スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

優駿牝馬&論拠

2014-05-25 18:51:59 | 中央競馬
 牝馬クラシック第2戦,第75回優駿牝馬
 逃げたのはペイシャフェリス。エリーザベストとマイネグレヴィルが追走。マジックタイム,バウンスシャッセ,ブランネージュまでが差なく好位を形成し,向正面に入るとマーブルカテドラルもこのグループに加わっていきました。これらの直後がヌーヴォレコルトで,ハープスターは後方3番手。前半の1000mは60秒7でスローペースとはいえ,僕が思っていたよりも流れました。
 直線に入るところで馬群が凝縮。そして内から外に広がっていきました。直線の半ばあたりまで,まだどの馬が勝つのか分からないような状況でしたが,前にいた馬たちの外に出てきたヌーヴォレコルトがまず抜け出し,そのまま先頭を譲らずにゴール板を駆け抜けて優勝。1頭だけ他馬とは関係のない大外を追い込んだハープスターがクビ差で2着。内から馬群を捌いてきたバウンスシャッセがさらにクビ差で3着。
 優勝したヌーヴォレコルトはこれが重賞初制覇となる大レース優勝。とはいえ一連のクラシック路線で上位に入っていましたので,単勝でも2番人気の支持を集めていました。2着馬は別格のレースをしたわけで,レースセンスの差で今日は上回りました。3着馬とは直線の半ばまで同じ位置にいたのですが,こちらが外でしたのでスムーズに抜け出せたのに対し,相手は内からさらに馬群を通り抜けなければならないレースになり,着差が着差ですから勝負のポイントとしては意外と大きかったかもしれません。マイルでも対応していましたが,距離が長い方が持ち味を生かしやすいように思います。父はハーツクライ。はとこに昨年の優駿スプリントアフター5スター賞を買っている現役のハードデイズナイト。Nuovo Recordはイタリア語で新記録。
 騎乗した岩田康誠騎手は昨年末の香港スプリント以来の大レース制覇。国内ではスプリンターズステークス以来。オークスは初勝利。管理している斎藤誠調教師は2007年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース2勝目。

 因果性Xが持続duratioの相に属する理由について,松田自身は詳しい説明を与えていないので,松田が指摘している事柄から,おそらくこうであろうと思われる論拠を,僕が再構成することにします。
 第一部定理二一は,直接無限様態が常に存在すると弁じています。そしてこのことが,直接無限様態が永遠に存在するということであるということは,この定理Propositioから一読して明らかであるといわなければなりません。しかるに常にというのは,継続する時間tempusの中で常であるということを意味します。つまりそれは属性attributumの内部,いい換えれば持続の相において常にという意味なのであり,属性の外部,永遠の相species aeternitatisにおいては妥当しません。別のいい方をすれば,あるものが永遠であるのならば,そのものは常に存在するとはいわれ得ない筈なのです。したがってここで直接無限様態が永遠であるといわれていることの本当の意味は,持続の相において常に存在するということなのであり,第一部定義八に示される永遠性aeternitasとは異なります。むしろここでスピノザは,第二部定義五で持続が無限定な継続といわれるとき,現実的に無限定に継続するもののことを,永遠と形容しているにすぎないことになります。
 松田の主張の要点は,おおよそ上述したようなものになるであろうと予想されます。そしてこのうち,常にという語句が,永遠であるもの,第一部定義八で永遠性を有するといわれているものに対しては相応しい形容ではないという点は,僕も同意できます。たとえば昨日も今日も明日もという具合に,いつでも存在するものが常に存在するといわれるべきであるのに対し,ある事柄が昨日も今日も明日もという具合に,常に真理veritasであるからそれが永遠の真理であるといわれるべきではないと僕は考えるからです。
 しかしこの論拠には,はっきりとした弱みがあるともいえます。というのは,このことのうちには,スピノザが無限定に継続するものに対して永遠という誤った形容をしたということを示す根拠が薄弱であるといえるからです。というのも逆に考えれば,スピノザは永遠であるものに対して常に存在するという誤った形容をしたのだと理解することも可能だからです。
コメント
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