1915年の5月9日、中華民国政府は日本からの対華二十一カ条要求を受諾しました。
主な内容は第一次大戦までドイツが山東省に有していた権益を日本が引き継ぐこと、満州鉄道の権益を99年間日本が独占すること、中華民国政府に日本人顧問団を置くことなどで、中国人は大いに憤慨し、この日を国恥記念日として記憶に刻み、いつの日か復讐をと誓ったようです。
当時の常識からみれば、帝国主義列強は多かれ少なかれ日本が要求したような権益を中国に対して保有していました。
だからこそ、上海には日本租界、フランス租界、英国租界、米国租界などが存在し、それら様々な異国情緒あふれる地域を舞台に、浪漫的な芸術や文学が生まれたというわけです。
現代の中華人民共和国は、中華民国とは縁もゆかりも無い、というより敵対してきた、ということを建前にしていますから、国恥記念日だからと言って派手に騒ぐこともありませんし、また現在中華民国を名乗っている台湾も、その親日的な国柄ゆえか、とくだん問題視することもありません。
しかし私は、当時の軍事力の差から、日本からの強引な要求を飲まざるを得なかったことをもって、これを国恥記念日として記憶しておこうとした中華民国の人々の根性を見習わなければならないと思います。
8月15日を敗戦記念日ではなく終戦記念日と呼んだり、9月2日の米戦艦ミズーリ号で行われた大日本帝国降伏文書調印の日を忘れてしまうどころか、旧敵国の総大将である連合軍最高司令官マッカーサー元帥に対する感謝決議なる珍妙なものをわが国の国会は採択してしまいました。
旧敵国の総大将に感謝するとは何事ですか。
恥を知りなさい。
マッカーサーがどんな執政を行ったとて、結局はすべて米国の利益のためであるに違いないのですよ。
日本人はどうもあっさりしているようで、何事も水に流すのがお好き。
しかし世界を見渡せば、イスラム教徒とユダヤ人は千年以上に渡って敵対し、今も流血の惨事が後を絶ちません。
インドとパキスタン、北アイルランドの祖国復帰運動、アフリカ各地の部族闘争など、なかなか水に流すというわけにはいかないというのがむしろ世界標準。
自ら争いのネタを作ることはありませんが、8月15日と9月2日くらいは、わが国が解放されたおめでたい日などでは決してなく、国家として恥辱を受けた日として記憶したいものです。
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