無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『宇多田ヒカル・エキジビション2021』は今週土曜日から来年1月末までのべ4ヶ月に渡る全国行脚となる。昨日触れた通り、この間ヒカルから新情報が全く出ないことは有り得ず、寧ろ各地で開催される度に新しい情報が加わっていくくらいかもしれない。

なので、来年1月に銀座に来る頃には、我々の気分や知識が今現在と全く異なっているだろう。それを見越してスケジューリングしているとすれば、今回のプロモーションはかなり攻めてきているとみるべきだ。

軸はまず『PINK BLOOD』だが、そこに『One Last Kiss』と『Find Love』も加わるとなれば、これはもうシンプルに次のアルバムのプロモーション態勢に入りつつあるということ。そのグラデーションが、その重点の置き方が、名古屋〜札幌〜福岡〜大阪と経るうちにどう変わるか。

「最愛」主題歌に関しては、今までのテレビドラマとのタイアップを振り返ると「ドラマの放映期間内に必ずフルコーラスが聴けていた」事を踏まえれば(まぁそりゃ大体当たり前なんだけどね)、エキジビション期間内にフルが聴けるようになっている可能性が出てくる。「最愛」が全何話なのかは知らないが、サスペンスということだからオチから逆算して構成してる筈で、普通に考えればワンクールな気がする。ならば年内にヒカルの歌う最愛主題歌をフルコーラスで聴けるようになっていると予想したくなる。

となると、11月20日〜28日に展示会が開催される大阪あたりでは、ハイレゾ試聴が可能になっているかもしれないし、新曲にアクセスできるQRコードが貼られていたりしても全く不思議ではない訳で。もう目の前でmoraからハイレゾ音源ダウンロード購入しちゃってくださいくらいのことはしてきてくれてもいいような。まぁでも今回の展示会は無料なのであんまり商売っけは出さないか。どちらかといえば、ストアとしてはイヤホンヘッドホンとかウォークマンとかのハードの方を買って欲しいだろうし。

という感じで、名古屋〜札幌〜福岡〜大阪と移動するうちにどんどん中身が増えていく可能性もある。なんだか名古屋の人が少し損な感じがするかもだが、逸早く展示を観れるというのもまたメリットだろうから、いってこいというか痛し痒しというか、この展示会が展開していくこの時期の“ライブ感”を感じ取っていくのが今回の醍醐味になると思うので、なんだろうな、コンサートツアーで各地のレポートを見ながらヒカルやオーディエンスの変化を味わうのの予行演習みたいな感じで今週土曜日から来年1月末までの時間を楽しむのが吉となるんじゃないでしょうか。もっとも、本当の祭りはきっとその1月末から更に先にあるんだろうけど。うわっは、こりゃワクワクがとまんねーな!

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今日は藤圭子/宇多田純子さんを追悼する色合いが濃い『Fantôme』の、発売5周年記念日。もうこの歳になると5年って何だっけ?という感じで時の流れの早い遅いがわからなくなるのだが、ヒカルの愛息が6歳になってますよと言われたら、ほえぇってなるわね。でも、それくらいだわなぁ。

この作品でどれだけお母様圭子さんを追悼出来たかというと、まだ遺影を飾るのに抵抗があったりして、長引いてるというより、そういう感情と共に生きていくのに慣れるという感じなのだろうかなと。となれば、『Fantôme』は作って終わりの過去のアルバムにはなり得ない。またコンサートで常に「今の歌」として歌い継がれていく事になる。

『Laughter In The Dark Tour 2018』で歌われた『Fantôme』収録曲は『道』『俺の彼女』『花束を君に』『ともだち』『真夏の通り雨』の5曲。更にそれに加えて『30代はほどほど。』では『人魚』と『忘却』も披露されている。「NHK SONGS」では『ともだち』『花束を君に』『道』を歌ったし、「NEWS ZERO」では『真夏の通り雨』を、「紅白歌合戦」では『花束を君に』をそれぞれパフォームしている。のちにではあるがMステスペシャルで『桜流し(TV EDIT)』も歌った。特別なアルバムではあるけれど、じゃあ他のアルバムが特別ではないかというと全くそんなことはなく、しかしてその向き合い方はいつもと変わらない気がする。

『真夏の通り雨』のような強烈な歌は、生で歌えるようになるかどうかというのが焦点だった。というのも、2010年の『WILD LIFE』で母を思って作った『嵐の女神』を歌わなかったからだ。ただ歌わないだけなら選曲から漏れただけかなとなったのだけど、終演後すかさず場内でこの歌のCD音源を流すものだから「嗚呼、聞かせたかったけれど歌えなかったんだな」という解釈をした。真実はわからないが。歌入れの時に足が震えたというのも、『嵐の女神』のことだったのだろうと推測をした。

母を思う歌はそれだけ思い入れがあり、故に人前で歌うとなるとどうなるのかと思っていたが、『Fantôme』の収録曲は、ある意味いつも通りの“扱い”を受けている。それは克服というより、どちらかというと、こういった感情を抱えたままでそれでも過ごしていくというような、そんな向き合われ方になった。本人は『こんな作品、二度と作れねーよ』と言ってはいるが、ステージの上で歌う度に歌は“再生”される。また再び創られるのだ。来年以降に催されるライブ・コンサートでの『Fantôme』収録曲のパフォーマンスがどう変わっていき、また、どう変わらないか、それを楽しみにしておりますですよ。そしていつか、『嵐の女神』を人前で歌える時が、来るのかな。

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