気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

日の出は裏切らない

2007-07-10 20:44:56 | 気気

 日の出はいつ見ても美しいものです。まったく雲の無い地平線から昇ってくるのはもちろん、雲の隙間から陽が射すのもまた美しいものです。雲が多かろうと少なかろうと、日の出はいつでも感動的です。

 気気もよく似ています。誰と組んでも、それなりに満足できるものです。日の出もそうですが、気気も飽きることはありません。雲の形が毎秒変わるように、人もまた変化し続けているからです。その変化しているものをすべて受け入れようとするときに、人は安心するのではないでしょうか。


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愛情は無くても気気はできる

2007-07-05 20:01:18 | 気気

 人に親切にされると嬉しいものです。お店や何処かの会場などで親切に応対されるのは気持ちが良いものです。これは自分の『存在』を認められたカンジがするからでしょう。

 気気の会では、特別に親切にしたりされたりはありません。ただ人と、しっかりと向き合います。手をあてるときには、人としてきちんと扱います。余分(過剰)な親切など無くても、『存在』を認め合えれば良いのです。きちんと『手をあてること・手をうけること』は、互いに『存在』を認め合うことになります。

 また、わざわざ「親切にしてあげよう」などと愛情を作る必要はありません。愛情など無くても気気はできます。ココロを超えた所で気気をしているのですから。


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気気は 『球拾い』

2007-07-01 21:44:20 | 気気

 気気は『球拾い』とよく似ています。打ったり、投げたりするのには技術が要りますが、『球拾い』は誰でもできます。足が遅くても、反応が鈍くてもできます。

 中学一年生の頃、私は『球拾い』でした。ファールボールや遠くへ飛んでいってしまったボールを拾いに行きます。私はそれがイヤではなく、むしろそこが自分にとって安心できる場所でした。打ったり投げたりすることが下手だったので、『球拾い』ならば、恥もかかず、失敗もしないので怒られずに済むと思っていたのです。

 技術には上手い下手があり、競争があります。それは比較・分別の世界です。日常生活のほとんどは、比較・分別の世界ですが、しかしそれだけでは、どうも落ち着きません。「比較しない」、「分別しない」、そういう所もないと安心できません。『球拾い』のように誰でもできるもの、気気はそういうものです。 

 ホームページは http://www5.ocn.ne.jp/~kiki14/    


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