ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

和歌山てくてくさんぽ4

2016年12月18日 | てくてくさんぽ・取材紀行
和歌山城の石垣は、時代により3種の積み方がある。豊臣秀長〜桑山重晴の頃は、和歌浦などでとれる「紀州青石」を自然石のまま積んだ「野面積み」。やや不安定に見えちょっと強度が心配に見えなくもないが、古式の城郭らしい荒々しさがある。

浅野幸長の時代の大改修では、友ヶ島の「和泉左石」を加工して積む「打込みハギ」、さらに徳川期の増築時には、熊野の「花崗斑岩」も用いた、精密加工による「切込みハギ」という技法に。特に切込みハギは石と石と接触面がピタリと合っており、安定感かつ美しさも感じられる。

それぞれ見比べながらの城郭さんぽも、築城史が学べ面白い。

和歌山てくてくさんぽ3

2016年12月18日 | てくてくさんぽ・取材紀行
和歌山城は最初の城主が豊臣秀吉の弟・秀長で、慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いの後から城主となった浅野家の時代に整備され、現在の形となった。天守は浅野幸長が標高49メートルの峰上の「本丸」に設け、のちの徳川頼宣が入城した際「天守廓」と呼ぶようになった。

大天守は三階建で、様々な櫓や門が時計回りに続く、連立式の天守。正面から見ると左へと白壁が伸び、門と小櫓がさらに峰の奥へと巻いていく、堅牢かつ重厚な見栄えだ。

入城料410円かつ再建のため、中はスルーにて。天守は落雷と戦災で2回焼け、先代は国宝だったとか。現在のは昭和33年築で、まあ70年物なりの風格は出ているかと。

和歌山てくてくさんぽ2

2016年12月18日 | てくてくさんぽ・取材紀行
和歌山城はまずは西之丸へ。ここはかつて庭園や数寄屋が設けられた、藩主の隠居所だった。現在は名勝の紅葉渓庭園となっており、都心ながら鬱蒼とした山峡の風情が漂っている。隠居した藩主は、ここで能や茶を楽しみ自然を愛で過ごしたとのことで、悠々自適な引退後の暮らしには最適の環境か。

三之丸と二ノ丸には「御橋廊下」という、堀の上を渡す廊下がかけられている。ここを通り、政務の中枢である二之丸を行き来したそうだが、高低差があるため斜めにかかる珍しい橋ゆえ、中を歩くと割と傾斜がある上、床板が斜め張りで段差を踏むと痛い。まあ健康青竹踏み的ではあるが。

二ノ丸は藩主の政務と生活の場で、案内板のある場所は大奥で藩主しか入れなかったとか。しばし佇み、綺麗どころに囲まれる妄想なぞしたところで、天守へと登りましょう。

和歌山てくてくさんぽ1

2016年12月18日 | てくてくさんぽ・取材紀行
和歌山城へは、北西側の吹上口から入城した。かつてはここに吹上門が設けられ、下を通る西外堀は紀ノ川河口の紀伊湊につながっていたため、物資の搬入口として重要な役割を担っていた。高麗造りの門も荷揚げのための雁木も、明治以降に改変されてしまい、今は駐車場など城見学の玄関口に、その役割が変わった。

にしても、案内板の「場内で最も原型をとどめていない部分」とのコメント、正直すぎて笑える。