ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

鯖街道てくてくさんぽ8

2016年06月25日 | てくてくさんぽ・取材紀行
鯖街道から琵琶湖湖岸のドライブ、最後に立ち寄ったのは中山道の醒ヶ井宿。米原からクルマで10分ほどで、旧醒井郵便局の洋館を過ぎると、大イチョウがお出迎え。地蔵川に沿って伸びる街道の沿道には、今でも人が暮らす古い建物が軒を連ねる。名水と湧水の宿場でもあり、川面には清流でないと育たないバイカモの白い花が咲き、十王水に西行水に居醒の清水といった湧水群、その水で仕込んだヤマキ醤油など、水所以の見どころが多い。

西行水には水琴窟もあり、飲んでみるの柔らかくほの甘い軟水。居醒の清水は加茂神社の下の石垣から湧いており、地蔵川の水源にもなっている。日本武尊が傷を癒したとの伝説もあり、境内には像も立つ。ヤマキ醤油には醤油ソフトなど、食べ歩きによさげな品も。

この宿場の凄いのは、すぐそばの高台に東名高速道路が走っていること。現代の交通の大動脈のすぐ脇に、時間が止まったような宿場が残る、時代の落差感がまた面白い。醒ヶ井駅から近いこともあり、途中下車してまた訪れたい静かな宿場町である。

翼果楼の焼鯖そうめん@長浜

2016年06月25日 | 旅で出会った食メモ
2日間に渡ってサバを追いかけてきた、このたびの京都。鯖街道もドライブで駆け抜けて最後の最後に出会ったごはんも、サバつながりとなった。長浜の北国街道沿いにある「翼果楼」のオススメの品は、焼鯖そうめん。築二百年の商家を生かした建物の座敷にて、ゆったりと味わった。

ビジュアルは名の通りで、ゆがいた温そうめんの上にサバの身がゴロリとのっている。サバは焼いた後にそうめんと一緒に煮ているのが特徴で、しっかり身が締まり旨味が凝縮している。麺にもサバの味が染みており、スルスルと食べ進む。そうめんと焼き魚はめっぽう相性がよく、身をバラバラにほぐしていただくと、旨味が行き渡ってまたいっそううまいこと。

この料理、農繁期の際に焼きサバとそうめんを娘が嫁いだ先へ贈り、手軽に食事が作れるよう配慮したのが所以で、曳山祭の際にはハレの料理としても供されたとか。サッと軽く食べられ栄養価も高いから、食べ歩き旅にもありがたい一杯である。

鯖街道てくてくさんぽ7

2016年06月25日 | てくてくさんぽ・取材紀行
鯖街道から琵琶湖湖岸のドライブ、長浜にもちょっと立ち寄り。秀吉が治めた城下町、北国街道の宿場町として栄え、大手門通りのアーケードと北国街道の交点付近に見所が集中。江戸から明治期の漆喰壁の建物を生かした「黒壁スクエア」をはじめ、黒壁ガラス館にオルゴール館、曳山博物館、さらに北斗の拳のケンシロウが迎える海洋堂のフィギュア博物館など、見どころがコンパクトにまとまっている。

沿道の飲食店も特徴があり、水の良さを生かした麩饅頭、濃厚なあんかけと大きなシイタケが特徴の「のっぺいうどん」、さらに博多のとは無関係な「長浜ラーメン」なんてのも。17時過ぎに行ったらかなりの店が閉店していたのが、ちょっともったいない気も。

この度の旅の締めごはんは、やはりサバにて。おいおい。

鯖街道てくてくさんぽ6

2016年06月25日 | てくてくさんぽ・取材紀行
鯖街道から琵琶湖湖岸のドライブ、行きたかった小谷城跡にリクエストして寄ってもらった。近江を治めていた浅井長政の居城で、信長に攻め滅ぼされた「小谷城の戦」の場である。堅牢な山城ながら、中央の京極丸を秀吉の奇襲で奪られ、父の久政が居する小丸、そして本丸と攻め奪られた。義兄・信長との確執、その妹で長政の妻であるお市の方との悲劇の舞台としても伝わっている。

城郭は小谷山一帯の2つの尾根筋を利用して、様々な郭が配されている。琵琶湖湖岸の平野にそそり立つ山を駆使しており、まさに山岳要塞の様相だ。クルマで登れた金吾丸まででもかなりの高さで、この先の番所付近から近江平野と琵琶湖、竹生島が一望できた。本丸跡までは駐車場から400メートルの登りで、御茶屋、馬洗池のある御馬屋、桜馬場と一段ずつ進む。石が崩れたような歩道が、廃城の侘しさを伝える。

黒金門を過ぎて広がる広めの敷地は、城の中枢的建物が集まっていた「大広間」で、最大の広さの郭だった。その一段上が本丸だが、天守閣はなく鐘楼と櫓が設けられた程度だった。地形が険しいため、建造物の防御制はさほど必要なかったのかもしれない。

本丸は最高所ながら、周囲は木が生い茂り展望はまったくなかったのが残念。落城後に伸び育った樹林に、兵どもの夢のあとの余韻を感じてならない。

サラダパン@木之本

2016年06月25日 | 旅で出会った食メモ
東の鯖街道・若狭街道ドライブは、熊川宿からは琵琶湖へ方向転換。今津を経て余呉湖と琵琶湖との間をすり抜け、木之本宿へ。北国街道の湖北の宿場町で、駅前から街並みが整備され木之本地蔵院まで参道のように延びている。

ここのお目当は、つるやのローカルパンの「サラダパン」。なんだキャベツ入りか、ポテサラ入りかと思うだろうが、コッペパンに挟まれているのはなんと、タクアン! 細かく刻んでマヨネーズと和えてあり、かぶりつくとパリパリとやかましいこと。乳酸菌の発酵臭とモワッとした香りが思いのほかマヨと合い、コショウのパンチも効いている。これはアリだ。

このパンは1951年の創業以来のロングセラーで、マヨネーズを生かしつつ体に負担のないよう、元々はキャベツの千切りを挟んでいたそう。であれば正しくサラダパンなのだか、量産するようになりキャベツは水分が出て長持ちしないことから、代替で入れるものをタクアンにしたことからややこしくなる。パッケージの黄色もタクアンではなく、そもそもはマヨネーズの黄色だったとか。

謎が謎呼ぶこのパン屋、ほか魚肉とマヨのサンドイッチとか、バタークリームとゼリーのサンドパンとか、謎メニューがまだあるそうな。サラダパンのロゴTシャツもあるとかで、感心しつつ本陣薬局の古い薬看板が掲げられた縁台に腰掛け、ポリポリ、パリパリ。