前回書いた通り、金曜の夜は小さな同窓会をやった。
1次会はJR富山駅近くのリーズナブルな居酒屋を押さえていた。
料理はコースだったからしゃべっているうちにどんどん出てきたし、飲み放題で選べるお酒の種類もかなり豊富だ。
いくら競争の激しい地区とはいえ大丈夫かと思ったくらいだが、1人あたりの勘定は文字通りお店の名前そのものであった。
今回はいつもの一人飲みよりもかなりお酒が進んでしまい、時間的にも午前様どころか「未明様」くらいまで飲んで話してとなった。
昨日は疲れてほぼ一日ダウンという有様、今回のことを書こうにも話題が多すぎてアタマの整理が付かず、ようやく気持ちも落ち着いて本欄に手を付けているところだ。
おととしの春くらいに今回も参加したM君が同じような会を仕切ってくれた時にも感じたが、どれだけ久しぶりでも数年を同じ場所で過ごした人間どうしというのは一瞬でピタっとつながる。
人生全体ではわずかな時間でも、学校という閉鎖的な空間の中だと共有される思い出も数多い。
顔と名前さえ一致すれば、誰からともなく次から次へと話題が出てきて途切れることはないのである。
今から考えれば、それぞれが取るに足らないようなプライドをぶつけ合っていただけというのが生徒時代の印象だが、それが10代と言われればまたその通りである。
もちろんそんな時代の懐かしい話も出るには出たが、むしろ私が聞きたかった「今現在」の話も、ここには書けないようなものも含めて(ほとんどが書けない話だったような気も・・・)たくさん出たのが嬉しかったし楽しかった。
少なくとも「話していい相手」だと思ってもらえなければ聞けない話も多かったから、それだけでもありがたいことだ。
それぞれが、それぞれの大人の現実の中で生きている。
現実とは戦いであり、職場も家庭も一種の戦場であるという認識で大筋は一致したのではないかと思う。
私自身は、参加メンバーから特に「変わった」とか逆にそうでないとかとはハッキリとは言われなかった。
もともと群れることが嫌いなタチもあって、他人をさえぎるような雰囲気はあったらしいから、ほとんど変わらず今に通じている部分と言われればそうである。
今の仕事場でもきっと同じように思われているだろうし、そうあったところで特に問題はない仕事だからこの部分は自分の核としてイヤでも残っていってしまうのだろう。
反面、争いを恐れず筋を通すべき時は安易に折れたりしないようになったのはその頃とは違う。
まずは自分からすべてオープンにし、言いたいことは腹にためずに言うようにして、結果的に他人がどう思うかなどは気にしないように今はなっている。
他人が気になるあまりに他人をさえぎっていたのとは違って、他人が近づいてこないところでどうということはないと思えるようになっているのは若い頃とは違う。
多少のことで命まで取られるわけではなく、失うことを恐れなければ生きていく上での恐怖心などないに等しい。
年齢を重ね、自分からブッタ切った友人などどれほどいるか分からないくらいだ。
いつもとは違うこういった集まりもたまにはよい。
自分では分からなかった部分も他人から聞くことができたし、今後に向けての収穫は大いにあった。
祭りの後、皆と別れて一人になった時、もうすでに心は現実に戻っていた。
私ばかりでなく、今回集まった仲間も毎日の現実を生きていく。
どんなに親しい仲間でもそれぞれの人生に責任は持てない以上、今回の集まりが少しでもそれぞれの明日への活力になっていってほしい。
現実を生きるとは孤独そのもの、それに耐えられない人間に本当の明日は来ないからである。
1次会はJR富山駅近くのリーズナブルな居酒屋を押さえていた。
料理はコースだったからしゃべっているうちにどんどん出てきたし、飲み放題で選べるお酒の種類もかなり豊富だ。
いくら競争の激しい地区とはいえ大丈夫かと思ったくらいだが、1人あたりの勘定は文字通りお店の名前そのものであった。
今回はいつもの一人飲みよりもかなりお酒が進んでしまい、時間的にも午前様どころか「未明様」くらいまで飲んで話してとなった。
昨日は疲れてほぼ一日ダウンという有様、今回のことを書こうにも話題が多すぎてアタマの整理が付かず、ようやく気持ちも落ち着いて本欄に手を付けているところだ。
おととしの春くらいに今回も参加したM君が同じような会を仕切ってくれた時にも感じたが、どれだけ久しぶりでも数年を同じ場所で過ごした人間どうしというのは一瞬でピタっとつながる。
人生全体ではわずかな時間でも、学校という閉鎖的な空間の中だと共有される思い出も数多い。
顔と名前さえ一致すれば、誰からともなく次から次へと話題が出てきて途切れることはないのである。
今から考えれば、それぞれが取るに足らないようなプライドをぶつけ合っていただけというのが生徒時代の印象だが、それが10代と言われればまたその通りである。
もちろんそんな時代の懐かしい話も出るには出たが、むしろ私が聞きたかった「今現在」の話も、ここには書けないようなものも含めて(ほとんどが書けない話だったような気も・・・)たくさん出たのが嬉しかったし楽しかった。
少なくとも「話していい相手」だと思ってもらえなければ聞けない話も多かったから、それだけでもありがたいことだ。
それぞれが、それぞれの大人の現実の中で生きている。
現実とは戦いであり、職場も家庭も一種の戦場であるという認識で大筋は一致したのではないかと思う。
私自身は、参加メンバーから特に「変わった」とか逆にそうでないとかとはハッキリとは言われなかった。
もともと群れることが嫌いなタチもあって、他人をさえぎるような雰囲気はあったらしいから、ほとんど変わらず今に通じている部分と言われればそうである。
今の仕事場でもきっと同じように思われているだろうし、そうあったところで特に問題はない仕事だからこの部分は自分の核としてイヤでも残っていってしまうのだろう。
反面、争いを恐れず筋を通すべき時は安易に折れたりしないようになったのはその頃とは違う。
まずは自分からすべてオープンにし、言いたいことは腹にためずに言うようにして、結果的に他人がどう思うかなどは気にしないように今はなっている。
他人が気になるあまりに他人をさえぎっていたのとは違って、他人が近づいてこないところでどうということはないと思えるようになっているのは若い頃とは違う。
多少のことで命まで取られるわけではなく、失うことを恐れなければ生きていく上での恐怖心などないに等しい。
年齢を重ね、自分からブッタ切った友人などどれほどいるか分からないくらいだ。
いつもとは違うこういった集まりもたまにはよい。
自分では分からなかった部分も他人から聞くことができたし、今後に向けての収穫は大いにあった。
祭りの後、皆と別れて一人になった時、もうすでに心は現実に戻っていた。
私ばかりでなく、今回集まった仲間も毎日の現実を生きていく。
どんなに親しい仲間でもそれぞれの人生に責任は持てない以上、今回の集まりが少しでもそれぞれの明日への活力になっていってほしい。
現実を生きるとは孤独そのもの、それに耐えられない人間に本当の明日は来ないからである。