無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今日で『SCIENCE FICTION TOUR 2024』初日まであと半月、明日であと2週間となる。そろそろセットリスト予想が盛んになってくる時期かな。今夜は、アルバム『SCIENCE FICTION』のアレンジ手法に基づいてライブのセットリストについて考えてみたい。

アルバム『SCIENCE FICTION』でのニューバージョン楽曲における共通した大きな特徴は、Re-Recording&REMIX共通で「エンディングの変更」だ。特に、オリジナルではフェイドアウトだったエンディングがカットアウトになっているのが目立つ。また、フェイドアウトでなくても器楽演奏で終止符だったのがヴォーカル/コーラスによるカットアウトに変わっているものもある。

フェイドアウトがカットアウトに変わったのは、『SAKURAドロップス』『Can You Keep A Secret?』『traveling』『Automatic』といった楽曲たちだ。「リミックスとか言われても、音質が変わったとかよくわかんない」って人もこの変化には気づけて嬉しくなったのではないか。私も「あ、変わってるとこあった」と安心したクチでした。

また、インストで終わってたエンディングがヴォーカルによるカットアウトになったのは『Addicted To You』や『光』といった楽曲たち。これまた鮮烈さが堪らないわよね。

そもそも、フェイドアウトの何がまずいって、ライブでそのまま演奏できないことだ…ってこれこの日記に書くの何回目か最早わかんないけど、スタジオ・バージョンでフェイドアウトした楽曲をライブで演奏するには新しくリアレンジしないといけないわけで…

…それを、既にアルバムで実践しているとしたら…?と考えるのだ。つまり、

「今回フェイドアウトでなくなった楽曲たちは、ツアーの為にそうなった可能性が高い」

のではないだろうか? 即ち、あっさり言ってしまえば

『SAKURAドロップス』
『Can You Keep A Secret?』
『traveling』
『Automatic』
以上4曲はライブで歌うことが確定なのでは!?

ということである。いや待て特にうしろの2曲は絶対やるやつじゃねーかと言われたらその通りなんだけど(笑)、でも鉄板がダイヤモンドになると思えば…って宇多田ヒカルの歌詞世界ではダイヤモンドって扱いがそんなでもないんでしたね!(FoLしかりGoldしかり)

こほん。一方で、フェイドアウトがそのままの楽曲も幾つかある。『Prisoner Of Love』『Goodbye Happiness』『Letters』といった面々だね。とはいえ、これらは既にステージ上でカットアウトバージョンを聞かせてくれてるからな…いやそれを言ったらSAKURAもキャンシーもそうなんだけどね! ただ、今回のツアーの為に新しくアレンジはしてないのかもしれない。宇多田ヒカルのツアーは初見参のお客さんが多いのでそれはそれでアリだろう。ただ、ライブで必ずやるという保証はちょっと少なくなったかもしれないね、新しくカットアウトになったヤツらに比べると。


そして、また無駄な期待をしてしまうのだけど、今回ことごとく新しい曲のエンディングがヴォーカル&コーラスでどん!になったので(前回のツアーのキスクラで味を占めた説…すんごい怒号みたいな反応だったからねぇエンディング後のオーディエンス…)、今度こそ生身のコーラス隊が加わるのでは!? …ないかなぁ…これ俺死ぬまで言い続けるんじゃないの…爽健美茶もっと飲んどきゃよかった…いや、今は綾鷹ばっかり飲んでるよ!と念押しして今夜の日記はこの辺でカットアウト!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




遅く来た梅雨の激しい雨を朝から浴びながら、ヒカルの歌の中の「雨」について色々と思いを馳せる。(傘は差してるよ)

そもそもデビュー曲の『time will tell』からして『雨だって雲の上へ飛び出せばAlways blue sky』だったし、復帰後第一弾の片割れなんてタイトルからして『真夏の通り雨』だ。そして、最高傑作の一つ『気分じゃないの(Not In The Mood)』もまた雨の歌である。事欠かない。宇多田ヒカルと雨は切っても切れない関係にある。

しかし、『SCIENCE FICTION』にはそれらの歌、『time will tell』や『真夏の通り雨』、『気分じゃないの(Not In The Mood)』、それに『HEART STATION』や『虹色バス』のような雨の場面もある歌はことごとく収録されていない。前も触れた通り、どちらかというと重めの歌は避けられてる作風だからかな。

そんな中『SAKURAドロップス(2024 Mix)』の存在感が光る。『降り出した夏の雨』の運んでくる淡い抒情性。桜の散った初夏を歌った歌詞なだけにここでの雨はそこまで豪雨でもなさそう。一筋の涙に伴う少しばかり静かな雨を連想させる。そして発売当時のあの頃の感覚が、ドルビーアトモス寄りの立体感を際立たせた音像によって新たに生まれ変わってこちらに迫ってくる。

ただ、この歌は2002年のヒット曲なのよね。22年前。日本の気候が今とは違う。局地的集中豪雨について「ゲリラ豪雨」と形容されるのが広まったのは2008年頃かららしく、それまではどちゃっと降る雨は今より少なかった。確かに、昔の日本には初夏や梅雨の始めのあの静かでしっとりとした雨の景色がそこにあったのだ。

今は降るとなったらゲリラ豪雨に線状降水帯と亜熱帯のような激しさだ。奇しくも、と言っていいのかはわからないが『真夏の通り雨』のもつ雨の激しさはここ20年の日本の気候の変化に巧まずして即しているように思える。ロンドン居住期に作詞してる筈なんだけどね。

なので、『SAKURAドロップス』の静かな抒情性は、発売当時のまま今の若い世代に伝わっているのかなとちょっと余計な心配もしたくなっているのだが、ミックスの変化がブライトな方向だったのでリスナーの心の中の雨が少し激しくなるくらいの方がサウンドの描く景色には合っているかもしれないなと思い直した。同じメロディ、同じ歌詞でも、現実世界の変化と新しい技術による音作りのブラッシュアップで、その意味するところや意図するところが遷移することもアリなのかもしれないなと思うのでした。にしてもよく降るな今朝の雨は。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )