スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典白山大賞典&未来と過去

2018-10-02 18:56:51 | 地方競馬
 第38回白山大賞典
 発馬が最もよかったのはマイネルバサラでしたが,逃げなければ力が出せないグリムが外から先手を奪いました。控えたマイネルバサラが2番手。3番手にカツゲキキトキトとドンフォルティス。5番手にセンチュリオンとミツバ。7番手以下はムーンファースト,タガノヴェリテ,モズオトコマエと続いてここまでは集団。やや離れてドリームズラインが後方2番手。また少し離れて最後尾にマイネルリボーンという隊列。
 スローペースから2周目の向正面でマイネルバサラがグリムに並んでいってグリムがペースアップ。ここでミツバは後退。3コーナーではマイネルバサラと3番手で追うカツゲキキトキトとドンフォルティスの差が少し広がりました。しかしコーナーを回るとマイネルバサラは一杯。追うドンフォルティスも一杯になりました。マイネルバサラを振り切る形でグリムが抜け出し,そのままレコードタイムで逃げ切って優勝。一杯になったマイネルバサラの内からカツゲキキトキト,外からコーナーでもドンフォルティスの外を回ったセンチュリオンが追い上げ,5馬身差の2着はセンチュリオン。1馬身半差の3着にカツゲキキトキト。マイネルバサラは3馬身差で4着。
 優勝したグリムは前走のレパードステークスから連勝で重賞2勝目。大外枠でしたが逃げられそうなメンバー構成でしたので,力は出せると思っていました。距離は不安だったのですが,逃げられれば十分にこなせるようです。レコードが出るような馬場状態もおそらく味方したのではないでしょうか。逃げられなかったときにどうかは何ともいえませんが,能力だけでいえばもう少し上でも戦えそうな内容だったと思います。父はゼンノロブロイ。母の父はサクラバクシンオー。4代母がバーブスボールド
 騎乗した内田博幸騎手と管理している野中賢二調教師は白山大賞典初勝利。

 万人に起こることは,自分にも起こると解さなければなりません。人間が何かに憧憬の念を抱くのは,現実的本性actualis essentiaから生じるのですから避けようがありません。ですが憧憬というのは,それが実現すれば消滅する感情affectusであり,同時に,それを実現するために現実化していることを喪失するなら,それが現実化しているがゆえに憧憬されることがなかったそのことが,喪失によって憧憬の対象になり得るという感情でもあるのです。何事かに憧憬の念を抱いているときに,このことをよく弁えておけば,僕たちはそれだけこの感情に支配されることが少なくなる筈です。つまりこれは,僕たちが受動感情からできるだけ多く逃れるために,有効な方法のひとつなのです。
 憧憬は主に未来と関係するのですが,すでに示したように,僕たちはフラットな状態や喜びlaetitiaを感じている状態にあるときに比べると,悲しみtristitiaを感じている状態のときには現実化されていない事柄の方を高く評価しがちです。こちらは主に過去と関係するのですが,この場合も同じように受動passioからなるべく多く逃れる有効な方法を,似たような仕方で抽出することができます。
 たとえば将棋を指していて,ある局面で自分が非常に劣勢に立たされている,勝つのは困難だと判断したとしましょう。そしてその少し前に,AとBという,どちらも有力に思われたふたつの指し手があり,Aの方を選択して,現状の局面に至ったと仮定します。
                                
 このときに人間は,あのときにAではなくBの方を選択していればこれほど困難な状況には至らなかったと思いがちです。これは感情としてみれば悲しみの一種であり,後悔といわれます。とくに将棋の指し手のような場合は,自分の精神mensの自由な決意によって選択されたと思われがちでしょうから,第三部諸感情の定義二七で示されている後悔そのものであるといってもいいでしょう。
 これもまた,悲しみを忌避し喜びを希求するという人間の現実的本性から生じるのですから,多かれ少なかれ,一切の後悔から逃れるということは人間には不可能です。ただし,それが真verumであるかどうかは別です。現実化されていないことが喜びを齎すかどうかは不明だからです。
コメント
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