暇人詩日記

日記のかわりに詩を書いていきます。

ヘンゼル

2010-08-05 | -2010
私は流れを忘れてしまった
取り残されたと思いながら
冷たい気流の中にいる
ちらばる小石は私の小石
ぼろぼろ落ちては見えなくなった
見ることさえも落としたのだろう
ぷかぷか浮いているようで
たぶん流れをさまよっている

時計が止まれば息は詰まり
時計が進めば息絶える
逆に回すねじはない
それはおそらく小石とともに
どこか遠くへ流された
それは私が知らない遠く
知っていたなら近かったはず
けれども私は今は知らない
止まった流れの中にいる
流れていても止まっている
肌が流れを感じないなら

私は流れを忘れてしまった
大事な大事なものでさえ
ポケットなんかに入れていたから
するするすると出ていった
私はぷかぷか流れている
流れていると考えている
流れていないと感じているのに
流れていると考えている
けれどもきっとそろそろ終わる
時計は止まりもしなければ
逆には決して戻らない
一本一本刻みながら
けれども刻まずうごめきながら
絶対に 絶対に進んでいく
私はポケットにすべて詰め込んだ
底に残った大事なものも
最後の最後の大事なものも
私のあずかりしらないところで
ふわりと舞って去っていく
たぶん流れをさまよう私は
時計が進めば息絶える

熱中症

2010-08-02 | -2010
じわ、じわ、じわ
大気の熱が血流を沸騰させる
痛みのない光は干からびた木々を焦がし
くすぶる火種に降りそそがない滴
あるはずのない炎は燃え盛らないはずだった

断続的な悲鳴も知らぬ間に途切れ
今度は近くから耳をくすぶる
転がり落ちるちいさな死者もまた
そこからでもどこからでも

声を聞いている
あるいは耳を塞いでいる
力ない指先が固まっていくさまを
かさついた唇がそれきりにつぶやいた言葉を
見ることなどできないと目を伏せれば世界が消える
目と耳と口と鼻を塞ぎ
くぐもった悲鳴が消えることを望んだとしても
じわ、じわ、
死者を殺すことはできない
死者をえらぶこともできない
丸まった背中には泡立つ血潮がながれている

わたしは意味のない死を望まなかったのです

2010-05-28 | -2010
 子牛が何時間も格闘し、羊水を滴らせ生まれてきた。

 食べられた。

 子牛が両親の助けを求めながらあがき、震える足で初めて地に足を立てた。

 食べられた。

 子牛が母親の乳を飲み、育ち続ける骨肉をしならせはねまわり始めた。

 食べられた。

 子牛が歯を使い草をちぎり、その苦さを何度も何度も味わった。

 食べられた。

 子牛が母親と並んで歩けば、いつしか母親を見下ろすほどになった。

 食べられた。

 子牛が愛しいものと出会い、母親のように子をはらむようになった。

 食べられた。

 子牛が皮のたるんだ己の体を知り、衰えていく体を見つめ、それでも草を食んだ。

 食べられた。

 子牛がやがて仕事を果たさなくなり、ただ食べるだけになった頃、子牛は学校へ送られた。

 食べられなかった。

それでも孤独

2010-05-20 | -2010
たとえば悲しくなった時
床にうずもれて泣きたいと思う
不確定なかたまりがうごめく
土の世界から切り離されたいから

けれど床にうずもれることはできず
私は私の中心から離れることもできず
ただただ淀んだ涙を流す
悲しみが一緒に流れるための水も
取り囲むかたまりがさざめいたなら
ただ蛇口をひねるのと同じ

時に大きな生き物のように
一つとなり人間を呑み込むもの
時にかたまりから姿を固め
人間のように話しかけるもの
たとえば悲しくなった時
人間のさざめきは大きな生き物に見え
ここではないどこか
深く沈められる場所を考える

当たり前のことがふいに見えなくなったなら
私は私の殻を脱ぎ捨てるのだろうか
鏡を見ては安心し
鏡を見るのをひどく恐れ
時に異物に見える他人を排斥し
孤独に泣く愚かな一個の人間でさえ
殻は見えてはいないのかもしれない
けれど私には鏡が見える
そして私には他人が見えない
ある時、ある時には
だから私は
深く深く床にうずもれて
たった一個の人間を抱く
悲しくなって流す涙には
尽きない淀みがあったとしても

戻れない帰れない見つからない

2010-04-10 | -2010
私は今、
(帰ってきている?)
(遠い場所にいる?)

おぼつかない空間のすきまで
適応できなくなった魚のように揺れている
逃げるように地中へもぐれば
より一層と足は宙を掻いた

人はいずれ変わるという
けれど人並みは変わらない
街並みはいずれ変わるという
変わったからこそわからなくなる
人はいずれ変わるという
いずれといわず知らずに変わる

バスに揺すられ
視線に揺すられ
自意識は揺れ
見えない地面にこころが揺れる
日の当たる隙間に咲いた
背の高い鈴蘭はどこから来たのだろう
しなびて枯れても毒は残るか
日陰へ逃げ帰る私の道には
点々と水が滴っていた

私は今、
(帰ってきている)
(もう還れはしまい)
(遠い場所にいる)
(近い場所さえ掴めないのだから)

鈴蘭が枯れるより早く
水はすぐに乾いた

見えないということ

2010-03-09 | -2010
見えないということ
それは:存在しないということ
:存在されないということ
たとえばあなたやわたしの中に
小石は記憶に刻まれないということ

見えないということ
それは:時には見ようとしていないと
誰かに言われてしまうこと
けれど見ようとしていないことと
見えないということは同じこと

見えないということ
それは:否定しているということ
:打ち消されているということ
何かが見えないことよりも
真っ暗な世界のほうが肯定されるということ

見えないということ
あなたにわたしは見えないということ
わたしにあなたの
知らないところは見えないということ
それは見ようとしていないという過程を経て
結局はただ見えないことだけが残る
わたしにとってあなたの見える部分
それ以外はすべて
見えてはいない小石と同じということ
そして見えないということは
決して見えることはないということ
もし見せることができたとしても
わたしの中にむなしい小石が転がるだけ

働きたくない

2010-02-14 | -2010
あなたは誰ですか
わたしは固定された物体です
あなたもそれぞれの定義のなかで
おのおの固定された物体たちでしょう
その中にあなたやわたしという自我
つまりは魂とよばれるものが入り込んだ
正しくは魂とよばれるものは
固定されるときにすでに
定着されていたものなのかも
けれど鶏が先か雛が先か
そんなことはどうだっていいのです
わたしという自我は目覚めたときから
現在というポイントにあたるまで
ゆらぎながら少しずつほかやみずからを
けずりつつ存在してきました
あなたの自我をわたしは知りたい
あなたたちの自我をわたしは知りたい
知らなければならないと思う
固定された物体に宿る
うつくしさやくるおしさを感じる
自我という不確定で確定されたもの
考えれば考えるほどに
確定されたはずの自我はゆらいで
物体の実在さえあいまいに感じていきます
あなたたちの魂とよばれるそれらは
どうしても実体を持った肉体と
「うつくしく」固着されているように
思えてしかたがないのです
あなたが誰なのか
どうかわたしに教えてください
消え入りそうなわたしの自我は
それでも消えることはないわたしの自我は
あなたたちをどうしようもなく
求めているようなのですから