ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

杉長旅館@京都

2016年06月24日 | 宿&銭湯・立ち寄り湯
鯖尽くし京都の旅の宿「杉長旅館」は、割とよく利用する和風旅館。比較的空いてること、値段が安いこと(今宵は5000円)、そして京都らしい宿なこと。町屋風情とかでなく修旅御用達という意味で、造作もそれらしいレベルなのが落ち着ける。

実は自分も、中学の修学旅行で泊まっていた。ある意味、わが京都旅行のルーツの宿か?

ローカル魚でとれたてごはん…京都・河原町出水町 『旬菜あだち』の締めサバサンドイッチ

2016年06月24日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
若狭の各地から京に至る鯖街道は、朝廷への献上品を運んでいた記録が残っている。西の鯖街道は鷹ヶ峰から京都御所まで至っており、東の鯖街道・若狭街道の終着点である出町柳も御所のすぐ北側。海のない京の都において海の幸は貴重な献上品で、小浜で揚がった一汐ものの魚介は宮中で珍重されたという。塩サバも天皇へ献上されたとあり、現在の大衆魚的位置付けからするとちょっと驚くべき話である。

鯖街道の起点探訪で出町柳を巡った晩、御池通界隈にとった宿から今宵の一献の店を探し歩くと、丸太町通で御所の石塀に突き当たった。界隈には町屋を利用した、居心地のよさげな飲食店が点在。この近辺で店を決めるのも、街道の終着点つながりになりそうだ。構えのたたずまいに惹かれ、出水町の「旬菜あだち」の戸をくぐる。町屋をリノベしたフロアは、広いオープンキッチンのまわりに長めのカウンターが巡らされ、親父さんが一人で調理接客を切り盛り。愛想はないが、職人気質の締まった空気感は悪くない。

カウンター上の大鉢から、万願寺とうがらしとジャコの和え煮が突き出しで出され、返すように酒と焼きしめサバを注文。かなりしょっぱ目なのに加えて薬味のショウガがビリビリ辛く、伏見の斉藤酒造「英勲」辛口が勢い進む。サバは酢締めというより塩締めのような印象で、御所に近いこともあり献上の塩サバを思い出す。アジ・小鯛・カレイなどが揃う干物からメギスを頼むと、干物らしからぬ厚みと身の太さ。塩加減と干し加減がいいから、白身の旨味が鮮明に浮き上がっている。「小浜直送」との添え書きに、これまた若狭の一汐ものの献上品に所以するような。

寡黙な親父さんとは依然、会話がまったく弾まず、焼きしめサバを褒めると「…ありがとうございます」のみで板場へと戻っていく。とはいえ、一見客へのハードルが高い京都の小ぶりな飲み屋にて、適度に放っておかれるのはかえって居心地のよさを感じる。ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」、ミニー・リパートン「ラヴィング・ユー」といったオールデイズも、店の雰囲気に妙にマッチ。一品料理は本格的京料理の流れを汲んでおり、舌休めのひろうず煮はさっぱり、ふわりと炊け上品なダシにホッとする。

そして入店時から気になっていた品書きの一品を、最後にオーダー。締め飯・麺ならぬ「締めパン」に、なんと締めサバのサンドイッチだ。カウンター越しに板場を眺めると、まず冷蔵ケースから出したサバの三枚おろしを、さらに半分にスライス。焦げ目がつくぐらいカリカリにトーストしたパンが焼きあがると、マヨネーズをさっと塗り大葉をのせ、サバをのせ挟んだらできあがりだ。

六等分に切ったのをまず一切れ、すると驚くばかりの未知なるうまさに絶句! ザクッとしたトーストの歯ごたえと、サバのこっくり柔和な食感が邂逅。それが大葉のスパッと切れ味よい爽やかさで、さらなる覚醒を呼ぶ。パンの程よい焦げ目の香ばしさと、サバの身の脂甘さとキリキリのしょっぱさ。加えてマヨネーズのコクとサバの脂の相乗。これぞ街道の終着点ゆえ、物資の集積地なるマリアージュ、いや京料理になぞらえ「出合いものの妙」とまとめるべきか。

文字通り宴の「締めのサバ」のつもりが、酒を呼ぶサンドイッチのようで三たび「英勲」へとリターン。注ぎにきてくれた親父さんに、勢い込んでサンドイッチの最大級の賛辞を伝えたところ、「おおきに」とようやく笑顔を見せてくれた。サバづくしの京の旅、珠玉絶品のサバ料理とともに更ける、御所そばの粋な店での一夜である。

ローカル魚でとれたてごはん…京都・上賀茂神社 『今井食堂』の、サバ煮定食

2016年06月24日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
福井県の若狭地方から京都まで物資を運搬した街道は、 俗に「鯖街道」と呼ばれる。名の所以が、主たる荷が若狭湾でとれたサバだったからなのは言うまでもない。保存のために塩をしたサバを担った行商人が、山間を峠越えしながら行くこと一昼夜。京の都に着く頃には適度な経過時間と人の背の体温のおかげで、程よく塩がまわり熟成されたことから、味の良さが評価され珍重されたと伝わる。鯖寿司をはじめとした鯖食文化が、海なしの京都に根付いている所以でもある。

その鯖街道、ひとつの道のみの指すのではなく、若狭から京都に至る荷運びに用いた街道の総称である。「東の鯖街道」と称される若狭街道は、小浜から熊川〜朽木〜花折峠を経由するメインルート。ほか最短経路の針畑峠越えルート、鞍馬街道へ至るルート、堀尾峠から高尾に至る周山街道ルートなど、まさに網の目のように経路が錯綜している。市街には京側の終点がいくつかあり、遺構や老舗の料理屋も残るところも。これらはいわば、京都の魚介の物流拠点でもあるのだ。

東の鯖街道・若狭街道に対する「西の鯖街道」は、若狭湾の西端に位置する高浜漁港を起点に、大飯町から美山町を経て北区鷹ヶ峰付近に至るルートである。東の鯖街道の終点・出町柳を訪ねたので、西の街道の終点にも表敬したいところだが、京都駅を昼前発のバスに小一時間揺られて目指した先は、鷹ヶ峰のやや東寄りにあたる上賀茂神社。神饌にサバが供されているとか、葵祭とサバ食の関わりとか、サバとの所以に惹かれた、と言いたいところだが、本命は別のサバネタにある。参拝もそこそこに足は境内の西脇の道へ、お目当ての白い暖簾が下がる小さな店のまえには、すでに地元の昼食の客で行列ができ始めている。

「今井食堂」との飾り気のない屋号の通り、町の食堂的雰囲気のこの店。場末っぽいのにウマイ店を取り上げた、テレビのバラエティーでも紹介されたこともある、ローカル風情あふれる店である。小綺麗にリニューアルされた店内にはテーブルはなく、壁向きに据えられたカウンターについているのは地元客ばかり。面壁して黙々と定食に対峙しているのが、どこか禅道場のようでもある。品書きを見るまでもなく、オーダーはハナから「サバ煮定食」一択。壁に貼られたメニューの手書きイラストの、ざっくり感が微笑ましいこと。

一般的にはサバ煮といえば味噌味だろうが、ここのは醤油煮なのが珍しい。出された盆には大振りの茶碗飯に味噌汁と自家製の漬物が並び、金属の皿には黒光りするサバの身が3切れ、たっぷりの煮汁に浸っている。箸がかかった瞬間に崩壊するほどやわやわの身は、かもうとすると歯がスッと沈むほどの無抵抗さ。シルキーな舌触りからバラけた繊維の一本一本にタレが芯まで染み、青魚の旨味を寸分残さず引き出され涙ものの旨さだ。3つの切り身それぞれ部位が異なり、真ん中のは皮目の脂がごってりコクがあり、煮込まれたおかげでくどさがない。もうひと切れは胸ビレのカマだが、口にした途端にホロリと崩れる柔らかさ。それぞれ異なる食味が楽しめるのも嬉しい。

町屋造りの老舗の料理屋や団子屋の並びにあり、知らなければ見逃してしまいそうなこの店。定食は周囲に数校ある大学の学生を相手に30年ほど前からやっており、サバ煮もその頃から出しているという。柔らかさの秘訣は、三日間時間をかけて煮込むこと。醤油とみりんベースの煮汁は当時から継ぎ足して使っており、ザラメを加えどっしり濃厚な味わいに仕上げるのが、やみつきになる常連客を生み出してやまない味の秘訣なのだとか。皿に残った煮汁がもったいなく、残り少ない身にしっかりからめ、さらに身の細切れと一緒にご飯にかけ、残さずいただいた。

支払いをしながら店のおばちゃんに、西の鯖街道の話をしたところ、店の前の府道61号線も小浜方面へのびている、とのことだった。通りに出て北方を望むと、上賀茂神社の御神体で神様が降臨したという、その名も神山がそびえるのが臨めた。神様のおわす山を越えて、御食国の若狭へ至る道。絶品のサバ煮にも心揺さぶられたこともあり、西の鯖街道よりはちと東側ながら、こちらも私的な鯖街道に入れさせてもらおうか。