blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

明るく見えても

2012-05-23 22:37:55 | 日記
私は自宅では新聞をとっていないが、実家に寄った時にはけっこう時間をかけて読む。
その中で面白い記事があった。
二人の男がそれぞれ地面に穴を掘っていて、一人は穴のできばえがどうか周囲に感想を求め、もう一人はただただ穴掘りが楽しいなとつぶやいて周りには目もくれず穴を掘っている。
さて、どちらが「明るい心の持ち主」でしょう、というものだった。
結論は当然ながら後者を明るいとしていた。
他人に認められないと何もできないというのでは明るい心を持っているとは言えないということのようだ。

この記事を読んで、職場にいる某氏のことを思い出した。
言動そのものにはどこも「悪い」ところはなく、パッと見は性格的にも明るく、時には模範的とも言える振る舞いすら見せる人である。
仕事もとりあえずは進んで動き、周囲への配慮もそこそこあるように映る。
昼ごはんの時には必ず「いただきます」と一声発し、食べ終わった弁当箱もそれはそれはキレイに洗う。
言うこともいちいち格好いいというのか「ごもっとも」的な部分が多い。

しかしこの某氏、職場のほとんど、特に女性陣にはかなり嫌われている。
文脈からお気づきの方も多いだろうが、氏のやることなすこと全てが「周囲へのアピール」なのである。
いろいろな言動が、単に自分への注目や評価を集めるための手段になってしまっていて、結果的に周囲に余計な気を使わせてしまう。
周囲の人間はそこに嫌気をしているわけで、氏本人だけが自らが思うような注目や評価を得られないことに勝手に不満をためている現状がある。
上記の記事からすれば、心が明るくない人の最たるものということになろう。

氏と関わる日数が浅いうちは、そのあたりが見えてこないのだが、そのうちにだんだんと氏の「かまってちゃん」的な雰囲気が分かってくる。
誰にでもよく見られたいと思いすぎて、話す相手によって正反対のことを言ったりすることもザラである。
もう50歳も近いのに、ずっとそんな感じで生きてきたストレスは相当なものだろう。
ある日突然、何かをきっかけに爆発することがないかが心配だ。
こういう、ある意味での「暗さ」を抱えた人は、追い詰めると何をしでかすか分からない。

明るく見えても、心に何か葛藤を抱えた人というのは何となくだが表情で見分けが付く。
特に他人と接していない、例えば昼休みに一人でいる時などを観察してみるといい。
氏の場合は、本当は人付き合いなど面倒くさいと思っているはずである。
しかし、他人の注目や評価がないと寂しいから、面倒なはずのコミュニケーションに日々精を出す。
そんなダマシダマシのような生き方、私自身も経験があるだけに毎日痛々しいことこの上ないというのが率直な思いである。

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