鯖街道から琵琶湖湖岸のドライブ、行きたかった小谷城跡にリクエストして寄ってもらった。近江を治めていた浅井長政の居城で、信長に攻め滅ぼされた「小谷城の戦」の場である。堅牢な山城ながら、中央の京極丸を秀吉の奇襲で奪られ、父の久政が居する小丸、そして本丸と攻め奪られた。義兄・信長との確執、その妹で長政の妻であるお市の方との悲劇の舞台としても伝わっている。
城郭は小谷山一帯の2つの尾根筋を利用して、様々な郭が配されている。琵琶湖湖岸の平野にそそり立つ山を駆使しており、まさに山岳要塞の様相だ。クルマで登れた金吾丸まででもかなりの高さで、この先の番所付近から近江平野と琵琶湖、竹生島が一望できた。本丸跡までは駐車場から400メートルの登りで、御茶屋、馬洗池のある御馬屋、桜馬場と一段ずつ進む。石が崩れたような歩道が、廃城の侘しさを伝える。
黒金門を過ぎて広がる広めの敷地は、城の中枢的建物が集まっていた「大広間」で、最大の広さの郭だった。その一段上が本丸だが、天守閣はなく鐘楼と櫓が設けられた程度だった。地形が険しいため、建造物の防御制はさほど必要なかったのかもしれない。
本丸は最高所ながら、周囲は木が生い茂り展望はまったくなかったのが残念。落城後に伸び育った樹林に、兵どもの夢のあとの余韻を感じてならない。
城郭は小谷山一帯の2つの尾根筋を利用して、様々な郭が配されている。琵琶湖湖岸の平野にそそり立つ山を駆使しており、まさに山岳要塞の様相だ。クルマで登れた金吾丸まででもかなりの高さで、この先の番所付近から近江平野と琵琶湖、竹生島が一望できた。本丸跡までは駐車場から400メートルの登りで、御茶屋、馬洗池のある御馬屋、桜馬場と一段ずつ進む。石が崩れたような歩道が、廃城の侘しさを伝える。
黒金門を過ぎて広がる広めの敷地は、城の中枢的建物が集まっていた「大広間」で、最大の広さの郭だった。その一段上が本丸だが、天守閣はなく鐘楼と櫓が設けられた程度だった。地形が険しいため、建造物の防御制はさほど必要なかったのかもしれない。
本丸は最高所ながら、周囲は木が生い茂り展望はまったくなかったのが残念。落城後に伸び育った樹林に、兵どもの夢のあとの余韻を感じてならない。
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