無意識日記
宇多田光 word:i_
 



そういえば全然、は言い過ぎにせよ今回はあまり新聞やテレビの結婚報道に触れていなかった。今回イタリアの新聞のWebサイトを覗いてみてそういう感じになっていたのねと認識した次第。オフィシャルの写真以上の事はHikaruがまた話してくれるだろう。無宗教だと言ってくれた時点で十分とも言える。

そんな「実際には触れていない人間」によるあれやこれやを今から書き綴るので、是非読者には「そんな奴が言っても何の説得力もない」と思いながら読んで欲しい。事実、誰も説得する気はない。

さて、今回の報道によるとHikaruはキコの両親の地元住民の反感を買った事になっているらしいが、いやまぁ見事な印象操作である。流石この国を二度の大戦に導いた元凶たちの末裔だ。誰だって簡単にそう信じ込まされてしまうだろう。その手腕たるや絶妙という他はない。

私の思う真相はこうだ。恐らく、極東の大スターが近くで結婚式を挙げるというので見物に来たミーハーな野次馬たちが居たのだろう。貴方だって歩いて10分のところで小某方女史が演説をしていると聞けばたとえ彼女のファンでなくても「コンビニに寄るついでに見物に行ってみるか」と思う事があるかもしれない。翌日の学校や職場で格好の話題になるし。そんな感じにUtadaを見物に来た人が居たとしよう。

ところが、実際に行ってみるとえらく警備が厳重で花嫁の姿なんか見えない。そんな風な人たちをちょうど捕まえてインタビューしたらどう答えるか。「あらあら、せっかく見に来たのに残念ねぇ。何にも見えやしないわ。」―そりゃあ、こんな感じになるだろう。至って普通である。私だってきっとそう答える。

ここからがマスコミの真骨頂である。非常に微妙に、話のすり替えを行う。考えてもみよう、大スターの警備が厳重だなんて当たり前の話だ。その当たり前にぶち当たって残念。そこまではいい。しかしここから「警備が厳重だなんて何事だ」と怒る野次馬が居るだろうか? ましてや、それでUtadaに悪い感情を持つなんて有り得ない。「もっと見えるようにしてよー」と口先では言っていても、大体はその語尾に「でもそういう訳にもいかないよねぇ」と続けるのが一般市民である。そうではなく、「(本当に)もっと見せろ」と真顔で言うのはメディアの人間以外有り得ない。それは日本だろうがイタリアだろうが関係がない。

本当に微妙で絶妙なすり替えである。恐らく、地元でHikaruに悪感情を持った人間なんて一人も居ないのだ。メディアの人間を除いては。あ、警備のせいで交通の邪魔になった人はすいませんでした。見えない不服をHikaruへの非難に変換するのは彼ら以外にない。彼らは自らの本音を彼らに代弁させ、さもHikaruに非があったかのように書き立てる。そりゃあ、読者はあっさり騙される。シカタナイわな。


以上、まともに記事も読んでない者の妄想記事でした。はい、何の説得力もありませんでしたねー。

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昨日気になってイタリアの地元の新聞紙の記事と思しきページを検索して翻訳して読んでみたのだが、二紙にしっかり「結婚の儀式は洗礼者と非洗礼者両方に半々ずつ行われた」と書いてあり、「Utadaは非洗礼者」と明記してあった。英語にすると「Utada is not (baptized)」と紛れのない書き方になっているので、これを誤訳するのは難しい。日本語の記事の書き手が一紙だけにしか目を通さないというのも考えづらいし、向こうの一紙だけがHikaruがカトリック教徒になったと誤報するのも無理がある。どうやって式次第がそんなにすぐに外部に漏れたのかは謎だが、手続き自体は通常のものなので担当した神父に訊けば答えてくれるだろう。参加者は兎も角、彼を口止めする事は出来そうもないし。

で、三紙程に目を通してみたが、そのいずれもが式の厳戒体制について取り上げてはいるものの、何ら非難めいた記述は見当たらなかった。各国のVIPが来賓として招かれた際に新聞に書かれるような調子、といったら伝わるだろうか。ニュアンスとしては(と言ってもイタリア語を英語に訳して読んでいるのでどこまで細かなタッチが理解出来ているかというと心許ないが)、そんなのどかな田舎町(なんだろうな)で厳重警備が現れる物珍しさに焦点が当たってる感じ。普通に読者として接した人に「この日本人の歌手の事は知らないが、こんな警備体制を敷く位だから本国では余程の人気なのだろう」という感想を持たせようとして書いてある、と私は解釈した。それに不服をもつ記者の言葉も市民の言葉も書いてはいなかった。

Webでヒットする記事に目を通しただけなので、例えば一面・総合面の見出し下に書いてあるような内容だけしかない、という事はあると思う。もしかしたら記者が個人的に、取材が十分に出来なかった事について不服を漏らした内容が(日本でいえば三面記事・芸能欄や記者のコラム・エッセイなどに)書いてあったかもしれないが、それを新聞紙の論調として捉えるのはやや勇み足かもしれない。取り敢えず、事の真相はわからないので判断は読者諸氏に委ねておく事にしよう。

記事の中で興味深いなと思った点が、別に一つある。一紙では、「子(或いは子孫)にカトリックの洗礼を受けさせる」という誓約を交わしたと思しき記述があったのだ。文面からは、その誓約がカトリック教徒(つまり新郎)にのみ課せられたものなのか、非洗礼者(新婦)にも課せられたものなのかは判断がつかなかった。Wikipediaによるとこの誓約、昔は非洗礼者に対しても強制力があったようだがここ半世紀は教会法が改正された事もあってこの限りではないらしい。となると恐らく、誓約を交わしたのはキコの方だけ、という事になるがそれだとわざわざ記事にするのかな。そもそも、片親にだけ強制力を発揮する法って運用上どうなの、と思うが子の信仰に対して両親が裁判で争う場合とかあるのかな。うーん、わからん。Wikipediaちらっと斜め読みしただけで理解出来ると考えると考える方が浅はかか。すまぬ。

いずれにせよ、子の信仰という観点を考えた事がなかったので参考になった。結婚式で誓約があったという事は2人の間では話し合いは済んでいるのだろう。今後問題として浮上する事はないと考える。

…それにしても…日本人とイタリア人のハーフか…いつになるか知らんが、どんな感じなんだろうなぁ…。

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