T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

百田尚樹著「影法師」を再読して! -1/?ー

2014-07-07 16:25:58 | 読書

「永遠の0」の百田尚樹氏が描く江戸時代小藩の武士の友情小説。

 私自身のホームページに、小説の「読書」項目を設けて更新していて、この「影法師」も2年前に読んでいた。しかし、その記録を見逃して再読した。それにも拘らず、面白く最後まで読み終えた。ブログにも「あらすじ」をもう一度纏めてみた。今まで、このようなことは無かったのに、これも脳の加齢かな。

「内容紹介」

裏表紙より

頭脳明晰で剣の達人。将来を嘱望された男(磯貝彦四郎)が、なぜ不遇の死を遂げたのか。

下級武士から筆頭家老にまで上り詰めた勘一は竹馬の友、彦四郎の行方を追っていた。

二人の運命を変えた20年前の事件。確かな腕を持つ彼が「卑怯傷」を負った理由とは。

その真相が男の生き様を映し出す。 「永遠の0」に連なる代表作。

 

「登場人物」

名倉彰蔵(幼名、戸田勘一): 主人公。下士、戸田千兵衛の嫡男。筆頭国家老になる。

名倉みね: 彰蔵の妻。磯貝家の下女の娘。彰蔵の友の磯貝彦四郎が仲介する。

戸田千兵衛: 勘一の父。20石の下士。勘一を助けるために斬殺される。

戸田ぬい: 勘一の母。

戸田千江: 勘一の妹。

磯貝彦四郎: 準主人公。勘一の竹馬の友。中士の次男。みねの初恋の相手。

磯貝又左衛門: 喜右衛門の嫡男。磯貝家の当主。彦四郎の兄。

富樫九郎右衛門: 名倉家の江戸から来た若党。

丸尾双兵衛: 戸田家の隣家の下士。勘一の父の友人。

葛原虎之丞: 勘一の友人。中士の次男。堀越家の養子となる。

中村信左: 勘一の友人。中士の嫡男。家督を継いで庄左衛門と改名。

飯田源次郎: 勘一の友人。中士の三男。池田家の養子になる。

成田庫之介: 一揆に対応した町奉行。越訴を認めた責任を負って自裁する。

万作: 百姓一揆の首謀者。

伊東益次郎: 勘一が出仕した代官所の与力。

滝本主税: 勘一が出仕したころの国家老。城下の豪商・蔵元屋と結託した奸物。

 

「あらすじ」

 名倉彰蔵と彼を徹底して助ける磯貝彦四郎、二人の友情の絆の物語を、序章と10章は現状、2章から9章が回想、終章はみねが磯貝家の墓を墓参しての彦四郎への回想といった構成で纏められている。

 各章に標題を付して、物語のポイントになる部分を『太字』で表示した。

「序章」 ー 竹馬の友・彦四郎の死を知り、彦四郎との青少年時代を思い出す彰蔵 -

 20数年ぶりに国許に帰った国家老・名倉彰蔵は、目付から、彰蔵の竹馬の友で20余年前、ある不始末により藩を逐電した磯貝彦四郎が、城下から10里ほど離れた港町・浦尾に住んでいたと言う情報を聞いて、若党の富樫九郎右衛門を彦四郎探しに出向かせた。

 3日目に戻り、彦四郎は博徒の用心棒をしていたが、2年前に労咳で亡くなったことを報告した。

 彦四郎は、なぜ、20年近くも経って国に舞い戻ってきたのであろうか。病を得て故郷で死にたいと考えたのだろうか。だが、城下に戻らず浦尾に住んだのは、あの不始末により藩を逐電したことを恥じる矜持が残っていたのか、あるいは、彼の信念によるものか、それは不明であった。

 40数年前、彰蔵は初めて彦四郎に会った日を思い出した。その日は、彰蔵にとって生涯忘れることができない日であった。

「1章」 - 厳然たる身分差による勘一の父の死 -

 茅島藩では、上士、中士、下士の間に厳然たる身分差があり、羽織の紐の色が異なっていて、下士は上士と城下ですれ違うときは、草履を脱ぎ、道の脇によけて跪(ひざまず)かねばならなかった。

 戸田勘一が7歳の春、父・千兵衛と桃の節句の晴れ着を着た妹・千江と鯉釣りに行った帰り、中間を連れた上士に出会った。

 晴れ着が汚れるのを嫌って、土下座をためらう千江に、千兵衛は手拭を敷いて座らせた。上士は、敷物の上に土下座する法は無かろうと言い放った。千兵衛は申し訳ございませんと、手拭を取って千江を土下座させた。上士は、 『泥は洗えば落ちる。しかるに、礼法の過ちは洗って落ちるものでない。』と泥水を勢いよく踏んだ。「それでも侍か。恥を知れ。」と怒鳴った勘一に、上士は斬ってかかる。千兵衛は、子供を見殺しにできぬと上士の腕を斬り落とす。しかし、片足の不自由な千兵衛は泥に足を取られて、中間に槍で突かれ、命を落とした。

 父が斬殺させられた往来のすぐそばの磯貝喜右衛門の屋敷の庭に、父の遺骸は担ぎ込まれ、その側で勘一は泣いていた。父の遺骸を目のあたりにし、俄かにすざまじい後悔が湧き起り涙が込み上げていたのだ。その時、「泣くなっ。武士の子が泣くものではない。」と、勘一と同じ年恰好の磯貝家の次男の彦四郎が叱咤した。

 重役たちの評定の末、上士は半年の蟄居、戸田家は勘一が出仕するまで、20石の家禄の半知を捨て扶持として支給されることになった。

 

                           次章に続く

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 葉室麟著「散り椿」を読み終... | トップ | 百田尚樹著「影法師」を再読... »
最新の画像もっと見る

読書」カテゴリの最新記事