ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

静岡てくてくさんぽ4

2019年07月09日 | てくてくさんぽ・取材紀行
駿府城にはかつて、本丸に五層七階の天守閣がそびえ立っていた。江戸期に消失し、明治期の廃城後には天守台も取り壊されてしまったが、2016年8月から天守台の発掘調査が行われている。現場は公開エリアであれば自由に入れ、覗いてみると重機が稼働し掘り出された石垣がゴロゴロ転がっているのがみられる。

駿府城は慶長の天下普請の前と後で規模が異なり、天守閣もサイズと位置が違う。エリアに入って右手の一角が天正期の天守台、そして ほぼ全域が、慶長年間の天下普請の際に作られた天守台の跡地にあたる。北堀と西堀に面した位置で四隅それぞれには櫓が、慶長期にはさらに小天守も擁していたという。姫路城の連立天守のような、豪壮な姿だったのかもしれない。

調査エリアを背にして、鷹狩りに興じる家康公の像が立っており、まるで天守の調査を見守っているかのようだ。慶長年間の天守は1635(寛永12)年に火災で消失した後、再建されることはなかったという。天下泰平の世となったのがその理由とされており、奇しくも江戸城の天守と同じ運命をたどっているのが興味深い。調査はあくまで、天守台の跡地利用の検討が目的だそうだが、天守台、そして天守閣の再建にはならないだろうか?

現在は発掘調査エリア内に、出土品などを展示する「発掘情報館きゃっしる」が仮設され、金箔入りの瓦などが見られる。ほか県庁前の空き地にも、歴史を学べる施設が作られる予定で、浜松城のように一大歴史散策スポットになりそうだ。

そのまま北へ抜け、徳川ゆかりの神社にも向かいましょう。

静岡てくてくさんぽ3

2019年07月09日 | てくてくさんぽ・取材紀行
浜松に続いて、徳川家康ゆかりの町である静岡市街。駅の近くにゆかりの史跡が多いので、半日ほど巡りあるいてみましょう。

家康の居城だった駿府城へは駅から歩いて10分ほどと、駅近な立地は浜松城と同じだ。家康が武田を退けて浜松城から移った1585(天正13)年に造られた城で、現在名残が見られる縄張りは江戸幕府将軍を退いて駿府に戻った慶長年間に、天下普請されて大きくなったものである。城郭は三重の堀からなっており、現在は半分ほど埋められた外堀とほぼ残る二の丸堀(中堀)の間に、県庁などの官庁や文教文化施設が置かれ、二の丸堀の内側が駿府城公園となっている。

官庁街を抜けて東御門橋で二の丸堀を渡り、鉄砲狭間が設けられた枡形門の「東御門」から園内へと入る。当時の遺構として復元されているのは、東御門とすぐ左の巽櫓、二の丸奥の坤(ひつじさる)櫓の3つ。元江戸幕府将軍「大御所」の居城のため、櫓と言えども小藩の城の天守ぐらいの大きさはありそう。東御門も、規模では江戸城の大手門を思わせる。ほか、ほぼ埋められたが最内側になる本丸堀の遺構も、当時の名残をとどめている。

園内はかなり広く、平坦な敷地にゆるやかに広がる様は、三方原台地の端の高台にそびえる浜松城とは趣を異にする。城郭の遺構のほかにも、大名庭園を模した紅葉山庭園、桜などの林や芝生の園地やグラウンドを有し、市民の憩いの場となっている。奥寄りの天守台跡は発掘調査中で、見学できるので寄ってみましょう。

三交イン静岡駅北口@静岡

2019年07月09日 | 宿&銭湯・立ち寄り湯
この日の宿は静岡駅北口・青葉通りに近い玄南通りの繁華街にあるこちら。結構新しくきれいで、通りの外れにあるため割と静か。セブンが1階に入っているのもありがたい。

朝食バイキングは、なぜか揚げ餅がパンのコーナーに並んでいた。朝カレーはフルーツ甘いながらスパイシーな本格派である。

最終日は朝から雨、さてどこへ行こうかな。