……… こころ ………
「作品の文章を抜粋しての下巻の粗筋」
※登場人物の人称変更…… 私→上巻、中巻の「先生」。
あなた→上巻、中巻の「私」。
お嬢さん→上巻、中巻の「先生の奥さん」。
K → 大学時代の(先生→私)の親友。
※ 下巻は作品構成上の完結性を大きく備えているので、
その点に留意して粗筋の様式を変更した。
※ 薄青色の蛍光ペン部分は、私の補足部分。
※ 薄黄色の蛍光部分は、作品のポイントとなる部分、
あるいは心に止めおきたいと思った部分。
下 先生の遺書
一 (序文ーあなたからの手紙に返信しなかったことの陳謝)
「……私は、この夏あなたから二三度手紙を受け取りました。東京で相当の地位を得たいからよろしく頼むと書いてあったのは、たしか二度目に手に入ったものと記憶しています。
………
世の中にたった一人で暮らしていると言った方が適切な位の私には、そういう努力を敢えてする余地が全くないのです。
………
私はこの怠慢の罪をあなたの前に謝したいと思います。
二 (序文ーあなたへの手紙を書きだした理由)
「………。
……一旦約束した以上、それを果たさないのは、大変厭な心持です。……義務は別として私の過去を書きたいのです。……私の過去は私だけの所有だが、それを人に与えないで死ぬのは、惜しいとも言われるでしょう。私にも多少そんな心持があります。
私はただ貴方だけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと言ったから。
私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が止まった時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です。 (死を懸けての訴え)
三・四 (両親から信用されていた叔父)
「私が両親を亡くしたのは、まだ私の二十歳にならない時分でした。二人は同じ病気で前後して死んだのです。病気は恐るべき腸チフスでした。
私は二人の間に出来たたった一人の男の子でした。宅(うち)には相当の財産があったので、寧ろ鷹揚に育てられました。
父の死後、母は死を前に、ただ叔父に万事を頼んでいました。其所に居合わせた私を指さすようにして、『この子をどうぞ』と言いました。私は、その前から両親の許可を得て、東京へ出る筈になっていましたので、母は、それも序(ついで)に言う積りらしかったのです。それで『東京へ』とだけ付け加えましたら、叔父がすぐ後を引き取って、『よろしい決して心配しないがいい』と答えました。
………
「叔父は、母の頼みの通り一切を引き受けて凡ての世話をしてくれました。そうして、私の希望する東京へ出られるように取り計らってくれました。
数ある同級生のうちで、経済の点にかけては、私は人に羨ましがられる方だったのです。
………
何も知らない私は、叔父を信じていたばかりでなく、常に感謝の心をもって、叔父をありがたいもののように尊敬していました。叔父は事業家でした。県会議員にもなりました。父の実の弟ですけれども、性格からいうと父とはまるで違った方へ向いて発達したようにも見えます。それでいて二人は妙に仲が好かったのです。父はよく叔父を評して、自分よりも遥かに働きのある頼もしい人のように言っていました。父は私の心得になる積りで言ったらしく『御前もよく覚えているが好い』と言ってわざわざ私の顔を見ていました。
このくらい私の父から信用されたり、褒められたりしていた叔父を私がどうして疑う事が出来るでしょう。私には、ただでさえ誇りになるべき叔父でした。
五 (結婚して早く相談しろと私に勧める叔父)
「私が夏休みを利用して初めて国へ帰った時、両親の死に絶えた私の住居には、新しい主人として、叔父夫婦が入れ代わって住んでいました。これは私が東京へ出る前からの約束でした。
………
私は何の不愉快もなく、その一夏を叔父の家族と共に過ごして、また東京へ帰ったのです。ただ一つその夏の出来事として、私の心にむしろ薄暗い影を投げたのは、叔父夫婦が口を揃えて、まだ高等学校へ入ったばかりの私に結婚を勧める事でした。彼等の主意は単簡でした。早く嫁を貰って此所の家へ帰って来て、亡くなった父の後を相続しろと言うだけなのです。田舎の事情を知っている私には能く解ります。然し、高等学校に入ったばかりの私には、遥か先の距離に望まれるだけでしたので、叔父の希望に承諾を与えないで、私の家を去りました。
六 (我が子との結婚を勧める叔父)
「……一学年終えて帰国した時、私は又突然問題を叔父から鼻の先へ突き付けられました。叔父の言うところは、去年の勧誘を再び繰り返したのです。理由去年と同じでした。ただ、この前勧められた時には、何らの目的物がなかったのに、今度はちゃんと肝心の当人を捕(つら)まえていたので、私は猶困らせられたのです。その当人というのは叔父の娘即ち私の従妹にあたる女でした。その女を貰ってくれれば、お互いのために便宜である、父も存生中そんなことを話していたと叔父が言うのです。
……始終接触して親しくなり過ぎた男女の間には、恋に必要な刺激の起こる清新な感じが失われてしまうように考えています。香をかぎ得るのは、香を焚きだした瞬間に限る如く、酒を味合うのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。
叔父はもし私が主張するなら、私の卒業まで結婚を延ばしても可(い)いと言いました。当人に望みのない私には何方(どっち)にしたって同じ事ですから、又断りました。叔父は嫌な顔をしました。
私は又東京へ出ました。
七~九 (叔父に財産を誤魔化された私)
「私が三度目に帰国したのは、それから又一年経った夏の取っ付きでした。帰ってみると叔父の態度が違っています。元のように好い顔をして私を自分の懐に抱こうとしません。妙なのは叔父ばかりでなく叔父の家族も妙でした。
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「私は今まで叔父任せにして置いた家の財産に就いて、詳しい知識を得なければ死んだ父母に対して済まないという気を起こしたのです。
私はとうとう叔父と談判を開きました。遺憾ながら私は今その談判の顛末を詳しく此処に書くことの出来ない程先を急いでいます。実をいうと、私はこれより以上に、もっと大事なものを控えているのです。
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「一口でいうと、叔父は私の財産を誤魔化したのです。事は私が東京へ出ている三年間の間に容易(たやす)く行われたのです。凡てを叔父任せにして平気でいた私は、世間的に言えば本当の馬鹿でした。
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それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切のものを纏めてくれました。それは金額に見積もると、私の予期より遙に少ないものでした。私は思案の結果、叔父を相手取っての公(おおや)け沙汰にしないで受け取りました。
私は永く故郷を離れる決心を、その時に起こしたのです。私は国を立つ時に、父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。
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親の遺産としては固より非常に減っていたに相違ありません。けれども学生として生活するにはそれで十分以上でした。……この余裕ある私の学生生活が私を思いもよらない境遇に陥し入れたのです。
十章以下に続く