無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Forevermore』のミュージック・ビデオでヒカルがコンテンポラリー・ダンスを披露したのは新鮮だった。ああいうことまたやるのかな。

例えば安室奈美恵とかみたいなのとは違って、“ダンスで魅せる”とかそういう路線じゃあない。あたしゃ未だにコンテンポラリー・ダンスというものが何なのかよくわかってはいないのだけど、こと『Forevermore』に関して言えば、メイキング・ビデオを見てもらえばわかる通り(……と言った時に観れない人が居るからホントDVDに纏めといて欲しいよ……え?若い人には再生機器がない?……確かに……)、振り付けひとつひとつが歌詞と対応しており、踊りが「メッセージを伝えるもの」として機能していた事がよくわかる。いや、どれも解説無しで踊りを目で見ただけではなかなかわからんのだが、後から「そういう意味だったんだ〜」と感心できるようには作られている、といったところだろうか。

故にこのダンスは肉感的なパフォーマンスではなかった。端的に言えばそれは「言葉」だったのだ。伝えたいイメージを身振り手振りで表現する為のダンス。動きのキレや洗練度等を重視する必要がなかった訳である。美しい詩は汚い字で書かれていても、読むことが出来て意味が通じさえすればその美しさは伝わるのだ。いや勿論、字が綺麗な事に越したことはないんだけどね。

今後も同様のアプローチを取る事があるのであれば、必ずしもヒカルがダンスの技能を上達させる必要は無い。あたしなんかはそんな暇があるならギターの練習をしてコンサートで弾き語りして貰った方が嬉しいし。あれ、もしかしてギターの弾き語りって『Exodus '04』や『Be My Last』以来やってないんだっけどうだっけ??


……と、いう風に、踊りに関してはずっと思ってたんだけど。でも『Find Love』の曲調って、それこそ安室ちゃんみたいな派手なダンスが映えないっすか? 必ずしもミュージック・ビデオでヒカル自身が踊る必要は無いけれど、ひっさびさにダンサー沢山連れてきてパフォーマンスさせるのも合うんじゃないかなと。いや、フルコーラス聴いてみないと何ともいえないんだけどね。オーソドックスな四つ打ちだと思ってたら後半突如シューゲイザーに転調したりするかもしれない。(しません)

まぁ、日本のエンタメ界、いちばん極端なジャニーズ事務所さんなんか「歌の練習はいいから踊りの練習をしなさい」とまで言われるらしく、見事にその成果が出ていたりする訳で、そんな業界の現状で宇多田ヒカルに対して期待されるのは「歌一本で魅了して欲しい」という一点に集約すると思いはするのだけれど、曲によってはそういう違ったアプローチがあってもいいのかなとふと思ったのでありましたとさ。…………「フキコさんまた呼んで欲しいだけでしょ?」と言われたらいやまさにその通りなんですけどね! 次のツアーでもヒカルと二人で百合々々しておくれ!(欲望ダダ漏れでございました)

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アイアン・メイデンのニューアルバム「センジュツ」(日本語の“戦術”のこと)が、全米ビルボードのアルバムチャートで初登場3位を記録した。前作前々作の4位を上回ってまたもキャリアハイを更新。デビュー41年目の出来事だ。

アーティストの市場でのピークはいつになるのか。これは、音源市場と興行市場で事情が異なる。コンサートというのは何十年もかけてファンを耕す為動員のピークはデビューから20年30年経ってからというケースも結構ある。一方で音源市場では新鮮さが重視されデビュー間もない、或いは初めてのブレイクの時に注目され、どんなビッグアーティストであってもニューアルバムというのは次第に注目されなくなっていく。コンサートでは「初期の名曲」というのが何十年もかけて伝説化していき人が人を呼ぶので、その辺りは相補的な関係とも言える。アイアン・メイデンの場合、興行市場でもフェスのトリだらけで今がピーク、加えて音源市場の方でのキャリアのピークもデビュー41年経った今だというのだから特異としかいいようがない。アルバムジャケットはいつも怪異だけどね。

こういう、「キャリアのピーク」というのは業界によって全然違う。スポーツなんかでは20代中盤あたりがピークという感じがするがこれも競技ごとに異なる。体操や水泳は10代の方が有利だったりするし、ゴルフなんかは経験がものをいったりしてかなりの壮年でも活躍が可能だ。しかしやはり遺伝子に束縛される肉体的な老化を考えるとピークは若いうちだと言える。

昨日は将棋の藤井聡太二冠が新たに叡王を奪取し三冠となった。新聞記事は「史上最年少三冠」の見出しを打ったが当の本人は「最年少記録は重視していない。今後が大事。」という主旨の発言をして意に介さなかった。将棋の世界もスポーツに近い所があるけれども、最年少記録というのはあクマで「これから凄い事をする時間が他の人より多い」というのが本当の価値であって、歳が若いからどうというのは成し遂げた事に対してそこまで意味は無い。副次的な価値に過ぎない。彼の言う事はもっともだ。

宇多田ヒカルも少し似た所があって、「『First Love』をリリースした時16歳!?」という驚かれ方を未だに見掛ける。確かに最初の印象はそうなるわな。でも、本当に凄いのはそこからずっと質の高い歌を送り届けてくれている点なのだ。「47歳くらいかと思ったらまだ38歳だった」みたいなコメントも見掛けた。この「時間の余裕」こそが10代の頃から才能を発揮する事の意義であり、『First Love』の素晴らしさ自体は作詞作曲者の年齢に依存しない。その世代特有の感性云々てのもあるけどね。

そこに気づいていって貰えるかどうか、だ。今年は『One Last Kiss』が大ヒットしてくれたお陰でまだまだ新曲が注目されていく下地があるんだと示してくれた。アイアン・メイデンみたいに、デビューから40年経ってから音源市場でキャリアハイの数字を残せるかどうかはまだまだわからないけれど、そうなったとしても何ら不思議ではない活動をその時してくれていればなと思う。何しろその時まだヒカルの場合56歳だからね。昭和であっても定年前っすよ。現役でやってて貰って何ら問題は無い。そこまで至ってやっと若いうちにデビューしたという事実が効いてくる。他の20代でデビューしたミュージシャンたちとは異なり、肉体的な衰えが来る前に40周年50執念を迎えれるのだ。経験に裏打ちされた音楽性とまだ瑞々しい歌声を同居させられる権利を、若くしてデビューした宇多田ヒカルは持ち合わせているのである。それこそが数々の最年少記録と繋がる本当の価値だろう。


確かに、「CDを七百万枚以上売った」という記録とすぐに比較できるような数字の出方はもう無いかなとは思うが、早くにデビューして貴重な青春のプライベートをマスメディアと我々大衆にギタギタに侵された代償という訳ではないのだけれど、だからこそ到れる境地というものがあったりするということだ。そこに到達出来たとしたら、その時万感の思いを込めて早いうちにデビューしてよかったなと言えるようになるかもしれない。今でももう言えてるけどね。ミュージシャンの市場的なピークはデビューから40年以上経ってから訪れる事もある。既に何かを成し遂げたと思い込んでしまうのは、まだまだ早過ぎるのかもしれないよ。

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