無意識日記
宇多田光 word:i_
 



でも実際、『何色でもない花』〜『Electricity』の歌詞を鑑みると、歌手としてうちら庶民に寄り添いながら如何にして更に普遍性を高めていくかという課題に現在進行形で取り組んでいるようにみえるのよね今のヒカルさん。ただ普遍性を追究するだけなら哲学者や科学者になればよいので(そう簡単になれるかよと言われそうだけどヒカルの頭脳と財力があれば現実的な話かなと)、そこは音楽家として、そしてポピュラー歌手として譲れないというか、ある程度簡単な言葉がわかれば通じる/感じれる所まで落とし込めるようにしているよつに見えるし、言葉がわからなくても音楽でフィーリングを繋げれるようにしているようにも見える。


ここで少しちっちゃい話を整理しておくか。

『SCIENCE FICTION』というタイトル、ヒカル自身はこんな風に語っているのは皆さんもご存知だろう。


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――アルバムタイトル「SCIENCE FICTION(サイエンス・フィクション)」にした理由は?

宇多田:(私の)歌詞はノンフィクションというわけでもないし、かといって架空の話でもない、でも、私にとってはリアルに自分が感じたことしか書けないじゃないですか。だから、あくまでリアルなんだけど、詞だから(「Automatic」の歌詞)“7回目のベルで電話を取ったか?”って言ったらそんなの数えていないし、あくまでも描写だから。

“何が事実で何が事実じゃないのか”というのとはまた違う話なんだけど……とにかく説明しにくくて、「じゃあ、サイエンス・フィクションってよくない?」って気づいて、私が大好きなジャンルの科学と文学も合わさっていて“いいな”って。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c6a380f570364799eb71c065765747a9e49298f8


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つまり、「宇多田ヒカルの書く歌詞の形容として」この『SCIENCE FICTION』という語を選んだと語っているわけだ。「宇多田ヒカルの書く歌詞」というのは、それは「25年ずっと」通じての話だから、25周年でリリースするベスト・アルバムのタイトルにするに相応しい理由づけにはなってるんだよ、と。

けど、これもっとシンプルな理由をつけられるんだと思うのよね。最近の曲、『Gold 〜また逢う日まで〜』『何色でもない花』『Electricity』の3曲って、どんどん歌詞にSF要素が増えてるんだから。『Gold〜』に関してはアンドロメダくらいしかSFちっく要素ないかもだけど。(タイアップ相手の「キングダム」はSFじゃないしな) 『何色でもない花』もヒカルの歌詞の解説あってのSFみというのはある。量子力学だシミュレーション仮説だっていうね。

『Electricity』についてはタイミング的にベスト・アルバムのタイトルが決まってから歌詞を書いた可能性が結構あるけど、でもまぁこの3曲を並べた時のSF風味の増え具合は結構ナチュラルなグラデーションだし、それがなくても『Electricity』の歌詞はこんな風になってた気がする。

何が言いたいかといえば、

「この2024年上半期というタイミングで、仮にベスト・アルバムではなくてこの3曲を含むオリジナル・アルバムをリリースしていたとしても、タイトルを『SCIENCE FICTION』にしてたよねヒカルさん?」

ってことよ。ヒカルさん、方々で「ベスト・アルバムを出す意味がわからなかった」って言ってるけど、出してもなおそれを(世間的な意味での)ベスト・アルバムのリリースにしてるつもりがない。この新曲3曲を中心にしたニュー・アルバムなんですよやっぱり。ヒカルの心理的には。この『SCIENCE FICTION』は。

なので、実現はしないと思うけど、次のオリジナル・アルバムが完成した時にヒカルさん、「『SCIENCE FICTION』ってタイトル残しときゃよかった!」って言いそうな気がするのよさ(笑)。ま、それなら『SCIENCE FICTION PART 2』っていう名前のオリジナル・アルバムを出して世界を混乱に陥れてもいいんだけどね⭐︎ …却下されるか…。

だから私、この『SCIENCE FICTION』というタイトルは、今まで通りに、いやさ今まで以上に、「宇多田ヒカル25年の総括を表すタイトル」“ではなく”、「2024年の宇多田ヒカルを表すタイトル」として意識しながら、引き続き取り上げていきたいと、思いますですよ、ハイ。

…ちっちゃな話ですが、整理しておきました⭐︎

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Twitterをちらっとみると、すごく楽しそうに充実して過ごしている人と、人といがみ合ってばかりの人が隣り合わせで流れてきて、観てる景色がこうも違うのかと感心するというか呆れるというか。Instagramを覗くとまぁそれなりに穏やかにみえてもなんだか沢山罠が張られているようでもあり。その隣のThreadsを覗くと期待されている程平和でもないかとなり。SNSも様々ですな。今の時代にBBSやmixiが存在したらどうなってたのやら…って過疎るだけか。5ちゃんねるはなんというか老人の棲家ですかねぇ。

と、ろくにネットサーフィンをしていない時期に限ってそんな語り口で話を始めたくなってるのも、こういう様々な人たちを相手にして25年間歌詞を書いてきたヒカルさん凄いなと改めて思ったからなのでありまして。

特にTwitterに顕著なのだけど、

「主語がデカいほどいがみ合う」

という傾向はあるなと。個々人でなく属性、それも属する人数が多ければ多いほど対立構造が強いなと感じさせられる。いちばんデカいのは「男」vs「女」で、なるほど人類を粗方二つに割るこの構図はいちばん属する人数も多いわよね。二項対立の最たるもの。あとは人種や国や職業やという風に少しずつスケールダウンしていくんだけれどもやはり「男って」「女って」という切り口で語り始めると悪口が多い。傾向の話だけどね。

平和な界隈をみると、属性でみてないよね。どこまでも個々人同士の話になる。「うちのパートナーが素敵」とか「うちの相方かわいい」とか、男と女の話というよりかは、特定の誰かを称えるというか。主語の(人数的な)サイズが小さい。相対的な傾向として。

(思い切り余談だけど、「主語」といいつつ「それ目的語やんけ」「それ述語やな」と言いたくなる場面も多い。何だったら今書いてる自分の文章もそこがあやふやだ。でも話が通じればいいかとここは見過ごしておくことにする。)

で。不思議なのは、ヒカルさんの歌詞って、そのどちらでもないのよね。特定の誰かについて歌ってるわけではなくて、むしろ出来るだけ多様なリスナーの誰もが…少なくとも、一人でも多くの人に共感してもらえるように歌詞を書いている。ベンジーにグレッチで殴って欲しい、みたいな特定の人物、特定の事物はなかなか歌わない。たとえば『BADモード』で『ウーバーイーツ』や『Netflix』といった固有名詞は出てくるが、じゃあこれは出前館やU-NEXTを敵に回してるかというとそうじゃない。寧ろ時代を通して「あるある」と思ってもらうための装置としてはたらいている。

つまり、結構「大きな主語」を使いがちなのだヒカルさん。最たるものが『初恋』の

『人間なら誰しも』

のフレーズだけど、これも、そういった言葉で何か強く主張するのではなく

『だけどもしもあなたに』

という段落を通じて、個々人の内面的体験に帰着させていく。つまりはこの振り幅だ。『人間』という、属する人が80億(ああもう81億超えてるのかな今は)にも上るでかい主語から『あなたと私』という属する人が2人のみの空間に着地する。だから「誰しも」が「自分のこと」を歌われているように感じられる。改めて、凄い。

ポピュラーソングというものは、より多くの人たちに響くように「みんな」を主語にとりがちだ。そちらは応援歌に帰着しがちだが、、或いは、シンガーソングライターとして私小説を綴るラブソングもあるのだけど、これを多くの人に響かせるには「憧れの理想的な恋愛」や「こうあるべきな失恋」に話が行きがち。宇多田ヒカルはそのどれらの道でもない、普遍性を追究しながら私とあなたの空間に辿り着く稀有なやり方でここまで来ている。

なので、ヒカルさんのスピリットは、様々なSNSの中でも比較的異様な空気感を作ってはいるのだけど、最近は発言自体が少ないからね、それはそれ、になってるねぇ。

だからといって宇多田ヒカルの作詞術が怯んでるわけでもなく、寧ろ更に話を前に進めようとしてる。だからこの80億を超えて『Electricity』みたいな“地球という枠”すら飛び越えていく歌詞も書き始めてる。でもまそういうのは、ツアーが無事終わってから考える事、かな? ライブで歌われてる所を観れるかどうかで話が変わるかも、しれないしね。楽しみにしてる。

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