ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

可能性の冒険

2016年08月16日 | 思想・学問

   400年も生きるサメの存在が確認されたそうです。
 400歳ですよ。
 驚愕です。

 で、大人になるのに150年もかかるそうです。

 よく、鶴は千年亀は万年なんて言いますが、実際は鶴で80年くらい、ゾウガメで200年くらいの寿命だと聞いたことがあります。
 400歳とは信じがたいですねぇ。

 大阪夏の陣で豊臣家が滅んだのがおよそ400年前ですから、そんな昔からこの世を生き抜いているのですね。

 犬の寿命は10数年と言います。
 人間は80年くらい。
 
頑張っても100歳をやっと超えるくらいでしょう。

 そう考えると、寿命というものが持つ意味も、なんだか空しい感じがします。

 健康で長生きしたいというのは多くの人が持つ願望でしょうが、まさか150歳まで生きたいと考えている人はいないでしょう。

 しかしそのサメにしてみれば、150歳なんてやっと大人になった青年と言ったところ。

 ただ、宇宙のあまりにも長い歴史を考えてみれば、400歳も80歳も大差ありますまい。
 まさに一睡の夢というべきでしょう。

 その一瞬のような生を、私たちはほとんど無意味に過ごしています。

 もっとも、何が無意味で何が有意義なのかはそれぞれの気持ちしだい。

 金儲けこそ意味があると思う人もいれば、出世が生き甲斐という人もいれば、平凡な小さな幸せこそ人生の極意と思う人もいるでしょう。

 人間、立って半畳寝て一畳
 その程度の住居があって、食うに困らなければ、まずまずと言うべきでしょう。
 もちろん、私はそんな狭い家嫌ですが。

 そうなると、それぞれが考える幸福を追求する他ありません。

 で、私は本当のところ何を望んでいるのでしょう?

 最近、それが分かりません。

 食うに困らぬ収入があり、マンションとはいえ二人住まいには十分な広さの持家があり、良好な関係の同居人と日々を楽しく過ごしています。
 ずっとこのままでいられればそれで良いのではないかという思いと、何かが欠けているという思いが交錯しています。

 足りない何かとは、おそらく人が自己実現欲求と呼ぶものなのだろうなと、ぼんやり推測しています。

 マズローは、欲求を以下の5つの段階に分け、最下位の欲求を生理的欲求と名付けました。
 要するに食うとか寝るとか言うことですね。

 ①生理的欲求 
 ②安全の欲求 
 ③社会的欲求 / 所属と愛の欲求
 ④承認(尊重)の欲求
 
⑤自己実現の欲求

  ある欲求の段階が満たされれば人は次の欲求を持ち、最後の欲求として自己実現の欲求が現れる、という理屈です。

 コリン・ウィルソンは、自己実現の欲求が満たされた状態を、至高体験と呼び、この体験をこそ、人生の究極の目標と考えました。

至高体験―自己実現のための心理学
由良 君美,四方田 剛己
河出書房新社

 やや宗教的な感じもしますが、例えば今行われているオリンピックで、最高の試合ができれば順位なんてどうでも良いと考えている選手の場合、最高の試合の末、最下位だとしても、それは至高体験だと言えるでしょう。

 自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものになることこそ、自己実現であり、至高体験です。

 私もかつて、せっせと主に短編小説を書いていましたが、満足のいく小説が出来上がった時の喜びは半端ではなく、例えそれが誰の目にも触れなくても、一種の自己実現を、そして至高体験を味わったのだろうと思います。

 今の私に決定的に欠けているものです。

 ではまた小説を書けば良いではないかと言われそうですが、気力体力衰えた今、それは私にはあまりに酷というものです。

 何か代替の自己実現の方法を見つけたいと切に願います。
 働きながらでも続けられる、至高体験への道を。

 400年生きるサメよりも、80年の人間で良かったと思えるような何か。

 きっと何か、これからでも自己の可能性を探る冒険を始められるのではないかと期待しています。

 
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