「キチンと立つ」練習のときに、「自分も含めてすべてのものが一つにつながっている」とイメージします。ところが人によっては、このようにイメージすることはとても難しいといいます。すべてのものが一つになっている状態を、禅では「空」、老荘では「道」・「渾沌」と呼びます。一つですから、個々が単独で存在していません。
わかりやすく例えれば、カレーを煮込み過ぎて、ジャガイモやニンジンなど具の形がなくなっている状態、具はすっかり溶けてしまい特定はできませんが、内容(成分)は鍋の中に残っています。このような渾沌とした状態が、「ひとつ」になったイメージです。
しかし実際の練習(日常の各々の場面)は、煮込み過ぎたカレーとは違い、イメージするモノの形は崩れることなく明確にあります。それらの物ものを、形が変化することなく、周りと一体化しているように想像するのです。部屋の中で練習する場合、床や天井、壁や窓も目に見えたとしても、それはそれぞれが単独で存在しているのではないと考えます。
常識的には、見えているものは「ある」と考えます。まして触れることができれば、どうしたって「ある」のです。それを「無い」と考えるのがここでの練習です。名前や概念を否定して行くような方法もあるのですが、今はもっと簡単な「透明」のイメージで」練習しています。自分も透明で、他の人や物ものも透明だと考える。そうすると「透明」は輪郭を持たないから、結果的につながって(一つになって)しまうのです。