無意識日記
宇多田光 word:i_
 



“ノンバイナリ”の3つのテーマ、性別・言語・人種は時に密接に時に緩やかに相互いに繋がっている。男と女、日本語と英語、白人と黄色人種、いずれも境目無く繋がっているのだから、更にそれらが境目無く繋がっていってもおかしくなかろう。両端のみならず、異属性も繋げて考えてしまうのは確かに話のレベルが違うかもしれないが。

ヒカルの家族について顧みてみる。

クマ・チャンは性的指向が男性で性自認は不明だがひとまず一人称(“ぼく”)からは男性かと思われる。性自認が女性の僕っ娘という可能性もあるから断言は出来ないが。普段は日本語を喋るが恐らくフランス語もいけるだろう。『ぼくはくま』でヒカルが歌っているパートはクマ・チャンの身代わりだと思われるからだ。英文メッセでクマ・チャンのセリフが出て来た覚えはないが、サインボールで英米欧を縦横無尽に駆け巡っていたから英語が話せるかもしれない。そして、中国出身でもある。血筋はわからない。

息子のダヌパ(そういやこの呼び方ヒカル公認なんだっけか)は父親がイタリア人、母親が日本人で、まぁ今どきこんな事わざわざ言うこともない気がするが、白人と黄色人種の血を引いている。家庭では主に日本語を話しているようだが学校では英語だろうかな。性的指向や性自認については情報が無い。まぁそこはプライバシーなので探る気もない。

そしてヒカル本人は日本語と英語を駆使し、性自認はノンバイナリだ。性的指向に関してはツイートで「どうして私が“ストレート"だと思ったの?」と煙に巻いた事があるので「不明」だろう。男性と二度結婚しているので性的指向に男性は含まれるだろうが、間に女性とお付き合いしていたり同棲していたりした可能性を排除するものではない。勿論そんな情報はないので「そういう可能性があります」と言うつもりもないけれど。ノンバイナリはノンバイナリ同士が惹かれ合う、みたいなことはあるのかな(スタンドか?)。ヒカルは人種としては黄色人種で、出身はニューヨークだ。日本ではインターナショナルスクールで80もの国と地域の人たちと交流していたので人種的アイデンティティは「無い」といよりどちらかというと「不要」に近かったのかもしれない。それがロンドンで暮らすようになってどうなったのかとか、今年のアジアンレジェンドとしての扱われ方でどう感じているか?というのが私の目下の興味の1つという訳である。

この家族構成がまず出発点になるだろう。勿論我々に告げてないだけで他に同居していたりする人も在るかもわからないが、我々に伝えてくれてるメンバーで解釈するのが礼儀だと勝手に思っているので、ひとまずこれがベースなのですよっと。

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ひとつ、前提条件として確認しておきたく。

昔はオフィシャルサイトに『Mail To Hikki』というコーナーがあり、オフィシャル側から積極的にファンメールを送るよう促していた。それは東芝EMI時代の話だが、UTADAになってからも、結局試験運用に留まったが、BBS形式でUTADAへのメッセージを募るなど、こちらも積極的にファンからの声をヒカルに届ける策を講じていた。

現在はそういったシステムがない。郵便によるファンレターは送れるが、これを利用する人はそうそう居ないのではないかな。宛先も調べれば出てくるが、最近ファンになったなんていう人は存在自体認識していないだろう。

これはつまり、復帰後のヒカルがファンやリスナーからのリアクションを知ろうとした時に手にできるのは、TwitterとかInstagramとかの、あんまり我々と変わらない情報だけだということだ。時折ヒカルがエゴサーチしているのを驚く人が居るけれど、昔はMail To Hikkiで曲やライブの感想を知れていたのに今はそのチャンネルが無いのだから、そうやって補完するのは必定だったりする。

勿論、全盛時は一日700通というアタマのおかしい数に総て目を通していた(時間的に無理と言われるかもしれないが速読術が(独学でも)あれば可能だろう)ヒカルなので、僅かな情報から全体を推定する能力は我々より遥かに高いだろうから同じ条件と言ってもそれは違うのだけれど、少なくとも最初の12年と今では現状認識の仕方に違いはあるとは言えるのだ。


それを踏まえると、ヒカルが今回「アジア系のファンからこんなに応援して貰えてるとは思っていなかった」というのも、リップサービスではなく、また単なる詠嘆でもなく、率直な感想だったのだろうと思われる。なので、これを契機にアジア系のファン層や地域に対してアプローチを変えてくるというのはなくはないんじゃないかなと。

特に大きいのは、共演者達からの反応だ。Instagram等に次々と「コーチェラで宇多田ヒカルと一緒に写真撮ったよ!」報告が今をときめくアーティストの皆さんから上がっているようだけれど、同業者からのリスペクトを直接肌で感じたというのは、今後の創作活動に何らかの影響があるかもわからない。

例えば、アジア3ヶ国から参加した『Too Proud』のL1 REMIXなどは、あれが単発で終わった感じからしてヒカルではなく周りから提案されたアイデアだった印象が私にはあるのだが、こういうのが継続していく可能性が出てくる。『Laughter in the Dark Tour 2018』の時に「あるんじゃないか?」と訝ったアジアツアーなんかもまた現実味を帯びてくる。共演の幅が、今回グッと拡がったからね。

とか思うんだけど、そういうのも結局国際情勢次第なのよね。コロナ禍の余波余韻もそうだけど、まず香港台湾が無事平和で居て貰わないとな。何しろ2022年はこちらが勝手に思っていた「いつか現地で『Kremlin Dusk』を歌う」という夢?が儚く消え去った年だから。いや、消えてもまた復活するのが歴史というものだけど、終始平和ならそんな心配する必要はないのでね。人種とか地域とかがテーマになってくると必然的にそういう話になってくるので、そうね、そういうニュースに日々接していこうと思っても、そこは気が重いわねぇ。なんとかならんもんかなぁ。

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