マガジンひとり

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バンカラ

2009-08-18 21:50:02 | マンガ
マンガ雑誌の読者の子どもに向けて描かれ、単行本化されることもなく、されたとしても注目されずひっそりと消えていく数知れないマンガたち。
オラ小4~小6(1974~76)のころ唯一自分でお金を払って毎号買っていた雑誌、月刊少年ジャンプ。見ている時間は至福。わくわくして夢中になるというよりも、人気連載の野球マンガ『キャプテン』に代表されるように独特のゆったりした時間が流れていた。今となっては、他にどんなマンガが載っていたかはっきり覚えていないが、不定期掲載されていた作品に永井豪のおなじみ『けっこう仮面』と、どおくまんの『花田秀治郎くん』があって、後者は「花田秀治郎くん猛走す」とか「花田秀治郎くんラグビーす」のように1回1回読み切りの話が笑いあり根性あり恋模様ありでとてもおもしろく、その空気感とともにいつしか雑誌の中の一番のお気に入りとなった。
ところが当時ジャンプの集英社からは単行本化されず、不思議なことに大人向けの4コマ漫画を多く文庫化していた立風書房によって2冊の文庫にまとめられた。マンガ本を処分するのが習い性となっているオラも、こればかりは大切に保存。久しぶりで見てみる。見終えるまでに、思わず「いいマンガだなあ!!」と口に出してしまうこと6~7度。ほんと、これがオラにとっての月刊少年ジャンプ。
少年ジャンプの編集方針は「努力・友情・勝利」なのだという。しかし、それが強調されるようになったのは1980年代以降同誌が部数を急増させるにつれてのことで、それより前にはわりといろんなカラーの作品を載せていた気がする。
先日、宝生舞が年を重ねてきて、ひょっとして最後のセクシーグラビアの仕事だったかもしれない2000年5月の週刊プレイボーイを入手。そこに『キン肉マン』の続編となる、キン肉マンの息子が戦うマンガが載っていた。青年向けの雑誌に『キン肉マン』が載ることにも疑問がないではないが、まあいいでしょう、男の子たちにとっての「通過儀礼」なんでしょから。
にしても、敵キャラが「鬼畜ハンゾウ」といい、リング上の戦いで打ち負かした相手の顔面の皮を刀で切り取る、というのにはなんぼなんでもあきれる。オラが『北斗の拳』や『キン肉マン』に嫌悪感を覚えるのには、自分が肉体的にへなちょこゆえ、というのにとどまらない。敵を、残虐な、絶対的な悪として描く傾向。問答無用の悪。敵をそのように描くということは、つまり味方は絶対的に、無条件に善であるという。それは、読者に向かって、努力や友情の尊さを訴えているようでありながら、実のところ、あなたは無条件に善なんですから努力しないでいいし勇気も出さなくていいですよ、パチンコでもやっていてください、と言ってはいないか。
そうではないとしても、これから世の中を生きる子どもたちに向けて、善の面しか持たぬ人物、悪の面しか持たぬ人物を見せることの反教育効果は見逃せない。われわれ大人はすでに知ってますよね。世の中は複雑にできていて、誰しも善と悪を併せ持つ。立場によって変わったりもする。
『花田秀治郎くん』では、主人公の秀治郎もだらしない面やときには卑怯な振る舞いも。それを忠告する親友の剣源太郎はかっこいいが、彼ですら恋するとだらしなくなってしまう。そして、特に大人になったオラをも感動させてしまうのは、オールドミスの山神先生や、美人で性格の悪い天知さん、秀治郎を目の仇にする彼女たちも単純な「敵キャラ」にとどまっておらず、彼女たちの側から物語が語られることさえあるのだ。いいマンガだああ…。
みなさん、小学生のときって、高校生がすごい大人に感じられませんでした??マンガで高校生の学園生活とか見て、自分もあんなふうになれるのか憧れませんでした??
今のオラは40代の汚っさんで、高校生だったのは遠い過去。それでも、花田秀治郎や剣源太郎を見て、憧れる気持ちがよみがえってくる。彼らはオラより大きな人間。オラは大人になってもちっぽけな人間にしかなれなかったが、これからわずかでも彼らに近づきたいとも思う。

コメント
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