無意識日記
宇多田光 word:i_
 



さて約20年前の『Message from Hikki』を見てみよう。



『"Simple And Clean"、、、直訳してしまえば「簡単、キレイ!」とまぁふき掃除の製品のキャッチコピーみたいじゃあありませんか!(笑)ま、そんなこともちょっと狙いつつ、「素朴で清潔」という意味でタイトルにしました。毎日バタバタ働いてなにかと忙しかったり、面倒なことが沢山からんできたり、色々我慢したり、急に暇になったりしても、なんか幸せって段々ボンヤリしたイメージになってきて感じにくくなってくるじゃない?私の幸せって何?って現実的に本腰入れて考えてみたのさ。そしたら、「自分をすごくシンプルな存在に感じられること」じゃないか、と思ったのです。シンプルで清潔な自分に帰らせてくれるもの、人。それが私の幸せだ!とな!だからテ−マはやっぱり「光」と同じなのです。』

https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_86.html



ここでヒカルが何を言ってるかといえば、

「『光』と『Simple And Clean』は、タイトルも歌詞も違うけど、テーマは同じだよ!」

という話。確かに、この2曲、お互いに単なる訳文ではないのよね。『光』では

『家族にも紹介するよ
 きっとうまくいくよ』

と歌っている一方で『Simple And Clean』では

『Don't get me wrong I love you
 But does that mean I have to meet your father ?』

訳すと

『誤解しないで、君のことは愛しているよ
 でもだからって僕が君のお父さんに会わなきゃいけないのかな?』

と歌っている。確かに描かれているシチュエーション、場面は同じでも、お互い正反対の内容を正反対の立場から言っているのだ。あれだな、女の子はさぁもう結婚だ、ってなってるのに男の子はいやちょっと待って焦らないでと言ってるとか、そんな感じ。男女は逆でも構わない。何かあれだね、『光』&『Simple And Clean』の2曲のコンビは、男女の気持ちのすれ違いを描いたという意味で『俺の彼女』に近いのかもね。昔は2曲分使ってたのを1曲にまとめた『俺の彼女』凄いな…って、まぁこちらは、神視点からみると表面上合わない2人が実は心根が同じだというとこがポイントなのでそこは『光』&『Simple And Clean』とは違いそうなんだが。

で、だ。

果たして『キレイな人(Find Love)』&『Find Love』のコンビで、『光』&『Simple And Clean』のコンビのように「テーマはやっぱり同じ」なんだと、歌詞に接する事で言い切れるだろうか?というのが、今の私の興味の一つなのですよ。だってこの2曲の歌詞って、共通する英語歌詞の部分を除いては、かなり似ても似つかないからねぇ。

かといって、全く別な内容な訳でもなく。落合氏とのインタビューでも言っていたように、歌詞の面でのアルバムのコンセプトは「セルフケア&セルフラブ」であって、この点に関しては確かにお互い相通じる点もあるのよさ。次回からはそこら辺の所をより詳細に見ていこうかなと。

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『キレイな人(Find Love)』という英日並列型タイトル表記、前回述べた"アルバム収録の都合上"という外形的な理由もあるだろうことを踏まえた上で、では楽曲・歌詞という内容的観点からみた場合どうなのか。

これも既述の通り同曲は『time will tell』や『Face My Fears』同様、日本語英語どちらのバージョンでも英語のリフレインをそのまま採用している為、タイトルも『Find Love -Japanese Version-』でよかった筈なのだ。

だが寧ろ、『キレイな人(Find Love)』に於いては、「英語のリフレインをそのまま使いたかった」という積極的な理由というよりは、「英語のリフレインを残さざるを得なかった」つまり「適当な日本語歌詞が見当たらなかった」という消極的な理由で

『I'm just tryna find love』
『Find love 'til I find Love 'til I find love』

といった英語歌詞がそのまま使われたのではないだろうか。仮に適当な日本語が存在していたら日本語歌詞にしていたかもしれず、そういう思惑がある為『キレイな人』という英語タイトルとは直接は結び付かない日本語タイトルがつけられているのではないかと。


私がそう推測するのは『桜流し』という曲の存在に依る。この曲のこのタイトルは如何にも典雅な和風な響きと見た目であり、それこそシングル盤は歌詞カードが縦書きになりそうな雰囲気すら漂わせるが(実際にはCDシングル盤はリリースされていない)、歌詞の中には一節だけ英語のフレーズが出てくる。

『Everybody finds love in the end』

がそれである。まぁこのフレーズの歌い分けが絶品なこと…って話を始めると長くなるから置くとして、この和風なタイトルで敢えてこの英語詞を歌ったのは、そう、ここでも『キレイな人』と同じく使われている"find(s) love"という文章を日本語にするのが難しいからなのではないかなと。

確かに、これを「愛を見つける」とか「愛を見つける」とかに訳すと、間違ってはいないんだが少し違う気がしてくるのよね。英単語の"find"には、「見つける、見いだす、捜し出す」の他に「分かる、知る、気がつく」とか「到達する」といった意味がある。ここら辺のニュアンスを含ませて、ずっとそこにあったんだけどやっとその存在とその大切さに気付いた、とか、紆余曲折を経て漸くここに辿り着いた、みたいなことも言いたいときに"find"を使うんじゃないかなぁ。"in the end"はそういったニュアンスをより強調する副詞節となっていそうだし。

こういった背景を考慮に入れると、『キレイな人(Find Love)』で

『I'm just tryna find love』
『Find love 'til I find Love 'til I find love』

といった英文フレーズがそのまま使われてるのも、ここを日本語にする訳にはいかなかったからではないかと思い至る。『Face My Fears』のように"リフレインの響き"として英語フレーズを重用した、というよりは、英語のままの意味で受け取って欲しいというのがあったのではなかろうかヒカルとしては。

その為、リフレインが『Find love...』だからといって『Find Love -Japanese Version-』というタイトルをつけてしまうのはヒカルの中では違ったんじゃないかな、とそう思うのでありました私は。実際の所はどうなんだろうねぇ?

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