無意識日記
宇多田光 word:i_
 



さて、前々回からの続き。『Find Love』と『キレイな人(Find Love)』の歌詞を比較していこう。

前提として、この2曲は尺が全く同じ(うちのipodクン(販売終了なんだってねぇ)ではどちらも4:37)、つまり全く同じ楽曲構成であるというのは踏まえておきたい。なので、基本的には、どちらにも同じメロディーが同じパートにあって、故に日本語の歌詞のある所にはほぼ必ず対応する英語の歌詞が存在する。(※ 例外は、前に取り上げた『キレイな人(Find Love)』の『する必要ない』なんかだわね)

これを利用して、同じパートにあるそれぞれの歌詞を比較していく事が出来る訳だ。


では、意表を突いて!?いちばん後ろから較べていってみよう。そう、どちらの曲も、最後のパートは同じなんだよね。

『But I don't wanna be alone
 Every day of my life

 Gonna find out if the hard work was worth it
 I know it's somewhere in me
 I'm just tryna find love』

この英語の5行でどちらも歌が締め括られる。出だしは対照的な始まり方をする2曲なのだが、辿り着く結論は同じってことだね。ここの英語を私なりに訳すとこんな感じ。

「でも一人にはなりたくない
 私の人生のどの一日も

 頑張る価値があるか見極めたい
 私の中にきっとあるはずだから
 ひたすら愛を探しています」

ここの"alone"の訳には気をつけたい。ヒカルの歌詞の主要なテーマのひとつである「孤独」を英語にする時に"alone"とするか"lonely"とするかでニュアンスが変わってくる。これに関しては『道』についてのパイセンの発言が参考になるだろう。


『Lonelyは孤独な、寂しい。Aloneは一人きり、だぜ。
おおまかに言うと『真夏の通り雨』では「一人じゃないけど孤独」、『道』では「孤独だけど一人じゃない」っていう歌詞なんだな。ファンに言われて目から鱗だったぜ。』

https://sp.universal-music.co.jp/utadahikaru/paisen/


あたしもヒカルの目の鱗落としてみたい。羨ましい。それはさておくとして。

つまり、aloneは「一人でいる」状態そのものを指し、lonelyは「孤独で寂しい」という感情の話なのだ。ここでは(『Find Love』&『キレイな人(Find Love)』では)、しかし、歌詞の中では必ず

『I don't wanna be alone』

というセットのフレーズで出てくる。『don't wanna be』、「そうなりたくない」という忌避感、感情の話なので、実を言うとここを「孤独になるのはイヤだ」と訳しても構わなかったりするのよさ。でもそうすると話がますますややこしくなるのでひとまず「一人になりたくない」というフラットめな解釈をしておくのが無難でしょうて。



…って、このペースで行くと何回かかるかわからんがな…まぁ流れに任せるか…。

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前回の続きは書くのに時間がかかりそうなので、小ネタを1つ2つ挟んでいきますかね。

先日こんなコメントをうただいた。


by 通りすがり 2022年5月19日
最近Simple and cleanの『baby』はお母様を指しているような気がしています
その部分の歌詞も、「誤解しないで、ヒカルのことは愛してるけど、だからってテルザネと一緒にいなきゃいけないの?」って感じなのかなと…
サビで去っていくところもlettersのようだなと…
光が『私』『僕』と男女の関係だったため、simple~も男女の歌だと思い込んでましたが、相手がお母様でもしっくりきます

https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/cmt/3aab5516b808afd69feb48e9eb900e46


その発想はなかったわ! なかなか面白い着眼点。20年前の歌でも、こうやって新鮮な解釈に出会えるのは楽しいわねぇ。

この「baby=お母さん」説は、『Simple And Clean』の他のパートとの整合性が鶏肉炒め、いや違うよ(笑)、取りにくい為、「完成した歌詞」においてそれをそのまま当て嵌めるのは難しいかもしれないが、創作途上での「この部分の歌詞が出来た切っ掛け」としては、おおいに有り得る。そもそも、ヒカル自身が初期の歌詞を「両親との関係性が大きく関わっている」と認めているのだしし、仮に歌詞が実体験に基づいているとすれば、この

『Don't get me wrong I love you
 But does that mean I have to meet your father ?』

の一節を、当時の婚約相手である紀里谷和明氏が言ったかというと、ないよねぇ?というのがずっと気掛かりだったので、お母さんの発言がアイデアの元だとすればかなり合点がいく。ほんと、まじでこれちゃうか…。

ヒカルは、そういった実体験や虚構から得た様々な素材を一旦解体して再構築することで歌詞を作り上げていく。タイアップ相手がいる場合も、その素材の中に脚本や原作の要素を取り入れて、他の素材と違和感なく馴染ませて統一された味付けにしていくのが腕の見せ所なので、当然それが物凄く巧みだ。故にキングダムハーツの主題歌たちも、ゲームの世界観にフィットしつつ、普通にラジオから流れてくるポップソングとしても通用する仕様になっている。決して、閉じたままにはならないのよね。

それにしても、自分の結婚周りの歌の歌詞に親の結婚観を入れてきていたとしたら、色々と考えることが増えそうだな今後。いやはや、もっと頭を柔軟にして昔の曲も今の曲も見て聴いていきたくなりましたわ。ナイスコメントでした通りすがりの人ぉ。

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