無意識日記
宇多田光 word:i_
 



なんだかんだで地デジは上手くやったな~、と思う。別にアナログテレビの画質で不満はない、と思っていた大多数の一般市民に無理矢理デジタルテレビを買わせ、最早今では大半の人が従来のアナログ画質では満足しないだろう(アナログハイビジョンはまぁ別として)。

そんなもんである。要は慣れだ。高品質なものが当たり前になってしまうと低品質のものの粗が目立つ。低品質のものしか知らない頃はそれで不満もなかったのに。それが低品質であるとは知らなかった、いや、そもそもそういう枠組みでものを考えた事が無かったのだ。無理矢理にでもまず体験させて慣れさせる。かなり大事な事である。

視覚のテレビはそうやってうまくいった(実際、DVDより割高なBlurayの売上は好調である)が、聴覚のオーディオにはそういう機会がなかった。機械もなかった。皆のラジオを無理矢理高音質のものに変えさせる施策なんて誰も取りたがらなかったし、オーディオプレイヤーもイヤフォンも、低品質のものが無くなるなんて事はなかった。それ自体は自由市場で大変宜しいのだが、お蔭でいい音、高い音質に恒常的に触れる人間は一向に増えなかった。

今月から出荷されるらしいEVAモデルのハイレゾウォークマンは、その、オーディオにおける数少ない"無理矢理"のうちのひとつだ。ただEVAモデルのウォークマンが欲しいだけの人にもハイレゾを"強要"する。イヤフォンとの同根製品もあるようだ。なかなかに気合いが入っている。

FL15に続き、今度はヒカルが美世界と桜流しでハイレゾ&リマスタリングのアプローチに一枚噛む事になる。まだ試みとしては地味なものだが、ハードウェアごと売り出さないといい音を"無理矢理"聴かせる事は出来ないのだからこうやってじわりじわりと攻めていくうちに道は拓けてゆくのではないか。一応期待はしている。

後は、高音質と帯域幅のたたかいである。無線ブロードバンドが隆盛になれば、たとえハイレゾ音源でも手元にダウンロードして聴く事になるし、隆盛にならなければ人はハイレゾをフィジカルで、例えばDVD-ROMなどで購入する事を欲するだろう。YoutubeがあってもBlurayを買うのと同じ理屈である。

それは"CD"の延命になるのだろうか。次のヒカルの新曲が果たしてCDシングルで発売されるかどうかは興味のある所であり、まだまだ微妙な所だろう。今までのメディアチェンジと異なり、人はCDの代わりに何かを買うという事をしない。アナログテープやアナログレコードからシングルCDやアルバムCD、更にMDやDAT…という広がりは今はない。音楽自体買うものではなくなっている。その"復権"の旗手として、例えばハイレゾ音源は期待されているのだ。また音楽を聴く事が特別だった時代が復活する事を夢見て。


そうなった時に最も重視されるべきはコンテンツの充実だ。その特別さにお金を払いたいと思えるサウンドが作れるかどうか。

結構、ここらへんは大きい。いきなりヒカルの新曲音源がハイレゾのみになるとは考えられないが、レコーディング・ミックス・マスタリング総ての段階において「この曲は非常な高音質で聴かれる可能性がある」というプレッシャーが、ヒカル・サイドにのしかかるだろう。マックスまで音質を上げれば、あの48トラックバックコーラスの一声々々がミルフィーユのように聞こえてくる筈である。今までにも増して、バックコーラスのレコーディングは注意を払わねばならない。また、「そこまで細かい違いまで聴き分けられるなら」と、アレンジメント自体を変えてくる事があるかもしれない。音源と再生機の高音質化が、曲作りにまで影響するかもしれないのだ。そこらへんを、今から作り手は意識しておく必要があるかもしれない。



でもやっぱり、宇多田ヒカルには「AMラジオから唐突に流れてきても耳に留まる」タフなPop Songを作って歌って貰いたいという願いは変わらない。それが出来る上で、高音質リスナーたちのニーズにも応えられたらまさしく最強じゃないだろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




時々「今でもネット使わない人はどんな生活なのかな~」と思う事がある。スマートフォンの普及に伴ってネッ中症(インターネット中毒症状)は拡大の一途というか市民権を得た気すらするが、それでもなおネットに依存しない層は幾らでも居る訳でね。

Hikaruのファンの場合インターネットと無縁の生活というのは考え難い。ほぼ無理だ。そんな事は15年前からわかりきった事なのだが、居ない訳じゃなかろう、どこらへんの年齢層・地域・職種なのかはわからないが、そういう人たちも僅かながらCDを買ってくれていて…と素朴に思っていたが、今例えばヒカルがCDシングルをリリースしたとして、何枚売れるかというと余程の強力なタイアップがついても10万枚は無理だろう。例えば5万枚としよう。その時、全くネットに触れていない人は何人になるのか。10%よりは少ないと思う。とするとそれだけでも5000人以下だ。もし5%なら2500人、1%なら500人…という風に考えてみると、もう殆ど顔と名前が一致するレベルにまでに少ない。

こうやって具体的に絞り込んでいくと、案外"想定した該当者"は少ない事に気付く。ネッ中症かどうか以外の基準でも同じだ。皆は漠然と「宇多田ヒカルファンは全国に散らばっていて…」みたいなイメージを持っているかもしれないが、例えば40代の既婚女性で関西出身でヒカルとUtadaのオリジナルアルバムを総てCDで所有している人、なんていう括りだと一体何人くらい該当するだろうか。冗談抜きで200人以下とかにならないか。そう考えると、実は気の合うファンにバッタリ出会える確率は相当に低い。多分、ネットを全くやっていない宇多田ファンの人は本当にバラけていて全く出会いがないんじゃあないかなぁ。

こういう"錯覚"が起こるのは、ヒカルがずっとマスメディア…特に地上波テレビを通じたプロモーションを展開しているからだ。実際、幾ら視聴率が落ちたとはいえ未だに千万人単位に同じ時刻に同じ映像を見せる術を持っているのだから影響力は絶大だ。ネットを使わない層もテレビなら観るだろうし。そこに映る人は別世界の人間で絶大な知名度と影響力があって…と思うのは不思議ではないし宇多田ヒカルなんていう"レジェンド"なら尚更だ。

いや勿論ネットでもフォロワー160万人とかYoutube再生回数そのうち1億回とかいうリアルな数字はあるけれど、"シングルCDを買う"という行為を1つ通すだけでその大数ぶりは雲散霧消する。もし仮に次の新曲をシングルCDでもリリースするとしたら、とてもわかりやすい「現実」が我々の前に突き付けられるだろう。だから、リリースないかもしれないなぁ。既に桜流しはなかった訳だから。どうなりますことやらですわ。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )