無意識日記
宇多田光 word:i_
 



 

お昼に待望のU-NEXTの詳細が公開になった。最速のナタリー正午配信記事なので、解禁時刻は8/3 12:00なのかな。

 

 

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宇多田ヒカルが9月1日に神奈川・Kアリーナ横浜で行う全国ツアー「HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024」のファイナル公演の模様が、11月10日にU-NEXTで配信される。

 

「HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024」は宇多田にとって2018年以来、約6年ぶりとなるツアー。ライブ映像はU-NEXTの月額会員であれば、追加料金なく観ることができる。また11月17日23:59まで見逃し配信も行われる予定だ。

 

https://natalie.mu/music/news/585015

 

 

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抽選に外れた人にとっては重要な最速配信。が、11月10日からか。なんか微妙な日付だな。評価が難しいが、このタイミングとなると、今まで「8月11日までは発表の可能性がある」と言ってきたシアター・ビューイングへの望みが薄れた気がする。ちと眉間に皺が寄る。

 

普段のU-NEXTを知らないのでこれまた評価の仕方を知らないが、2ヶ月前に録画したライブコンサートの模様を1週間限定公開、なんですか? いやまぁ、おそらく同じくらいのインターバルで収録と配信が成されたと思われる『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』と比較すれば寧ろ1週間は長いくらいなのだけど、あの、これ、そのタイミングで土日出勤が入ったりした忙しい人は観れなくないっすか? 2時間半のコンサートなんて休日でないと観れなくない? そういう意味でいい?? これでU-NEXTへの登録の呼び水になる?? ……うーん、余計な心配と予習不足、すみません。

 

 

ライブコンサートに関する映像商品の行方は、特にライブに行きたくても行けなかった人には切実だ。オンラインライブの普及によって「今まで行きたくても行けなかったコンサートを家に居ながら生のタイミングで観れるのは嬉しい」といった声がたくさん届いた。なので、『SCIENCE FICTION TOUR 2024』ソフト化第一弾であるU-NEXTでの出方で、今後の宇多田ヒカルのライブコンサートの映像商品がどうなるかの行方を探ろうかと思ってたのだけど、ニュースが出たばかりな現時点では困惑するばかりですよ。

 

もちろん、昔からのファンはDVD/Bluray化してくれればというのはあるだろう。しかし、ヒカルの所属レーベルEPICの親会社SONYが先月「ソニー、録画用BDの生産を段階的に終了へ。」というニュースを出したところだ。

https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1604689.html

 

まだこれは録画用Blu-rayのニュースだが、そのうちセルBlu-rayにも同じ運命が待ち受けてるかもしれないという不安を掻き立てられた所。流石にまだ『SCIENCE FICTION TOUR 2024』のフィジカルはリリースされるとは思うが、次のツアーの頃になるとどうなっているやら想像もつかない。過去ライブコンサートの映像商品も、そろそろ円盤再発より常時(有料)配信のニーズの方が高まっている筈。見通しはよくない。

 

今は過渡期だと認識しとくしかないわな。U-NEXT以降(あれば、だけど)の配信データは逐一リアルタイムでそれ以降の映像商品の扱いの方向性を左右していくだろう。梶さんも先日受けてたインタビューで配信利用層の内実、内訳には随分注視してる旨匂わせていた。各々、自分にとって望ましい映像商品の扱い方には積極的に関わっておくよう、重ね重ね念を押していきたい。恐らく、今後勝負の2〜3年、自体は常に流動的だろうから、それが今後の趨勢を決めていくと思われる。自分の欲しいものはちゃんとアピールしていきましょうね、ってとこですわ。乱文乱筆多謝。



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SCIENCE FICTION というキーワードはどうしたって疑似科学や似非科学との接触を招き易い。本来SFというのは科学にそれなりに見識のある著者と読者がそれを踏まえた上で妄想を楽しむ“空想科学小説”であったが、裾野が拡がれば様々な層が入り乱れるのは大きくなったクラスタには起こりがちなことだ。

宇多田ヒカルが、その今や肥大し切った“SCIENCE FICTION"というキーワードに新しい解釈を投じるのは、事前にはまるで予想がつかないことであった。ヒカルはこの言葉を「事実と虚構」として再定義している。私の作詞はこれなのだと。前回触れた『何色でもない花』の歌詞に同義とか事実とか真実とかいった語句が出てくるのも、この立ち位置からの言葉だと思えばわかりやすい。

つまるところこれも、日本人でもアメリカ人でもあり日本人としてもアメリカ人としても疎外感を抱くアウトサイダーとしての立ち位置や、女でも男でもあり女としても男としてもしっくりこないノンバイナリーとしてのスタンスなどと同様に、両方の極の間の真ん中でバランスを取ろうということなのだろう。なので『SCIENCE FICTION』のオープニングは「こどもでもあり大人でもあり、こどもとしては大人過ぎて大人としてはこども過ぎる」刹那の時期を歌った『Addicted To You』でなければならなかった。なるほど宇多田節である。

国籍や人種、性別に加えて年齢もまた線引きや対立、そして断絶を示すファクターとしての機能を現実に持っている。世代間対立ってやつだね。それを「25周年」と銘打って、41歳のヒカルが16歳の時に書いた歌を歌う事で一気にその「どちらでもありどちらでもない」感覚を中心に持ってきた。Re-Recordingに選んで正解だった。

この点に関してはヒカルも確信を得られていなかったようで、インタビューでは選曲にもパフォーマンスにも不安を抱えていると述べていた…筈なんだがソースが見当たらないので私が夢の中で見ただけかもしれない。しかし、見事に奏功した。

そもそも、年齢による対立というのは他の断絶に比べ顕在化しづらい。人種や性別は何かがなければ転換できないが、老いと若きはシームレスに繋がっているからだ。ある時ふと人は老いたことに、もう若くないことに気がつくのだけどなかなか認めようとしない。

ヒカルは『Addicted To You』を通じて、自分の声が変わったのみならず、作詞時の心境の激変とも向き合った筈だ。ここで気づいた。もうこんな歌詞は書けない。こういう感情を持っていないからと。ついつい「戸惑いこそが人生だよ黄猿君……‼︎」とワンピースの名言を呟いてしまいそうになるが、ここはジェーン・スー氏が『SCIENCE FICTION」に向けて放った「簡単に懐かしませてくれないな」の一言で応じておきたい。ある意味、「過去25周年を振り返る」という後ろ向きな企画と相対してすら「今と向き合う」ヒカルの昔から変わらない姿勢は揺るぎなかった。ならば16歳の時に今を戸惑っていたなら、41歳の今もまた戸惑いの最中にあって不思議ではない。何に戸惑っているかは、変わったかもしれないけれど。それを2ヶ月かけて一緒に体感していけるのがSFツアーというわけだ。贅沢極まりないよね。

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