無意識日記
宇多田光 word:i_
 



で。8/11「EIGHT-JAM」今回の看板案件。

『Time』の『どんな孤独にも』の歌い方の件よ。

完全に不覚を取った。無意識日記がそこを指摘しないでどうするよ。全然気が付いてなかったわ。一生後悔するヤツだこれ。


てことで以下延々言い訳。


いやね、「こどく・ぅ〜にも」と歌ってるのは気づいてたさそりゃ。しかしそれが「子音と母音の切り離し」だったとは! ヒカルがそんなつもりだったとは全く考えてなかったよ。確かにこれは発明だ。

が、多分視聴者には正確にその革新性が伝わってないだろうからおさらいがてら解説しよう。

伝わらない理由は簡単で、字幕がひらがなで

『く・ぅ〜』

だったからだ。これでは発明ぶりが正確に伝わらない。とはいえ、だからといってこの字幕を用意したスタッフを責めるのは酷なのだ。これは「日本語表記の限界」に起因するのだからね。

日本語には、「子音だけを単独で記述する方法がない」という致命的な弱点がある(「ん」はおいとく)。故に、子音を書く時は「ウの段」で代用する。「k/s/t/n/h/m/y/r/w」は「く/す/つ/ぬ/ふ/む/ゆ/る/う」だ(最後の「う」は子音扱い)。そして「子音に母音がつく」という時は母音を小さい字で書く。「ぁぃぅぇぉ」だね。だから例えばカ行(に弱いガール♪…は今回関係ない)、

「か・き・く・け・こ」

を子音と母音に分けると

「くぁ・くぃ・くぅ・くぇ・くぉ」

という表記になるのだ。つまり、ここがわかりにくいのだが、

「か」=「くぁ」
「き」=「くぃ」
「く」=「くぅ」
「け」=「くぇ」
「こ」=「くぉ」

だから

「く」=「くぅ」

なのよね。うん、違うもの同士をイコールにするのは大変居心地がよろしくない(書いてみて気がついたがこれ完全に対角線論法(Diagonal Slash)だね)。

従ってこれは、テレビに阿らずに素直にアルファベットで書くべきなのだ。するとすっきりするぞ。

『どんなこどくにも』

はアルファベットで書くと

“Do N Na Ko Do Ku Ni Mo"

だ。これを普通に区切ると

"Do N NA / Ko Do Ku / Ni Mo”

となるのだがヒカルはこれを

"Do N Na Ko Do K/u Ni Mo"

という位置(「/」の場所ね!)で切ったのだ! 一文節毎ではなく、一単語毎でもなく、ひらがな一文字毎ですらない。いわば一文字を0.5文字と0.5文字に分断したのである。

つまり、例えば『Automatic』の冒頭では、本来なら

「ななかいめの/べるで/じゅわきを」

と切るべきところを

「な/なかいめのべ/るでじゅわきを」

という風に、本来なら切るべきところで切らず、切らないところで切って革命的と言われ(つつもヒカルはきょとんとし)ていたのだが、『Time』ではそれをアルファベットにまで分解した上で更にもっとよくわからないところで切っちゃいましたという話だったのよ。ここまで踏まえて貰って、次回は私の言い訳本番へと進もうか。(…またオシシ仮面フラグ?)

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台北二公演が大成功裡に終わったと聞いて感涙。なのだが横浜までネタバレどうしようか組としては各記事にどこまでアクセスしたものやら加減がわからずあまり読んでない。公式もセットリストプレイリスト配布始めてフェイズ変えてきてる風だしちと少しずつ様子を見ますかね。

となると今回取り上げるのは…8月11日に放送された「EIGHT-JAM」の未公開シーンについて、になるかな。4月の同番組で既に2回に分けてリリースされたインタビューを更にまた大盤振る舞いで。元々70分のテイクだというから、もう殆どの問答がリリースされたんでないの? 凄いね。完全版を有料パックで販売してくれてもいいのよ?


さてそこでまず取り上げられていたのは毎度お馴染み(過ぎて最早辞書登録してやろうかと思わせる)『Automatic』の歌い出し『な・なかいめのべ・るでじゅわ』のお話。これまた毎度ここでも書いてる通り「何がそんなになのかわからない」旨ヒカルは訴えている。しかも「今でもわからない」そうな。一貫しとるな。本当の意味で理解していないのではなく、その価値観は共有しないという意味での「わからない」なのだがあの尺で伝わったかどうか??と感じられるので毎度ながらの補足をしておくと。

そもそも当時のヒカルは「日本語をメロディに乗せる時に元々の話し言葉におけるイントネーション&アクセントや単語の区切りを残すこと」にそこまでこだわっていなかった。重要度が低かったともいえる。それよりもまずメロディ、そしてリズムとグルーヴ、更には今回のインタビューでも触れてた通りメロディに乗せる歌詞の「音(母音や子音)」。これらを優先した結果、優先度の低い「イントネーション&アクセントや単語の区切り」が“疎か”になった結果が『な・なかいめのべ・るでじゅわ』だ。極々短絡的に書いてしまえば「中途半端な失敗作」なのである。もちろん、デビューシングルとデビューアルバムの冒頭を飾るフレーズなので本当に失敗作なわけではないのだけど、もし他の条件を満たしつつ更に「イントネーション&アクセントや単語の区切り」の条件も満たす歌が出来てればそっちを採用していただろう。

とはいえ、日本語の作詞としては『Automatic』は『Never Let Go』『time will tell』に続く3作目(以降)でしかなく、まだまだ未熟なのはヒカル自身がよくわかっていただろう。それをいいことに(?)歌構築の個人としての価値観や優先度の順列をほんの数秒でリスナーに知らしめてしまうという意味では抜群に効果的な歌い出しだったというのは間違いない。事実、ヒカルがきょとんとするくらいにこのフレーズは革命的だ斬新だと持て囃された。

ヒカル本人としては、寧ろ、以後の創作の中でこの優先度の低い条件をも満たして作り上げた数々のフックライン─例えば『Letters』の『いつも置き手紙』とか『BLUE』の『あんたに何がわかるんだい』とか─をこそ絶賛して欲しかったところだろうに、これらのキラーセンテンスは余りにも言葉のハマり方が自然過ぎて逆にその凄さが気づかれない。創り手としては稚拙な方が絶賛され緻密な方が看過されるというもどかしい時間を常々過ごしてきたのだろうなと毎度気の毒になるが多分そういうのはライブで歌が直に愛されている様を目撃する事で昇華されているだろうと、思いたい。

そんなヒカルのこだわりの話がまだまだ満載だった「EIGHT-JAM」3回目、次回も取り上げますかいね。(…取り上げないフラグにしか聞こえないですかそうですか)

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