無意識日記
宇多田光 word:i_
 



In My RoomのAlternate Versionはなかなかに衝撃的な仕上がりである。最初の出だしは「ん?イントロにライブ的なフェイクを入れてきた程度かな?」と思わせておいて、ふと気がついたらリズムトラックがごっそり、無い。そしてヴァースはリヴァーブがたっぷりかかったア・カペラになる。こうなってくるとあの分厚いバックコーラスは益々存在感を増し、まるでQUEENの曲を聴いているような気分にさせられる。

しかし、アカペラといっても一部だけで、リズムの無い中でも幾つかの楽器は鳴っている。ウィンドチャイムがところどころ使われているし、何より、ピアノがこうやって鳴っているとその虚ろな表情に吃驚させられる。僅かに残されたリズム・セクションがまるで呪術的ともいえるような不気味さを醸し出す。一体このヴァージョンで何がしたかったのか本当に謎だが、その割に聴後の印象は散漫にならず焦点の定まった感触を残す。普通の在り来たりのリミックスとは違う、なかなか野心的なヴァージョンといえるだろう。

このピアノの感じ、何かに似ていると思ったらあれだ、UtaDAの2ndアルバム「This Is The One」の4曲目に収録されている"Taking Back My Money"である。同曲は1stアルバム「EXODUS」収録の"Wonder 'bout"同様、初出にしてリミックス色の濃いトラックだが、哀愁の旋律をエモーショナルなヴォーカルが彩り、虚ろな響きのピアノと対比させるコンセプトはどこか似たものを感じさせる。Hikaruの歌の魅力をいつもと異なった角度から魅せる手法だ。

という事はだ、逆から考えてみよう。In My RoomのAltermate Ver.からオリジナル・ヴァージョンを逆算する感覚でTaking~やWonder'boutの"オリジナルの姿"を推理するのが可能になるのではないか。音数の少ないルート主体のベースライン、シンプルなドラム・サウンドを、In My Roomのような感じで上記2曲に当てはめてみる。ここからは想像の世界だが、そうすると、やはりこういった楽曲も"オーソドックスなUtada Hikaruサウンド"になる事が推し量られる。裏を返せば、だからこそサウンドに一捻り加えられてアルバムに収録されているともいえる。

これは「アルバム収録ありき」の発想だが、それはつまり、もし仮にIn My Roomが先行シングルカットされていて、皆がシングル盤を持っている状態で、「それなら」という事でアルバムにAlternate Versionの方が収録されていたとしたら、というifに繋がる。こちらは想像力の勝負ではなく、実際にプレイリストを組んで聴いてみればよい。オートマむびのんと続いた後に聴くこのAlternate Versionはまさに"異形"と呼ぶに相応しい。終わった直後に響く耳馴染みのいいFirst Loveのあのイントロが齎す安心感と言ったら無い。もしそうなっていたら、1stアルバムの評価はどうなっていたか…


こうやって様々な"if"を想像させてくれるこのヴァージョン、"Alternate(もう片方の)"とはよく言ったものだ。言い得て妙である。

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今日は「SAKURAドロップス/Letters」の発売記念日。もう干支を一回りしたのか、と言うべきかまだ12年と言うべきか、あっという間という気もしない代わりにそんなに昔の事でもないような…と思うのは、未だにこの2曲が"現役"だからだろう。

WILD LIFEでこの2曲が演奏されたのは不思議ではないが、In The Flesh 2010の数少ない日本語曲枠の中でSAKURAドロップスが選ばれたのは何故だろうか。

まず、同ツアーでの日本語曲は"満遍なく各アルバムから"選ばれていたという事実がある。1stから初恋オートマ、2ndからキャンシー、3rdからはこのSAKURAドロップス、4thからはPassion、5thからはStay Gold(とぼくはくま)といった具合に。これが結果論なのかどうかは定かではないが、英米欧のファンにとっては殆どが初ライブだった筈なので、各段階で・各時期にファンになった人たちの思い入れに応えるには良策だったように思う。だからキンハのSimple And CleanとPassion/Sanctuaryは外せなかったんだな今から考えれば。

日本語曲は、全体的に静かな、バラードめの曲が選ばれている。いちばんアップテンポなのがキャンシーだという。日本のライブではお馴染みの(といえる程回数やってないんだけど)むびのんもリスクもトラベも美世界もやっていない。SAKURAドロップスもその傾向を反映した選曲だともいえる。

実際、このツアーの"主役"であったThis Is The Oneの楽曲自体が、Hikaruの歌唱力を活かした哀愁の旋律に彩られたオーソドックスなスタイルがメインであったから、その雰囲気に馴染むようにとの意図があったように思う。LettersやCOLORSをバラードでやろうとするとストリングスがあった方がいいが、バンドのみのIn The Fleshではそれはかなわない。ならば、鍵盤を弾き語りすればサウンドが成立するSAKURAドロップス(とStay Gold)が選ばれたのも自然な流れだったのかもしれない。


にしても、そうか、こんな時期の発売だったのねこのシングル盤は。最初に聴いたのは4月だったから、ちょっと感覚が違っているな。カップリングがある訳でもないし(両A面)、2曲ともテレビでパフォーマンス済みだし、何よりヒカルがグロッキーで笑っていいとも欠席で代打照實な一週間だったから、あんまりシングル盤云々という気分ではなかったのかもしれない。

毎年5月はこんな感じだ。これは、アーティスト活動のサイクルのせいではなく、Hikaruのバイオリズムなのだろう。2011年以降も、毎年5月はツイートが少ない。というかほぼない。あれ?「ツイッターまだやる」の一回のみか? それ位少ない。何がどうなって5月なのかはわからないが、これからはそれを逆手にとって、毎年5月はオフにしちゃえばいいんじゃないかな。こういうのは「5月の宇多田は動かない」というイメージを定着させてしまえば何とかなるものだ。だからっていつも「今月はオフです」って置き手紙だけってのも寂しいもんだけどな。

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