湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

日航機事故から30年

2015-08-12 14:53:31 | Weblog
日航ジャンボ機事故から
今日で、丸30年が過ぎたということです

そのことは、また
私が、生まれて初めて飛行機に乗った日から
丸30年が過ぎたことを意味します

あの日、日航機が羽田を離陸したほぼ同じ時刻
私を乗せたノースウエスト機は成田を飛び立ちました
離陸時刻は予定より少し遅れていました
ノースウエスト航空では、めずらしくないことだと説明されました
生まれて初めて飛行機に乗った私は
飛行機の離発着とは、けっこういい加減なものだと思いました

私の飛行機はマニラ行きでした
マニラの日本大使館に勤める中学高校の同級生に会いに行くため
同じく中学高校の同級であった友人とともに
マニラに向かったのです

私達は、マニラ空港に着くまで、日航機の事故のことは知りませんでした
空港に着くと、迎えに来た友人が

「日本で大きな飛行機事故があったぞ」

と、おしえてくれました

私は、飛行機の中で
スチュワーデスが救命胴衣の使い方を説明する時に
真剣な表情で、ほとんど泣き出しそうな感じで説明していたのが印象的でした
彼女達は、事故のことを知っていたのでしょうか?

私の友人は、大学の建築科を出て、大手ゼネコンに勤めていたのですが
海外事業部に転属になって、英語を勉強しているうちに
英語が面白くなって、会社をやめ、英検1級に合格し
マニラ大使館勤務として、外務省に採用されたのでした

マニラの英語環境が気に入らず
躊躇する彼の背中を押し、強く就職を進めたのは私です
二十代の半ばに達している以上、定職に着くべきであると考えたからです
日本を離れても連絡を取り合い、休みには遊びに行くと約束しました
その時の約束を果たすため、私はマニラに向かったのでした

あの日、もし窓際の席であったら
夕日のかなたに、日航機が見えたのではないかと考えたこともあります
実際の私は、初めての空の旅と海外旅行に酔いしれ
機上で飲むウイスキーの陶然とした酔い心地に
人生の成功者になったような幸福感を味わっていたのでした
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