ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカル魚でとれたてごはん…浦安 『越後屋焼蛤店』の、アサリ串焼き

2019年07月04日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
浦安の漁業が盛んだった当時、貝類は主要漁獲の一つだった。「マキ籠」という、大きな竹籠に熊手をつけた漁具を用いて、干潟や遠浅の海底をかき取って漁獲。女性たちが浜に総出で貝むきにかかる風景は、境川に係留されるべか舟、三番瀬に立つノリのひび(養殖施設)とともに、当地の漁師町らしい風景だったという。埋め立てと開発により昭和46年に漁業権を放棄し、この3月には駅前にあった浦安魚市場も閉鎖してしまうなど、市街で見られた海産物の生産や加工や流通の風景は絶えて久しい。

そんな中、駅のすぐそばに昔ながらのたたずまいで貝類を扱う店舗がある。曳網漁に用いる帆引き舟の絵柄に踊る、「浦安名物 焼きはまぐり」の文字。「越後屋焼蛤店」は昭和25年創業の、焼きハマグリと焼きアサリの店である。小ぶりな店内の右奥がすぐ加工場になっており、台に山積みのアサリのむき身をおばちゃんが二人、手作業でせっせと串に刺している様子が、往時の浦安の漁業風景をかすかなから思わせてくれる。

驚くのは値段で、丸々したアサリが三つ刺され、1本たったの45円の安さだ。さんぽのテイクアウトにしようとしたら、「食べていきますか?」と売り場のおばちゃんが勧めてくれる。二本買って、ショーケース横の狭いスペースでいただくと、ふっくらとレアに焼きあがり貝汁もしっかり含まれた、絶妙な加減が嬉しい。創業当時からの味の醤油ダレは、貝の味を引き出すほどほどの濃さで、この焼き加減も備長炭の遠火をじっくりあてているからこそ。これぞ貝の素性を知り尽くした漁師の味、二本はあっという間に平らげられてしまった。

後を引くうまさに、おみやげに10本追加しても200円いかないコスパのよさも嬉しい。時期の関係でハマグリがなかったので、春先のさんぽにて再訪するのが楽しみな店である。

銭湯…松の湯@浦安

2019年07月04日 | 宿&銭湯・立ち寄り湯
浦安てくてくさんぽ、漁師町といえば、銭湯が多いのも特徴である。さんぽの道中にも新橋のたもとの「松の湯」、フラワー通りにある「米の湯」の二軒があり、どちらもかなりの年季を感じさせるたたずまいだ。しかも入浴料が350円と、都内より100円以上安いのも魅力である。

迷いながらも松の湯を選択、壁面のタイル画が将棋の駒なのが珍しく、江戸名所図会で描かれた富士山も男女の結界の壁にそびえている。薪で沸かした湯は高温ながらあたりが柔らかく、そのまま浸かっていてもマッサージされているような心地よい刺激がある。

17時過ぎとやや早めながら、年配の方で結構な賑わい。かつて漁師だった方が常連に多く、ガッチリした体格で浅黒く漁師特有の方言があるから分かるそう。他所者にもフレンドリーに話しかけてこられるそうで、自分もそれらしい親父さんと湯船で銭湯談義を楽しんだ。地元の方との裸のふれあいもまた、さんぽの楽しみだ。

漁師町にて風呂上がりとくれば、まとめはやはりお魚でしょうか?

浦安てくてくさんぽ6

2019年07月04日 | てくてくさんぽ・取材紀行
フラワー通りの沿道には、見学可の旧家が2軒ある。駅に近い旧宇田川家住宅は、明治2年築の商家である。入ったところの店の間は広々していて、帳場では人形が反物を手に商談中。米や油や薬や雑貨を商っており、高価な呉服を扱いながらよろづや的な商売でもあったようだ。

もう1軒の旧大塚家住宅は、江戸末期の漁師宅。茅葺きの建物で屋根裏部屋があるのは、海に近いが土地が低く水害が多かった浦安で、有事の際に避難するためだったという。建物は境川に面しており、玄関が境川側にあるのは、この川が海への玄関口だったため。商家の宇田川家がフラワー通りに面しているのと対照的である。

そろそろ時間なので仕事先へ向かい、続きは仕事上がりにあちこち立ち寄ってみましょう。

浦安てくてくさんぽ5

2019年07月04日 | てくてくさんぽ・取材紀行
境川に並行した「フラワー通り」は、昭和40年ごろまでは市街屈指の繁華街だった小道である。漁師町らしく、沿道に鮮魚店が立ち並び賑わったそうだが、駅周辺に繁華街が移ってしまい、現在は昭和の雰囲気を残す飲食店がちらほらあるほかは、商店街ながら店舗自体あまりない静かな通りとなっている。

とはいえところどころには、往時の名残を垣間見られる建物も点在する。波模様の銅板雨戸袋をあしらった商家、格子窓や2階にテラスを設けた木造家屋、軒先に水神社の小さな祠を置く家など。建物の造作を観察しながら歩けば、漁師町の繁華街のイメージが浮かんでくるかもしれない。

当時から残る見学可の旧宅も、2件ほど残っている。中も見せてもらいましょうか。

浦安てくてくさんぽ4

2019年07月04日 | てくてくさんぽ・取材紀行
江川橋付近にある豊受神社は、浦安最古の神社である。こちらの祭神は衣食住を司る豊受姫大神で、市街各地区の氏神様でもあり、まさに浦安の鎮守様たる社といえる。境内は広く、株が六股に分かれた樹齢400年の大イチョウがそびえ、御神木らしく絵馬やお守りにも使われていた。

そしてこちらの見どころも、浅間神社と富士塚。浦安は明治期に富士講が盛んだったそうで、ここと清瀧神社と稲荷神社の「浦安三社」にはいずれも、富士塚が設けられている。江戸名所図会にも江戸湾沿いの集落越しにそびえる富士山が描かれているなど、界隈は古くから富士山が身近かつ信仰の対象にもなっていたことがうかがえる。

稲荷神社は駅の北側なので、三社コンプリートは次回の訪問時に。寺社めぐりに続き、往時の繁華街も歩いてみましょう。