スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典レディスプレリュード&訪問医療と訪問看護

2018-10-12 18:58:38 | 地方競馬
 昨晩の第15回レディスプレリュード
 アンジュデジールは発馬が悪く1馬身ほどの不利。先手を奪ったのはニシノラピート。2番手がディアマルコで3番手にプリンシアコメータという並びになりました。この後ろをリエノテソーロとブランシェクールで併走。ワンミリオンスがその直後でこの後ろはジュエルクイーンとクイーンマンボ。さらにアルティマウェポンとステップオブダンスが併走しているところへアンジュデジールが追い上げてきました。あとはエースウィズとラインハートが並んで続き,ユッコは1頭だけ置かれて最後尾。最初の800mは51秒1のスローペース。
 3コーナーではニシノラピートにディアマルコが並び掛けていき,コーナーではその外からプリンシアコメータが追撃。それをマークしてブランシェクールも上昇し,大外をワンミリオンス。内の2頭は一杯になり,直線ではプリンシアコメータが先頭に。これにブランシェクールが襲い掛かり,その時点では差すかの勢いだったのですが,そこからまたプリンシアコメータが一頑張り。フィニッシュまで抜かせなかったプリンシアコメータが優勝でブランシェクールがアタマ差の2着。内を回って直線に入ってから外に切り返してきた北海道のアルティマウェポンが1馬身半差の3着に入って大波乱の結果。
 優勝したプリンシアコメータは昨年のクイーン賞以来の勝利で重賞2勝目。このレースは能力を十全に発揮できなかった馬が多く,この馬も2着馬と同等の能力とは考えにくく,存分に力を発揮したとはいえないのかもしれませんが,有力馬の中では能力に近いところまで出しました。それによって優勝を手に入れることができたというような結果。ただ,逃げることで良績を残していた馬が,3番手からのレースで結果を出した点は収穫。この路線はかなり混沌としてきた印象が強く,しばらくは馬券面で難しい結果が続くことになるかもしれません。父はクラフティワイフの第11子になるスパイキュール。母の4つ上の全姉に2004年のNARグランプリ最優秀牝馬に選出されたベルモントビーチ。Cometaはイタリア語で彗星。
 騎乗した香港のジョアン・モレイラ騎手と管理している矢野英一調教師はレディスプレリュード初勝利。

 この間,母はずっと病室のベッドで横になったままでした。退院となれば歩かなければなりませんが,この病室はエレベーターから遠いところにあり,そこまで歩くのは大変だろうということで,車椅子を用意しました。みなと赤十字病院は正面玄関を入ったすぐのところに何台かの車椅子が置いてあり,院内では自由に使用できることになっていたのです。それで僕はその車椅子を取りにいきました。
 車椅子を用意して病室まで戻ると,薬剤師が来ていました。これはこれから使用する薬剤の説明のためです。これで病院でしなければならないことはすべて終わりましたので,正面玄関まで母を乗せた車椅子を押して,あとはタクシーで帰りました。母はタクシーを降車するときに転んでしまい,右膝の上のあたりに擦り傷ができました。とはいえこれは処置をする必要がないほどの小さなものでした。
 僕たちが帰宅したのは11時15分です。母は昼食にはパンを食べたいと所望しましたので,僕がバスで根岸駅まで行って買ってきました。ついでですから僕もパンにしました。
 午後2時40分に,依頼してあった診療所の訪問看護師がふたり,訪問してきました。これは今後の訪問医療の説明のためです。要は,訪問してどのような医療を実施するのかということです。これは母の希望があって,入浴の介助が中心になりました。ただし,この日は入浴はしていません。また,この日はちょうどフェンタニルパッチを貼り換える日に該当していましたので,これは看護師がやってくれました。ただ,前にもいいましたように,この貼り換えは基本的に母が自分でやりました。例外はこの日のように,訪問看護の日と貼り換える日が合致したときだけです。
 看護師と話している間に,医師も訪問してきました。これは訪問医です。診療所は医師も看護師も同じところに属していましたが,手続き上は別の組織になっていました。つまり契約をしたわけですが,訪問看護と訪問医療は別々の契約でした。ただ,同じ診療所ですから,互いの連絡はよく取り合えていました。基本的に訪問医療は月に2回の頻度,訪問看護は週に2度の頻度で実施することが決定しました。
コメント
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