしょ。
戦前がいうほど暗い時代でなかった、というのは臭いものにフタをしたい右翼のみなさんの言い草とはまた違った意味で、いえてる部分が多い。まだ消費文明・広告文明のフォーマットが定まってなくて、言論自由なはずの現代よりも自由な表現にお目にかかれることがしばしば。『浪華悲歌』に登場する人物たちの言動は、さだめし「闇金ウシジマくん・モガくん」。そのリアルなこと。すでに戦後で『雨月物語』『山椒大夫』の前哨となる『西鶴一代女』では、描かれるのが個人の自我の前面に出ない時代ゆえか、幻想的な描写も取り入れられているものの、お金と権力の描かれ方はリアル。なにがヒロインをそういう行動へ走らせたか、そういう境遇へ追いやったか、われわれにもきっちり問題を投げかける。他人事ではいられない。
逆に今のマスコミとか芸能ってのは、問題から目をそむけさせてませんでしょか。われわれの目を、この没落にっぽんで。臭いものにフタをして同じ失敗を繰り返すってことでは、「日本軍」「自民党」の次に失墜するのは「マスコミ・広告業界」かもしれないが、どうか国民を道連れにしないでいただきたい。といっても、バレーボールの国際試合の前にジャニタレが歌い踊ってる姿を見ると、すでに手遅れって気も。一部では敗戦より手痛い国辱。特に痛いのは未来がないってこと。
コメント
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