自分というものは、自分では見えないものです
あるがままの自分も見えないし
かくありたい自分、願望としての自分すら、当人には見えないのです
こうなりたい自分を人は夢見ます
それは客観的には十分実現可能性のある夢である場合も多いです
にもかかわらず、本人が勝手に
自分には無理だと諦めてしまうことが多いものです
もちろんその逆に、実現不可能な夢を追い続ける人もいます
私はどちらかというと、こういうタイプの人が好きです
人生というものは、やってみなければ分からないものです
失敗もあるでしょう
しかし、ひとつひとつの失敗は
けして、人生そのものの失敗を意味しません
人生の失敗というものは、往々にして
夢を諦めた時に起きるものではないでしょうか
自分探しの旅なんて言い方もあります
でも、自分なんて、いくら探しても見つかりません
2枚の鏡を向かい合わせに置いたように
鏡と鏡のわずかな隙間に身を置けば
鏡の向こうに鏡が映り、そのまた先に鏡が映ります
実際には、鏡と鏡のわずかな隙間しかないのに
鏡の向こうに無限の空間が広がるのです
それは虚像です
どこまでも続く虚像の連続です
自分を探すということは
立ち止まったまま、虚像に幻惑されることのように、私には思われます
あるがままの自分も見えないし
かくありたい自分、願望としての自分すら、当人には見えないのです
こうなりたい自分を人は夢見ます
それは客観的には十分実現可能性のある夢である場合も多いです
にもかかわらず、本人が勝手に
自分には無理だと諦めてしまうことが多いものです
もちろんその逆に、実現不可能な夢を追い続ける人もいます
私はどちらかというと、こういうタイプの人が好きです
人生というものは、やってみなければ分からないものです
失敗もあるでしょう
しかし、ひとつひとつの失敗は
けして、人生そのものの失敗を意味しません
人生の失敗というものは、往々にして
夢を諦めた時に起きるものではないでしょうか
自分探しの旅なんて言い方もあります
でも、自分なんて、いくら探しても見つかりません
2枚の鏡を向かい合わせに置いたように
鏡と鏡のわずかな隙間に身を置けば
鏡の向こうに鏡が映り、そのまた先に鏡が映ります
実際には、鏡と鏡のわずかな隙間しかないのに
鏡の向こうに無限の空間が広がるのです
それは虚像です
どこまでも続く虚像の連続です
自分を探すということは
立ち止まったまま、虚像に幻惑されることのように、私には思われます