和歌山城は最初の城主が豊臣秀吉の弟・秀長で、慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いの後から城主となった浅野家の時代に整備され、現在の形となった。天守は浅野幸長が標高49メートルの峰上の「本丸」に設け、のちの徳川頼宣が入城した際「天守廓」と呼ぶようになった。
大天守は三階建で、様々な櫓や門が時計回りに続く、連立式の天守。正面から見ると左へと白壁が伸び、門と小櫓がさらに峰の奥へと巻いていく、堅牢かつ重厚な見栄えだ。
入城料410円かつ再建のため、中はスルーにて。天守は落雷と戦災で2回焼け、先代は国宝だったとか。現在のは昭和33年築で、まあ70年物なりの風格は出ているかと。
大天守は三階建で、様々な櫓や門が時計回りに続く、連立式の天守。正面から見ると左へと白壁が伸び、門と小櫓がさらに峰の奥へと巻いていく、堅牢かつ重厚な見栄えだ。
入城料410円かつ再建のため、中はスルーにて。天守は落雷と戦災で2回焼け、先代は国宝だったとか。現在のは昭和33年築で、まあ70年物なりの風格は出ているかと。
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