無意識日記
宇多田光 word:i_
 



まだ詳しい日程は見ていないが、どうやらWOWOWで6月から3ヶ月間、ヒカルの過去のLIVEが放送されるらしい。LuvLive、ボヘサマ、ヒカ5、ウタユナ、WildLifeかな。DVDを持っている人は改めて放送をチェックするまでもないだろうが、注目すべきは"6月から3ヶ月間"という部分だ。

つまり、6月、7月、8月である。WOWOWだから少しでも長く契約して貰う為の、というのも勿論あるだろうが、最終月が8月というのがポイントだろう。昨年末に週刊誌で"リーク"されていた「2014年8月復帰説」にピッタリ符合する。「DVD持ってるからいいやー」と言ってる人もここではたと立ち止まるべきかもしれない。8月にWOWOWの最後の放送が終わったタイミングで何らかの発表があるとは考えられないか?

だとしたら、結構大掛かりな"仕掛け"であるともいえる。何しろ"主犯"は梶さんなのだから、凝った作戦も考えられる。WOWOWの放送に合わせて@hikki_staffアカウントで実況ツイート(例えば当時の裏話とかね)をしながら、番組終了後にいつもの「起きてる人居るー?」呟きがやってくるかもしれない。或いは、番組の最後に新しく視聴者プレゼントのお知らせをしつつ「詳細はHikk's Websiteで!」て視聴者を誘導しておいて実際に行ってみると…なんて手も考えられる。たとえWOWOWを観られない環境の人も、「おいらにゃ関係ないや~」とか言わずに、8月の放送日時くらいはアタマに入れておいていいかもしれない。ほらほら、期待に胸が膨らんできたでしょ?


それにしても、だ。やっぱりまだまだ"宇多田ヒカル"は超ビッグアーティストなのだろうか。再発盤をTOP10に送り込んでいる、なんていう風に書くと伝説健在みたいな雰囲気になるが、何度も繰り返しているように日本に居る8000~10000人のファン層はこの15年殆ど入れ替わる事なく鉄板で、そしてそれだけなのだ。後は圧倒的な知名度と普段の無関心が一億人の中に横たわっているだけ。凄まじい数の浮動票を相手にする"儚い裸の女王様"である。いや本音をいえば1万人の鉄板のファンが居るってThe BeatlesまではいかなくてもLed Zeppelinの(日本での)ファンとおんなじ位の規模なんじゃないのとは思うんだけどね。

そんななので、私はいつも不安になる。売れればいいさ、売れてる間は。売れなくなった時にHikaruは、果たして新しいマテリアルを発売してくれるだろうか。LIVEをやってくれるだろうか。甚だ不安である。

これは、Hikaruが15年間一貫して"pop artistとしての矜持"を持ち続けてきた事から来るリスクである。"pop(ular)である事"にこだわるのであれば、聴いてくれる大衆が離れてしまえば続ける意味がない。それはHikaruに(これもずっと)みられるプロフェッショナリズムと直結している。(ある程度)需要があるからこそ仕事として妥協なく音楽に取り組める。裏を返せば、あらゆるプロの職人がそうであるように、注文がなくなれば新しくモノを作る事はもうない。道楽でやっているのではない、プロでやるとはそういう事だ。popであることとproであることは、音楽家にとってかなりの割合で不可分なものになりがちで、Hikaruも例外ではないように思う。

だから、今のこの時期。人間活動期間。私が気になるのは"プロフェッショナリズムから離れて音楽と向き合うHikaru"が果たしてどれくらい居たか、それがいちばん重要になってくるように思うのだ。つまり、音楽を発表するモチベーションとして、"仕事以上の何か"が生まれてきているのなら、これはとてつもなく強い。それは、社会を超えて自分の生き方に責任を持つという事だ。

これって、結構夢見物語を言っている。プロ野球選手で、どこの球団も契約してくれなくなったのに次の年も一年中野球三昧の生活を送るようなものだからだ。普通はプロを引退したらもうそんなに入れ込んで野球はしない。大概"たまにキャッチボールするかなー"くらいになるもんだ。もう野球はやらなくなるのが普通である。

あーでもアマチュアの(なんだけど用具専門店経営やコーチ業等で生計を立てていて実質プロの)卓球選手が60歳70歳になっても一年中卓球漬けみたいな実例知ってるなぁ…。彼らは、球を打つ事自体が最早人生そのものなので、プロだからとかそういう事もう考えないんだよね。

Hikaruが、音楽に携わる事、歌う事や新しく曲を作る事をそういう風に捉えるようになっていてくれれば、ファンとしてはこの上なく頼もしいが、こういう"追究者"はしばしば「世間の感覚」からズレていってしまい、"popであること"から大きく離れていってしまう。ここがいちばん難しい。やはりベストは、ずっと売れ続けて死ぬまで音楽のオファーが途切れない事だろうな。

そう考えると、ホント次のプロモーションは気合いを入れて欲しい。一枚でも多く売ろう。再生回数を、ダウンロード総数を伸ばそう。ここは初心に還って、「沢山売りたいですねぇ」って笑顔で言ってしまおうではないか…うーん、やっぱり私は、力が入らないんだけどもな。(笑)

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ザネッティが南極に行っている一方、Hikaruは一体何処に…という推理はまぁいいか。他の方々のを参考にしとこ。何か意図があるのかないのかクマ絡みだと途端にわからなくなるので何とも言えない。しかし、160万フォロワーともなればリプライリツイートとも結構な数にのぼるのに、今回のツイートは記事にしにくいだろうなぁ。記者の皆様お疲れ様です。

ちょうど今Hikaruが次に新曲を出す時にどういうプロモーションがいいかを考えていた所。恐らく、コストパフォーマンスを考えるとHikaruが直接新曲のUTUBEアドレスを呟く、というのがベストだろうか。Youtubeであればスマートフォン(ios,Android)、タブレット、PCとどの端末でも観れるし聴ける。下手にラジオで流してしまうより聴取者が多いかもしれない。"繰り返し聴かせる"という積極性ではラジオに譲るだろうが、コストとファーストインパクトならこれがいちばんだ。

こういう時、必ずしもプロモーションビデオが出来ているとは限らない、いや、そもそもPVを作る予定がない場合でも、近年では"リリック・ビデオ"という形態で曲を紹介する手法が目立っている。制作費や制作期間を考えた上で、どの端末からも皆が容易にアクセスできるYoutubeというインフラを、音楽を伝えるという目的の為に使うには、音声のみでは心許ない、かといってPVは用意できない、そういう条件の場合に発動する手法だ。

ただ、リリックビデオという呼称からもわかるように(?)、日本語の歌でこの手法を使うのは結構難しい。表意文字という特殊性と歌詞というスタンスとの相性では距離感の取り方が一定にはならないからだ。

Hikaruの場合、しかし、"多国籍の訳語"で構成されたリリックビデオなら作る価値はあるだろう。英語曲なら日本語訳が出れば日本のファンは嬉しいし、その逆もまた然り。フランス語やイタリア語などを筆頭に、タイ語やインドネシア語など、Hikaruの人気が幾らか見込める地域へのアピールも出来る。PVがあるなら映像の訴求力があるから必要ないが、リリックビデオという手法を取るなら意義はあろう。

FrozenのLet It Goのように、20ヶ国以上の歌い手を雇える大プロジェクトは別として、英語以外の言語による歌がローカル以上の訴求力を持つ為にどこまで訳語字幕が有効か、また、どのような演出方法ならうまく伝えられるか、そういったディテールの詰め方によっては、結構な威力を発揮するだろう。特にHikaruの英語曲に敷居の高さを感じている向きには、英語字幕があるだけでも大分違う。日本語訳があれば尚更だ。一考の価値があると思うがどうだろうか。

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