無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ヒカルの歌詞は本当に一環している。Give Me A Reason の歌詞を語る為にNever Let Goと幸せになろうを持ち出したが、ここに更にGoodbye Happinessを加えてみよう。

Never Let Go は「こどもの視点」或いは「若者の視点」からの歌詞である。これさ歌の中、歌詞の上では明示されていないが、『明日の私たちどこにいるの?』という一言に見られる漠然とした不安は、思春期に独特のものといえるだろう。

一方で、Goodbye Happinessは、こどもや若者を見守る大人の視点からの歌だ。これは恐らく皆も漠然とそうイメージしているだろうから説明は省こう。


若者は言う。
『真実は最高の嘘で隠して』
大人は言う。
『こどもダマしさ浮き世なんざ』
若者は言う。
『現実は極上の夢でごまかそう』
大人は言う。
『夢の終わりに待ったはなし』
まるで会話をしているみたいでは、ないですか。

Never Let Goの「こどもっぽさ」は次の一節に極まる。

『二人で靴脱ぎ捨てて はだしでかけていこう』

これと呼応するのが、Give Me A Reasonの最後の一節だ。

『こどもみたいに声をあげて走ろう』

まるで、Never Let Goの歌詞をGive Me A Reasonが解説しているかのようだ。「靴」とは、社会の仕組みに絡め取られている状態を表す比喩であり、これ自体はオーソドックスなものだ。大人としての節度を"脱ぎ捨て"るのだから、それは間違いなく"こどもみたい"だろう。

この無邪気さ無垢さの表現は、鋭い方は既にお察しだろう、Goodbye Happinessでは次のように表現されている。

『日に焼けた手足 白いワンピースが
 汚れようがおかまいなし 無意識の楽園』

汚れを気にしないのが無垢(innocent/汚れがない)という簡潔な指摘も秀逸だが、明示されていないもののここでの描写は『靴脱ぎ捨ててはだしで』と軌を一にする。12年経っても、描く風景は変わらない。


斯様に、ヒカルはおとなとこどもを幾つかの視点から多様に且つ同様に描いているが、ここにもうひとつポイントがある。それは、『こどもみたいに声をあげて走ろう』の、"声をあげて"の部分である。その話からまた次回。

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4月一杯で15周年企画のCS放送も一段落、あとはあってもリピート放送位だろうか。今月は結婚式という事で、これから本格的な凪を迎える。

ツイートも途絶えているが、今はそもそも人間活動中(なんなんだろうなこのフレーズ、今更だけど)なんだから何の音沙汰もなくて不思議はないし、ツイッター自体だって当初は期間限定の予定だったのだから特段それでどうのこうのという事はない。今言われるまで「当初は期間限定だった」っての忘れてた人も多いんじゃないか。私もそうだった。

それが今や、特に照實さんがフル活用しているからには、U3musicが自らツイッター終了を宣告する可能性は低くなった。この親子2人が居る為必然的にファンは場をツイッターに定めている。Facebookが選ばれていたらどうしてたかなーとか考えてしまうが、Hikaruからすりゃそれはなかったろうから、まぁそれは安心しておいていいか。

ただ、このTwitterというツールは、見てる人のカスタマイズ次第で見え方が大分違う。Message from Hikki は誰が見ても同じレイアウトだが、タイムラインは一人々々に固有のものだ。私なんかフォローで構成されているフレンズタイムラインはあんまり見ていなかったりする。ジャンル別のリストを見た方が話の流れがわかりやすいし、多すぎるツイートの整理にも役に立つ。

しかし、マジョリティが「スマートフォンでフレンズタイムラインだけを見る」層だとすると、最近ちょっと不安になる。フォローは増やすのは簡単だが減らすのは難しい。特にHikkiファンは気遣いが多いから(それも世代によるだろうけれど)、アンフォローに躊躇する人も在るかもしれない。特に、このツールは「ツイート頻度」が問題になってくる。

従来のように、「主に情報収集の為にファンサイトを覗いていた」人たちからすると、増やしすぎたツイート×ツイート頻度が多い人たちのかけ算は、情報収集自体を諦めさせるに十分な効果があるだろう。私からすれば「有用な情報を呟く人だけでリストを組む」だけでそれは回避してしまうが、スマートフォンのリストってTopから辿り着くまでに何ステップかあって面倒くさい。私みたいにTweenでタブを何十も並べて直接アクセス、みたいな事をする人は極々僅かだろう。

いやね、こうなってくると、Twitter自体から疎遠になる人が増え、更にHikaruが呟かないならそれが加速するだろうなと。昔なら少し間があいてもファンサイトの掲示板の過去ログを斜め読みすれば流れは把握できたものだが、今はそういう"ガイド"がない。ふらっと出掛けてふらっと戻ってくる、という寅さんスタイルがなかなかとりづらくなっている、という事だ。そういう意味では、何かTwitter以外に適当なツールがあればなと思うんだけど「Hikkiがそこに居て自分も居る」空間にはとてもかなわない。そこで本人が沈黙すると、"こんな感じ"なのだ。はてさて、これで関心を引き続けられますかどうか。

そういう意味では、照實さんの頑張りは結構重要なんだけど、彼にはそういう気負いみたいなもんは良くも悪くもなさそうだ。まぁ、いいか。私は私で、相変わらずマイペースでいきますよ。

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