T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! -2/6-

2013-12-24 16:29:06 | 読書

(あらすじ)

 新五郎を愛しく思いながら女郎になる村の娘・さとに関連した部分は省略した。

(1) お役御免で弟に家督を譲り、「襤褸蔵」と呼ばれて堕ちゆく櫂蔵が

   娼婦・お芳と懇ろになる。

 お芳は、襤褸蔵と綽名される客の伊吹櫂蔵と共に酔って、自分の店の飲み屋の寝床に入る前に、お芳が、昔、慕っていた若い藩士・井形清四郎のことを話し出した。

 その藩士はお芳を弄び、金を貢がせて、江戸詰めになった際に、それがしの妻になれると思っていたのかと笑われた。その後、清四郎の差し金で、彼の悪友に、身体の具合が良いと言っていたなどと馬鹿にされて弄ばれそうになり、裸足で逃げた。私が、言い寄ってくる男達に体を売るようになったのは、それからです。部屋の隅の暗闇を見つめて、「落ちた花は、二度と咲けやしません」と呟いた。

 歩きながら、昨夜のお芳の「落ちた花……」の言葉を思い出した櫂蔵は、胸に苦しい思いが湧いた。

 

 3年前、櫂蔵は、狷介さゆえに役目をしくじりお役御免となり、昔、水夫頭をしていた宗平の世話で漁師小屋に住み、実家から送られる僅かな金がある限り、お芳の店で酒を飲み、安旅籠゛で博打をして過ごしていた。

 いつも人を見下ろした物言いに「襤褸蔵」と呼ばれ、宗平の他に自分を庇ってくれるものが誰もいない衝撃に、時に気の荒い漁師たちと喧嘩騒ぎを起こす無頼な暮らしで、ある時、櫂蔵は酒で正体を失い、やくざ者たちに縄で体を縛られ海に放り込まれたが、ようやく縄をといて浜に辿り着いた。しかも、住み家の漁師小屋も焼かれていた。

 宗平が、急ぎ、「その後の住み家として世話してくれた廃屋同然の漁師小屋の中を、侘しく照らしている月の光に、櫂蔵はどこまでも堕ちていくと感じた。武士としての矜持も失い、ただ地を這いずり回って虫のように生きていくのかと思っていた。」

(2) 櫂蔵とよく似た境遇の俳諧師・咲庵と知合う。

 翌朝、櫂蔵は、浜辺で元気のない俳諧師の咲庵に会った。駆け落ちして一緒になったにもかかわらず捨てた女房が死亡したことを、江戸の息子から知らせて来たとのことだった。

 櫂蔵は、咲庵とお芳の店で知合いになって、店で会うたびに酒を奢られ、旅の四方山話を聞かされていた。

 気分が優れぬ咲庵は、波しぶきに眼をやりながら、次のような事を話し出した。

 三井越後屋の大番頭時代は、周りからちやほやされていて、人の気持はもちろん女房や息子の気持を思いやる心なども全くなく思い上がっていた。

 10年前に、ある日、突然、番頭の仕事が嫌になりました。ただの怠け心だったような気もしますが、生きていくことの意味は金儲けにあるのでなく、この世の美しさを味わうことにあると思うようになり、俳諧師が自分の進むべき道だと思ったのです。

 しかし、「60年近くまで生きて、ようやく私は何も持っていないことに気付いた。今になってみれば、独りで生きるのは骨身に応えます。誰からも頼りにされず、思い出してくれる者もなく、私の勝手のせいで、女房も私と同じような思いを抱きながら亡くなったのだと思います。今、聞こえる海鳴りの響きが、死んだ女房の泣き声に聞こえるのです。私の耳には死ぬまで聞こえるのでしょう。」

(3) 新五郎が勘定奉行に騙されて、天領日田の掛屋からの借金の責めを負い切腹する。

 10日後の昼間、櫂蔵の弟・新五郎が漁師小屋に櫂蔵を訪ねて、仔細があって、家伝の品を処分しなければならなくなり、得た金が3百両になったので、僅かだが、なんとしても受け取っていただきたいと紙包みを置いて帰った。

 その夜、櫂蔵は、紙包みに入っていた3両を酒と博打に使い果たした。酔いがさめた帰路の浜辺で、思いつめた顔をした新五郎に何があったのか訊きもせず、嫌味を言って金を受け取ったことに、悔恨で胸が張り裂けそうになった。

 翌日、宗平が新五郎の切腹を知らせに来て、櫂蔵は一目散に駆けて屋敷に向かった。ひと目会わせてくれと言う櫂蔵の願いも、継母の染子から断られ、新五郎は介錯もなく独りで自決したが、藩には病死と届けたと言って、新五郎からの遺書だけを差し出された。

 小屋に戻って開いた遺書の中味は、「新田開発並として初めて御前に出たところ、天領日田の掛屋・小倉屋義右衛門から藩政改革のための金を用立ててもらう交渉を行うようにとの御下命があり、半年ほどかけて漸くに5千両の借用ができ、小倉屋殿も殿から懇ろな挨拶を受けられた。しかし、新田開発工事の許しが出ないので、家老に聞くと、江戸屋敷の出費がかさみ全額江戸表に運ばれたとのことであった。藩からの返金の目途が立たず、掛屋との間で話を纏めた個人の仮証文での借金となっているので、切腹せざるをえない仕儀になった。仕掛けられた罠を見抜くこともできず、恥をさらして家名も傷つけてしまいました。何卒お許しください」とあり、遺書の末尾のほうの文字が、血に滲んでいるのを見て櫂蔵は慟哭した。

(4) 櫂蔵は、海で死のうとした自分を助けてくれたお芳を愛していることを知る。

 櫂蔵はお芳の店で苦い酒に溺れて、咲庵に、弟が切腹して果てたと呻くように言った。

 しかし、その切腹を嘆いているのではない。藩政改革のために使う金だからと、日田の掛屋から借り出すように弟に命じ、5千両駆り出させたが、藩は改革のために使うつもりはなく、弟に責めを負わせて踏み倒すつもりだった。それを知った弟は家財を売り払って、僅かだが、297両を返済して腹を切った。そり前日、端数の3両を私に渡しに届けに来た。「その金を、何も聞かずに嫌味を言いながら貰って、一晩で使ってしまった私が許されないのだ」と櫂蔵は言う。

 お芳は、今さら善人面しても仕方がない、ただ後悔するだけじゃ、弟様も浮かばれませんよと言う。

 櫂蔵は今夜は帰ると、波打ち際に向かって歩き出した。

 「死にたいと思ったわけで出なく、ただ、この世から消えたかったからだ。私など、この世にいても何の役にも立たぬ。人に嫌われ、迷惑がられるだけなのだ。この海に溶け込むように消えてしまえば、きっと楽になる。自分が居なくても本気に嘆いてくれる者など誰もいないと思いながら沖に向かった。」

 腰のあたりまで浸った時、死んでは駄目と女の声がして背後から抱きしめられた。

 お芳は櫂蔵の背に顔を押し付けて、「どんなに辛くても自分で死んじゃいけない。そんなことしたら未来永劫、暗いところを亡者になって彷徨わなきゃならなくなる。辛くてもお迎えが来るまで頑張って生きたら、極楽の蓮の上で生まれ変われると祖母が言っていた。自分で死んじゃいけない」と声を震わせた。

 櫂蔵は体を回してお芳の肩を抱き寄せた。

 翌朝、小屋でお芳の寝顔を見て、櫂蔵は、お芳への思いに心の繋がりが、いつの間にか生まれていて、それが深まっていることをはっきり感じた。

 その時、外に宗平の声がして、小屋の近くの松林まで案内された。そこに、勘定奉行の井形清左衛門が立っていて、「母上からは断られたが、忠誠を尽くした新五郎に代わり、新田開発奉行並として励めとの殿の内意である」と言った後、出仕する心が決まったら、それがしの下に参れと伝えて去った。

 宗平がようございましたねと言うが、櫂蔵は、新五郎が切腹したのには理不尽な仔細があり、儂の登用にもうらがあるようだし、継母上もそう言われていると答えた。

 小屋の中に入るとお芳の背中になぜか緊張した気配が漂っていた。お芳が、おの方が私を捨てた井形清四郎ですと言う。櫂蔵が憎くはないのかと聞くと、何とも思っていないと、うつむいて頭を振り戸口から出て行った。

 

                          次章に続く

 

 

 

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