スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&後悔への対処

2018-10-03 19:07:31 | 将棋
 仙台で指された昨日の第66期王座戦五番勝負第三局。
 斎藤慎太郎七段の先手で,矢倉の出だしでしたが中村太地王座が2筋の歩の交換を許す指し方にしたため,相掛かりに近似した相居飛車の力戦に進みました。先手が棒銀から速攻に出ましたが,やや攻め過ぎがあったようで,厳密にはそこで差がついた一局だったようです。
                                     
 先手が8七に歩を打って後手が8六の飛車を引いた局面。直前に2三に歩を打ったのが攻め過ぎの手だったようです。
 先手がここで☗7五銀と出たので☖8八角成☗8四銀☖4四馬の飛車角交換になりました。ふたつの銀が当たりになっていますから☗7三銀成☖同桂とこちらの銀は交換してから☗2四飛と浮いて守りました。ここで☖2一歩と受けるのは仕方ないところ。
 先手は☗8一飛と打ち込み☖7一歩に☗9一飛成と先に香車を取りましたが後手も☖9九馬と取り返しました。
                                     
 先手から大捌きに出たのでここで☗4六香と先に打って攻め合えなければいけないのですが,これは後で☖1五角と打たれる筋があって無理なのだそうです。なので単に☗7七桂と跳ねましたが☖5四香☗5八香と打たされ,さらに☖8九角☗7九銀☖7八角成☗同銀☖8八馬と快調に攻め込まれました。
                                     
 ここで☗6六角が一石二鳥のような手なのですが,後手に☖7八馬とされ,この攻め合いは後手に分がありました。
 中村王座が勝って1勝2敗。第四局は16日です。

 現状の苦境がAという指し手によるものであったと判断される場合,他面からいえば,Aという指し手が現在の苦境の原因であるとみなされる場合には,Aとは別の選択肢であったBという手はAよりも高く評価されやすくなります。しかしその評価が正当な評価であるかは分かりません。むしろBを選んでいれば,Aを選んだために招いている現在の苦境よりも一層の苦境を招いていたかもしれないのです。ところが人間は苦境に立たされている場合,いい換えれば悲しみtristitiaを感じている場合には,そのような認識cognitioをもつことが難しくなるのです。
 このために,Bを選んでいればこのような苦境には至らなかったというような後悔が発生しやすいのであり,Aを選んだからこの程度の苦境ですんでいて,もしBを選んでいればもっとひどい苦境に立たされていただろうとは認識しにくいのです。これが,悲しみを感じているのが現実である場合,起こっていなかったことに対しては人間は楽観的に評価すると僕がいったことの具体的な意味です。つまり人間はある選択のゆえに悲しみを感じたというように認識し,かつその選択とは別の選択があったと認識した場合には,別の選択肢については楽観的になるのです。その別の選択肢によってもっと大きな悲しみを感じただろうというように,その選択肢について悲観的になることは稀であるといってもいいくらいかもしれません。
 第三部諸感情の定義二七が示すように,後悔は悲しみの一種です。この悲しみを忌避するために起こらなかったことに対して楽観的になるのですが,その楽観は楽観視されている事柄に対して正当な評価であるかは分かりません。むしろ起こったことが悲しみを齎したがゆえに,起こらなかったことを過大に評価しているだけなのかもしれません。そしてこのことを弁えておけば,後悔という感情affectusに対しても僕たちはうまく対処する方法を発見することができるでしょう。すなわち,確かに自分は後悔しているけれども,現に選択したことを選択したがゆえにこの程度の後悔ですんでいるのであり,別の選択をしていれば,もっと大きな後悔に襲われたかもしれないというように考えることがそれです。
コメント
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