ヒカルが今回『BADモード』アルバムで日本語と英語の垣根を取り払ってきたのは、今まで敢えて作ってきた垣根を取り払ったというか、そもそも制作開始時点で元から垣根を作らなかったという印象だ。何か実験的にやってみよう、というより、ごくごくフツーに肩の力抜いて作詞したらこうなった、という。インタビューで「両方の言語の歌詞を書くのは大変じゃなかった」という主旨の発言をしたのも、その肩の力の抜き具合故だろう。
顕著なのが、皆さん御存知『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』で、この曲は9割方英語歌詞なのに後半唐突に
『ぼくはロンドン、君はパリ
この夏合流したいね
行きやすいとこがいいね
マルセイユ辺り
Somewhere Near Marseilles』
というパートが出て来て挙げ句に
『オーシャンビューの部屋一つ
オーシャンビュー 予約
オーシャンビューの部屋一つ
予約 予約』
という日本語の歌詞に出て来たとしてもぶっ飛んでるヤツまで現れる。
前者はその前に出てくる
『I'm in London, you're in Paris
Shall we try to plan a randezvous vacay?
We can pick a spot with easy access
Maybe Somewhere Near Marseilles
Somewhere Near Marseilles』
のほぼ直訳だったりするのだが、これは例えば2004年の『EXODUS』に収録された『Easy Breezy』で、1番の
『Hello goodbye, you left a note saying
"'Twas nice stopping bye"』
に対して2番で
『Konnichwa, Sayonara
'Twas nice of youto stop by』
と返すのとは根本的に発想が異なっている点については留意すべきだろう。
『Easy Breezy』ではあくまで英語に対しての日本語、アメリカ人に対しての日本人、白人種に対する黄人種、という“対比”を明確にする目的があったのに対して『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』では、ロンドンとパリのそれぞれに居る日本語話者と英語話者が、マルセイユ辺りでランデブーする、つまり、一緒になる、交じり合う事をテーマとしているのだ。なんというメタぶりだろうかねこれ。
なので、いわばヒカルが今回日本語と英語をミックスした歌詞を遠慮なく書いてきた事で、そのまま日本語と英語の垣根を取り払うのみならず、18年前は強調していた人種や国の違いといったものの見方すらも取り払う事に繋がっているのである。
幾度となく書いてきてるように、性別言語人種を二項対立で見ない“ノンバイナリ”な見方は、斯様に、それぞれの項目同士も混じり交じり合っていく。それぞれ単独で考えるよりは、こうやって混ぜて考えていった方が、より今のヒカルを理解し易いだろうと私は思うのでありましたとさ。
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