無意識日記
宇多田光 word:i_
 



詳細が出ていた。まず目を引くのはEtDM着うたの32万。全体の約半分だ。01に比してのDMは、着うたフルで約1.2倍なのに着うたでは約9倍とその差は歴然。如何に購買の主力層が「話題の新曲を、一部分だけでもイチ早くゲットしたい」と考えているかを示すもの、とも取れるし、何種類もの着うたを皆一斉に買った為、という解釈も可能だ。何れかは解らない。一方、DMのPCDLは着うたフルの4割にも満たない。CD発売がナイのだからステレオで聴くにはDLしてCDに焼くとかしかナイのに皆どうやって聴いているのだ。もしかしたらDMは、音楽は携帯でという層に合わせてMixされてるのか?

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USEN総合チャート1位及び2バージョン配信合計65万DLとの事。今やドラマの視聴率に左右されない程に宇多田ブランドは揺るぎないのだろうか。メディア露出も皆無だというのに、順調過ぎてやや怖い。USENはEt01のみの集計と記事は読めるが、CD化されていない音源はリクエストできないのかな。先日10/26のHikkiGoodsCollectionでNe-Yoとのコラボ曲(配信限定)のサンプルCDが紹介されていたが、CDにPC配信/携帯配信,ラジオにTVにUSENにと媒体が沢山あって混乱するわ。媒体毎に愛好者層が棲み分けてそうな中、満遍なく支持される事で逆説的に曲のよさが抽出されてくる気がして面白い。

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昔と違い同音質でCD-Rに焼ける様になった分レンタルの旨味も増している。ブックレットもスキャンすればイイし。さしたる付録もなく売ったHステは他の作品に較べレンタルに流れた比率が格段に高そうだ。ヒカルは配信もデカイしこうやってステイタスや話題性より"音"を最優先にする層に支持されたのは実に喜ばしい。思うに、レンタル利用者は、もしレンタルがなくなったら音楽を聴かなくなるか友達から借りるかネットでxxするかで、諦めてCDを買うケースは少ないんでないか。光からすればお金云々より自分の音楽の為に時間を費やしてくれる事が嬉しい筈だし、今後も皆にレンタルして貰えると有り難いよ。

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サウンドプロダクションが抜群に素晴らしい。曲や歌演奏云々の前に音の鳴り自体が生理的快感を呼び起こす。気がつけば又リピートだ。思うに、楽曲粒揃いのEXODUSに欠けてた点はココではなかったか。セルフプロデュースの手法は作曲家Utadaの個性を妥協なく表現するには最適だったが、逆にその為に完成形がデモ段階と余り変わらなかった可能性もある。鳴った瞬間にそのサウンドクォリティでリスナーを惹き付ける力もpopsには必要だろう。果たして、Utadaはどんなプロデューサを迎えた(迎える)のか。特に、クセの強い光の歌声を、耳当たりよく且つ耳に掛かる様に聴かせる手腕が必要かと思われる。

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レビューは又何れ。彼ら程日米格差が激しいバンドも珍しい。米1国で8桁売る超怪物ロックバンドも日本ではツアーすら不可能。売上にして1000倍位の差(比だな)がある。UtaDAは4年前日本で107万枚米で2万枚、即ち約50倍の格差だった訳だがそんなのはまだカワイイもんだ。彼らはインディーズデビューが96年、メジャーデビューが00年だから光と同程度のキャリアを積んでいる(齢は10コ位違うが)。アルバム売上累計も両者2000万枚台でスケール的には近いものがある。だが、英語圏での知名度は圧倒的に彼らが上だ。今後両者各々相手国でどれ位知名度を上げていくか期待、なんて見方するのは私だけか?w

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ガンズ&ローゼズ17年ぶり新譜発売狂騒ウィークだ。が、実質はアクセルローズのソロプロジェクトでオリジナルメンバー率は4年前光もシャワーで鼻歌唄う程気に入っていたVelvetRevolverの方が高いのだがこういう場合実質がどうであれ名前を持ってる方が勝つ。アメリカでの店頭販売が変則的らしい為実際はどうなるか解らないがガンズ&ローゼズの看板は本来なら初週100万枚50週連続チャートイン位は確約された名なのだ。存在が巨大になればなるほど名前が独り歩きし当人達は大衆の抱く幻想に翻弄されていく。超巨大看板宇多田ヒカルから身軽なUtaDAにスイッチした時、光の解放感は如何程になるのだろう。

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"と"の変換で"とんとん"が出た、という話をするからにはいつもと違うPCなのだろうかな。ファンとは至極贅沢なもので、いつも光の具合が悪いときけば心配だ々々々と騒ぎ立ててたのに、いざちゃんとケアしてる検査の結果もシロだったよときかされると今度は言い得ぬさみしさに襲われている(私がね)。私は子供を育てた事なんかナイけれど、親の気持ちってこういうのに近いのかなとふと感じた。向こうが元気で自分の人生を近しい人達と謳歌しているのを知ると、突然自分が不要な存在に思えてきてしまう。そんなの最初からわかりきった事なんだけど、自意識過剰とか自己過大評価とかじゃなくって、ただひたすら自分がさみしいんだよ。一旦宇多田光が自分の人生に入ってきてしまうと、もうそこから逃れようなんて思わなくなるから、どうしたっていつまでもこのさみしさと向き合い続けなくちゃいけない。だからいたたまれなくなって、光の身を心配する事で紛らせようとするんじゃないかな。光は、そんなみんなの気持ちを痛い程よくわか
ってるから、そう振る舞ってきた。多分、自分でも気がつかないうちに。光も一個の人間として、素直に健やかで幸せな営みを送りたいって思う所はある筈。それを…いつのまにか抑えつけてたのなら、大変な事。最初から誰よりも自立していたから、故に誰よりも自分の中の弱い部分を、弱い部分と向き合って、詞にしてきた。何もいう事はない。

ところでところてんw,注射好きをメッセで言うのは始めてだっけ? 私は文字に起こした記憶があるから、UtaDAんときかラジオの時だろうな~。まぁ特に言う事はないんだけど、子供が注射を怖がる痛がるのはイメージのせいではなかろうか。周りが騒ぐからソレに乗るだけ…周りの事は気にせず自分の感性で動いてた子供は注射針の痛みが"イヤに秩序だっているコト"に感動すら覚えるもんだよ。日常にはナイ感覚だからネ。

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主題歌にはEtDMよりドラマの方が合う雰囲気が続いている。色々と制約はあるだろうが、思い切ってDistanceアルバムの非シングル曲を総動員してみてはどうだろう。サングラス,ハヤトチリ辺りにも活躍の場がありそうだ。EtDMがまだシックリ来ない原因は、今という瞬間を永遠に感じさせる絆がまだ1ッも成立していないから。コレが最初から"様々な困難に遭いながらもカノンとジュンヤの絆の強さで乗り越える展開"ならEtDMはノビノビと響けたろうな。今はその前段階なのだからドラマのあの陰のある曲調がイイ。まぁ、3大美女ソレゾレの個性を撮ってくれるだけで十分意義深いドラマではあるのですが。

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オリ☆スタ毎年恒例企画。ヒカルが10~40代総てから好支持を得て2年連続3度目の1位を獲得。海外にも AC/DCの様な"親子孫3世代に愛される"アーティストは幾らかいるが総じて"10代の頃にファンになった層が子や孫に聴かせてきた"的な、自分達より下の世代を開拓し続けた末の3世代支持な例が殆どなのに対し、ヒカルの、デビュー直後から自分より1ッ2ッ上の世代に愛されての3世代支持というのは恐らく世界的にも珍しい。しかも安全牌のマスコットとしてではなくアクの強い本格派のアーティストとして、だ。どうせなら後30年歌って『5世代に渡って愛されたアーティスト』になっちゃえばイイと思うよw

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前日に食人を扱う小説を引き合いに出したかと思えば次はぬいぐるみとの微笑ましい対話、冷静に考えれば何たる芸風の広さか。流れとしては生と死に対峙する日本文学のシリアスさから絵本的世界観へと“夢が醒める”順序で、コレはまんまハトステアルバムのテイク5~ぼくはくまの曲順と接続に相似である。幾ら三宅Pのアイディアといえ光がラストOKを出したから決定した曲順な訳で光の感性の反映と考えて差し支えナイだろう(メッセでバッチリ驚いてたけどなw)。ソレだけ信頼して任せれる仲間が居るか否かで光の負担感は激変する。UtaDAでもそんな仲間を見つける事ができたのだろうか。

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といえばピッコロだ。彼の父ピッコロ大魔王が実は(後の)神が内面から分離し世に放った自らの悪の部分だったというエピソードは、最初から神と悪魔が対立して在ったのではなく神が先に在りソコから悪魔が生まれる、という点で神の最側近である大天使長ルシフェルが神に反抗し悪魔王サタンに堕ちるキリスト教の逸話と同型だ。悪魔とは神の存在に抗い難く寄り添う影の様な存在なのだろうか。確かに、右手の影の形は左手となる。ならば鏡とは影に光を浴びせ姿を与える罪深い存在か。光の悪魔も彼女の神々しさの影なのか。ちな!みに、ルシフェルって"光を帯びたもの"の意なんだそうな。

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僕らファンが出来る事といえば"何もしない事"だ。慌てず騒がず。アーティストとは本来脆く自傷的なもの。彼等が特別なのは、つけた傷から立ち直る術を持っている点にある("きずつけさせてよ なおしてみせるよ")。 アーティスト達は時に薬物禍や病魔にまみれ、死と隣合って生きてゆく。フレディや尾崎豊のファンなら通ってきた道だろうが、ヒカルファンは免疫に薄い気がする。メイクや体型であんだけ騒ぐんだから。まぁ、光のDevilInsideが導く先は解らないし、光も"悪いやつじゃない"と言ってくれてるから杞憂は無用。ただ、各自『誰の云うことを一番信じるか』を確認しておけば十分だ。

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11月13日今週7稿目だったのになぁ(ヒント:素因数分解)。続き。では光が理性で閉じ込めてる心の底からの訴えとは一体何なのか。ちょー納得する位だから大いに心当たりがあるんだろう。発言一言々々に神経を摩耗させる影響力を持つ立場の光、自制すべき行動も多い。なのに今を『訴えを、聞いてあげないといけない時』というからにはその自制を実際に解くと考えるべきなのか。面白くなりそうな怖いモノを見る様な複合的な気分だが、もし光がパンドラの筐を開け己の欲望を解き放つのなら、ソレはクマチャンキグルミの次の段階になる気がするよ。時計の針が動き始めた、かな?

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一連のメッセを経て漸く"安心"のヒトコトを得られコチラも一安心-と云えるかやや不安な私。老婆心な補足を試みる。僕らは自らの感情の正体をサッパリ把握していない。ソレが何であるか"理解される"のは感情が表現によって昇華された時、つまりその感情を失った後の事なのだ。表現が強い持続性再現性を伴う時ソレを作品と呼ぶ。作品が現れる過程を調える役割を理性というが、しばしば理性は表現自体を拒む事がある。その時感情は必死に出口を探し主の行動の隙をつきにかかる。その叫びの連なりを人は無意識と呼ぶ。光の無意識の発現の場たるメッセはだから大切なのである。

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にしても絵ウマイな。今度は凝った絵で絵本を、とか自作小説の挿し絵も自筆で、とか又妄想先走るが正直云って昔から小説は心配なのだ。自殺の2字がどうしてもチラつく。作家は光の昔からの夢なだけに応援したい気持ちは満々。何より、単純に私が読みたい。あの作詞能力を鑑みるとコレは相当面白いものが期待できそう。が、そうなると今度は音楽家であるザネッチのサポートは得られなくなり光の孤独はより一層深まるだろう。ファンとして光の情熱の足を引っ張る野暮は避けたい一方ナリフリ構わずワガママを言いたくなる局面にもなりそうだ。難しい。いつの事になるやらだけどね。

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