T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! -5/6-

2013-12-28 10:20:40 | 読書

(19~22) 播磨屋庄左衛門との面談。

 櫂蔵は4人の下役に、小倉屋が、唐明礬輸入金の件を、西国郡代を通じて老中への話を手助けしてもよいと言ってくれたことを知らせた。といっても、肝心の5千両を取り換えさせないと、どうしょうもないので、播磨屋の蔵にあると知っておると臭わせるために博多行ってみたい言うと、半兵衛が村の娘が博多の遊里へ売られておるという噂を調べることにしたらと助言したので、それを理由にして清左衛門の許しを得て、信弥と半兵衛、咲庵が櫂蔵の供をした。

 翌日、咲庵を伴って櫂蔵は播磨屋本店を訪ねた。家老が見えても突然の訪問では会わない主人が、中庭での立ち話で会うと言われ、庭に行くと、主人の庄左衛門が松の盆栽をいじっていて、櫂蔵が自己紹介すると、相手にせず、「これは出来が悪い。元から悪いものは、どんなに手を入れても良くならんようだ。」と呟いた。櫂蔵がそういうものでしょうな、と言葉を継いだ。すると、それが判っていて何故悪あがきすると言うので、櫂蔵は、弟が果たせなかったことを成し遂げるため、日田の掛屋から借り出した5千両の行方を追っておりますと言うと、庄左衛門は、盆栽の一枝を容赦なく切って、無様(ぶざま)だなと嗤って一人だけ縁側で茶を啜った。櫂蔵は、懸命に生きることは無様でござるか」と反論し、失礼仕ったとその場を去った。

 咲庵が、あれほど無礼に振る舞う商人は、江戸にもおりませんと言うと、櫂蔵は、それだけ弱みがあるということですし、会ってそれがしを怒らせ何かを聞き出したかったのでしょう、博多に来たのも無駄でなかったと言って宿に向かった。

 宿へ戻った櫂蔵は、半兵衛と信弥に播磨屋での結果を話し、今後の播磨屋の動きを見はるように言い付けて、咲庵と羽根に戻った。

 

 羽根に戻って1ヶ月したころ、咲庵に、長崎の息子から、頼んでいた調べ事の書状が届き、その書状を櫂蔵に差し出した。

 お尋ねの輸入商人は播磨屋庄左衛門と判明いたし候と書かれていて、その後にこまごまと唐明礬を一手に引き受けていることが記されていた。

 もし、弟様がなされようとしていることが播磨屋の耳に入ったとしたら、なんとしても潰そうとしたことでしょうと咲庵が言う。

 櫂蔵は、「いかに新五郎ず責を負って腹を切ろうが、場合によっては、西国郡代から老中に訴え出られて御家取り潰しになりかねないので、いかに江戸で金が要るからといっても、危ない橋を渡るはずがなく、用心のため、いつでも小倉屋に返済できるように、5千両は播磨屋の蔵に隠しておき、新五郎が切腹さぜるを得ないように仕向けたのか、新五郎は死ななくてもよかったのだ」と歯噛みした。

 

 清左衛門は陣内を呼んで、櫂蔵は、博多の播磨屋へ押しかけ面談を強要し、日田の掛屋から借り出した5千両の行方を追っていると申したそうだと伝える。そして、それにしても伊吹め手強いなと言うと、陣内が、一策があると提案した(お芳を陥れることを)。

(23) 小倉屋の紹介で西国郡代に播磨屋の悪行を申し出る。

 櫂蔵のもとへ、日田の小倉屋から書状が届いた。このほど赴任した西国郡代の田代宗彰様が、諸藩の人材と広く交流したい意向で句会や茶会を開こうとしている。ぜひ、これに合わせて顔つなぎのために日田に来てはどうか。その際に、唐明礬の輸入停止を望んでいることを密かに耳に入れておかれれば、伊吹様が、この先動きやすくなるのではないかと書いてあった。

 清左衛門に申し出ると、郡代様に眼通りが許されるなら御家のためだと、案に相違してあっさりと許可が出た。

 

 三日後に、櫂蔵と咲庵は日田に着いた。早速に、櫂蔵は小倉屋に、長崎で唐明礬を仕入れて売りさばいておる元締めは播磨屋らしいのです。それで、播磨屋は新五郎が唐明礬の輸入禁止を幕府に願い出ようとしていたことを知って、我が藩に、小倉屋殿からの借銀を踏み倒させ、5千両を手に入れると同時に、新五郎の動きを封じて切腹に追いやったようですと告げる。

 小倉屋は、それは迂闊だった。播磨屋に対しての手だてについてお手伝いさせてくださいと、口元を引き締めた。

 

 同じ頃、伊吹屋敷で、染子は、お芳に生け花を教えようとして、次のようなことを話しした。

 「そなたは、いつか武家の妻女とならねばなりません。その折、花の心得が無くては務まりませぬと言う。昔の事は忘れなさい。そなたに汚れたところはありません。女子は昔のことなど脱ぎ捨てて生きるのです。今を懸命に生きてこそ武門です。決して嘘をつかないという生き方その心がけでいてくれれば、そなたをこの家に迎えて誇りとすることができると思っています。」

 お芳は、染子の言葉に胸が震えた。

(24) 西国郡代に唐明礬の輸入禁止を要請している時、羽根城下ではお芳が危機に。

 翌日、櫂蔵が、新郡代の前に出た時、既に小倉屋から概要を話して貰っていたので、新郡代から唐明礬の輸入禁止をお上に願い出たいという話があるそうだがと持ち出された。櫂蔵は、藩の重役に諮っていないが、為さねばならぬことを御家のためになす所存にございます。「落ちた花は二度と咲かぬと誰でもが申します。されど、それがしは、一度堕落した自らの立身出世を企んでいるのでなく、それがしの他にもいる落ちた花を、もう一度咲かせたいと念じています。二度目に咲く花は、苦しみや悲しみを乗り越え、きっと美しかろうと存じます。」と申し上げる。櫂蔵のその言葉に小倉屋は静かに頷いた。

 

 場所を違えた、この日の昼下がり、陣内が伊吹屋敷を訪れた。

 お芳に、井形様がそなたと会いたいと仰せになっておられる、せっかくの井形様の言葉に逆らうと伊吹様にとってよからぬことになる。井形様の御身分もあるので外聞を憚ることゆえ他言は無用で、桔梗屋に一刻ほど後に参れと言った。

 お芳は、染子に言えば行くなと止められるが、そうすれば結果的に染子に迷惑がかかると、千代だけに外出すると告げて外に出た。

 部屋にいた清左衛門は、陣内を下げらせて、見知らぬ他人を見る思いで早く帰りたいと願うお芳に向かって、儂が江戸に行った後、客に身を売って商売していたらしいが、馴染みであった儂に恥をかかせよるような真似をしおってと腹ただしく思ったぞと言う。儂はそなたを捨てたわけではない。だから、こうして会いに来たのだ。儂の心が解らぬそなたではあるまい。清左衛門は、膳を横に押しやってジワリとお芳に近づいてきて、そなたのことを忘れたことはなかったぞと言いながらお芳の手を取った。

 お芳の背筋に冷たいものが走って身体が激しく震え、もう伊吹屋敷に帰れないかもと、お芳の胸に悲しい思いが湧いた。

(25) お芳は、櫂蔵と染子のために自害する。

 櫂蔵は、この日、西国郡代に対面を果たすと、句会を辞そうとした。驚く小倉屋に、実は先程から胸がざわついて潮鳴りのような響きが聞こえはじめ耳から離れないのだと言う。

 櫂蔵は街道を行く足を速めた。

 翌日の夕刻、屋敷に戻った。

 奥屋敷に入った櫂蔵は、お芳が布団に横たえられているのを見た。お芳、お芳と呼ぶ櫂蔵の声に、お芳がうっすらと目を開け、「旦那様」と、か細い声が震えていた。

 「お芳さんは、陣内に呼び出され、清左衛門と桔梗屋で会われたのです。断れば、旦那様に迷惑がかかると陣内に脅かされ、奥様にも迷惑がかかると黙って出かれたそうです。」と、宗平が言う。

 清左衛門を拒んだために斬られたのだなと言うと、宗平はそうではないと言い、医者が手当てをする間にお芳から聞いたことを涙ながらに話し始めた。

 「清左衛門がお芳を抱こうとしたので、お芳は清左衛門を突き倒して、床の間の清左衛門の脇差を自分の喉元に擬し、それ以上近づいたら死にますと言い、片手で襖を開けた。清左衛門が近づこうとすると、お芳は大声を上げて、「井形清左衛門さまが私を切ろうとなさいます。助けて、人殺し。」と叫んで、お芳は脇差を逆手に持って自分の胸に深々と突き刺したということです。」

 宗平の話が済むのを見計らったように、お芳は櫂蔵を見て、僅かに残る生命の火を燃やすかのように、か細く震える声で、「わたしが井形様に辱めを受けたら、旦那様だけでなく奥様にも恥をかかせることになると思いました。わたしは、奥様から旦那様の妻として迎え入れ、誇りとしたいとおっしゃっていただき本当に嬉しかった。」と言うと、ゆっくり眼を閉じた。

 櫂蔵は、宗平、後を頼むと玄関に向かった。

 染子の、櫂蔵殿、行ってはなりませぬ、と頬を叩いて、「お芳が自らの命を絶ったのは、そなたが為そうとしていることを、妨げたくなかったからではありませぬか。その心も慮らず、井形様を切って憂さを晴らそうとはなんと愚かな、お芳一人を守りきれなく、その心も生かそうとせぬとは、それでも武士ですか。」と叱責する口調に、櫂蔵は、私の好きな女の仇も討ってやれぬのだと止めどもなく涙が溢れた。染子は、悲しみの声で、「あなたは行き恥をさらすしかありません。」と言う。

 

                              次章に続く

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